2008年4月29日
2008年4月25日
2008年4月24日
京都は雨
いま京都は雨が降っています。
話は変わりますが昨晩飲み過ぎたみたいで頭がちょっといたいです。
2008年4月23日
あたたかい
京都に着いています
本山の堀にはスイレンが花をもっていました
うちではやっと蓮の葉を顔出したばっかりなのに
京都はあったかいんですね
ガッタコン
今京都に向うため高岡駅で列車を待っています。
気持ち寒いかなって感じです。
とにかく列車がくるまでまだ時間があります。
貨物列車が入ってきました。ガタゴンガタゴンと音を立てて入ってきました。何か懐かしい音です。
最近この音がなかなか聞くことができません。
むかしむかしちっちゃかった頃、たまに電車ごっこをして遊びました。そのときは当たり前のようにガタゴンと声に出して遊んでいました。
でも今電車に乗ってもガタゴンと余り音がしません。駅ぐらいです。これは電車の性能がよくなって静かになったのと、線路のつなぎ目がめっちゃ少なくなったからです。
なんて書き込んでいるうちに、すでにサンダーバードに乗り込み、もうすぐ富山県と石川県の県境です。
気持ち寒いかなって感じです。
とにかく列車がくるまでまだ時間があります。
貨物列車が入ってきました。ガタゴンガタゴンと音を立てて入ってきました。何か懐かしい音です。
最近この音がなかなか聞くことができません。
むかしむかしちっちゃかった頃、たまに電車ごっこをして遊びました。そのときは当たり前のようにガタゴンと声に出して遊んでいました。
でも今電車に乗ってもガタゴンと余り音がしません。駅ぐらいです。これは電車の性能がよくなって静かになったのと、線路のつなぎ目がめっちゃ少なくなったからです。
なんて書き込んでいるうちに、すでにサンダーバードに乗り込み、もうすぐ富山県と石川県の県境です。
2008年4月22日
2008年4月21日
2008年4月16日
2008年4月15日
のほほんと生きてます
ハチドリのひとしずく いま、私にできることこの話しをたまにお説教で読まさせていただくことがあるんだけど、
最近ふと思ったことがある。
周りが火事だと気づけば逃げ回ったり、何とか火を消さなければなんて思うだろう。
火事に気づけば動きが起こる!
気づけなければどうもならない。
この世を生きている事実を山火事が起こっているなんて俺思って生きているだろうか。
のほほんと何とかなる差なんておきらくに生きてしまっている。
世の中平穏だと思って実際生きている。
そんなことないはずなんだろうけど。
私が人間として生きてることがずっと続くように思って生きているし、死ぬとしてもまだまだだと思って生きているのが実際。
逃げ回る森の動物よりたちが悪い私です。
2008年4月12日
06 法蔵菩薩因位時
依経分 大経をよりどころとして名号の徳をたたえる
<語意>
法蔵...ダルマーカラ・迷いの経験も心理に目覚める経験も、心理に目覚める可能性も、すべてを内蔵している存在という意
菩薩...ボーディーサットバ・菩提(道)薩埵(衆生)仏の道を歩むもの
僧侶ではなく、在家の人で釈尊滅語釈村の骨を埋めた仏塔を礼拝していた人たちの名告り。このような人々によって大乗経典が編纂、相続されてきた。{大乗仏教}
因位...佛にならない位・仏の位を果位・はたらきの全く現れない位
世自在王仏...ロイクワンラ・世の衆生を自在に救う慈悲と、世間のことを自在に知る知恵を徳とする・五十三仏
覩見...しっかり観察する
浄土の因...浄土を成り立たせるもと、何故成仏したのか、浄土を作ったのか
殊勝...とりわけすぐれた
超発...超え優れ発す
希有...まれな・ありがたい
弘誓...「弘」は、ひろしという、ひろまるという。「誓」は、ちかいというなり。法蔵比丘、超世無上のちかいをおこして、ひろくひろめたまうともうすなり。(唯信鈔文意550)
五劫...面倒で、やる気が起きないことを「おっくう」と言います。漢字で書くと「億劫」。正しくは「おくこう」と読むのですが、いつのまにか、「おっくう」と読むようになったのです。
劫とは、もともとは仏教に説かれた時間の単位ですが、これがとてつもなく長い時間を表しています。では、一劫とはどのくらいかというと、これにいくつかの説明がありますが、ここでは芥子劫、盤石劫、数量劫という代表的な三つをご紹介しましょう。
芥子劫というのは、縦・横・高さがそれぞれ一由旬(ゆじゅん)(約七キロメートル)の鉄の城の中を芥子の実で満たし、百年に一粒ずつその実を取り除いていきます。そうやって、すべての芥子の実が無くなるのにかかる時間を一劫というわけです。
盤石劫も同じような喩えで、縦・横・高さがそれぞれ一由旬の大岩を、百年に一度天女が舞い降りてきて衣の裾で撫でます。そして、岩がすべて摩耗しつくして無くなるまでの長さが一劫だと説明しています。
この二つのなんとなく漠然とした説明に対して、数量劫はもう少しはっきりしています。ある時、人の寿命が十歳だったとします。この寿命が百年に一歳ずつ 延びていき、ついには人寿八万四千歳にまでなる。すると今度は、逆に百年に一歳ずつ寿命が縮んでいき、やがて元の十歳に戻る。この一増一減のサイクルが一 劫だと、数量劫は説明します。試みに計算してみると、 (84,000-10)×100×2=16,798,000という数字になります。つまり、一劫と いうのは千六百七十九万八千年になるというわけです。
ヒンズー教では43億2000万年と定義されている。46億年 地球の誕生からの時間 35億年 生命の起源からの時間
思惟...惟(思う、よく考える)
遠い過去、遙かな昔に一人の王様がいました。王様は権力と栄誉の頂点に立ち、何不自由ない暮らしをしているはずでした。
でも、王様には大きな悩みがあったのです。それは「私はどこから生まれてきたのか、何のために生きるのか、どこへ行くのか」という謎が解けないことでした。
いろんな賢い人たちが王様に答えを教えましたが、王様はどの答えにも満足することができませんでした。それどころか、いよいよ悩みは深まり、その謎が解けない限り、生きていても空しい、死ぬにも死にきれないという大きな不安に襲われたのです。
あ る時、王様は「世界で一番自由自在に生きる王者と名告る仏(ブッタ=目覚めた人)」の噂を聞き、その人を捜して会いに行きました。その人は自分の着物さえ 持っておらず、ボロを身にまとい、小さな鉢を一つ持っているだけでした。それでいて、「世界で一番自由自在に生きる王者」だというのです。
その人は、澄んだ目で王様を見つめて、静かに話し始めました。
「人は皆、迷いから目覚めて仏(ブッダ)になるために生まれてきたのです。どんな人も、深くて広く重い、いのちの世界から生まれて、それぞれに大きな役割を持ち、大切な使命を与えられて生きているのです」
それは今までに聞いたことのない言葉でした。王様は深い喜びに包まれ、自分も仏になりたいという志を起こし、すぐに国を捨て王位を捨てて、その人の弟子になり、法蔵比丘と名告ったのです。
法蔵はしかし、自分だけが救われてさとりをすましているだけでは満足できませんでした。この世を見据えると、人々が皆迷い、病み、傷つけあって生きている現実を放っておけなくなったのです。
法蔵菩薩は、その師に質問します。
「どうか教えてください。あらゆるいのちあるものと共に生きる清浄な国土をおごそかに整えるにはどうすればいいのでしょうか。」
師の世自在王仏は容易に教えてくれません。
「それはあなたが自分で知るべき事だ」
法蔵はさらに問います。
「とても私の思いだけで走ることはできません。どうか教えてください。既に目覚めた人々は、どのような願いと行いによってそれぞれのすばらしい国土を完成させられたのかを知りたいのです」
師は法蔵の願いの大きさに心打たれて法蔵を激励し、二百一十億もの諸仏の国土や、そこに住む神々や人々の有様を、善・悪ことごとく解き明かしたのです。
それらをよく観察し、見極めた法蔵は、いよいよこの迷い多い生死の現実が痛ましくなり、共に生きたいと願う者すべてが生まれることのできる極楽という浄土、安楽の国土を建立しようという、この上ないすばらしい願いを打ち立てました。
そして、もしこの願いが成就されなかったならば私も永遠にさとらない、仏にはなるまい、と言ういまだかつてない大きな広いちかいを起こしたのです。 (戸次公正著 正信偈のこころ 限りなきいのちの詩より)
<重願名声聞十方>
舎利弗、汝が意において云何。かの仏を何のゆえぞ阿弥陀と号する。舎利弗、かの仏の光明、無量にして、十方の国を照らすに、障碍するところなし。このゆえ に号して阿弥陀とす。また舎利弗、かの仏の寿命およびその人民も、無量無辺阿僧祇劫なり、かるがゆえに阿弥陀と名づく。(阿弥陀経)
十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなわし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる(浄土和讃)
<語意>
法蔵...ダルマーカラ・迷いの経験も心理に目覚める経験も、心理に目覚める可能性も、すべてを内蔵している存在という意
菩薩...ボーディーサットバ・菩提(道)薩埵(衆生)仏の道を歩むもの
僧侶ではなく、在家の人で釈尊滅語釈村の骨を埋めた仏塔を礼拝していた人たちの名告り。このような人々によって大乗経典が編纂、相続されてきた。{大乗仏教}
因位...佛にならない位・仏の位を果位・はたらきの全く現れない位
世自在王仏...ロイクワンラ・世の衆生を自在に救う慈悲と、世間のことを自在に知る知恵を徳とする・五十三仏
覩見...しっかり観察する
浄土の因...浄土を成り立たせるもと、何故成仏したのか、浄土を作ったのか
殊勝...とりわけすぐれた
超発...超え優れ発す
希有...まれな・ありがたい
弘誓...「弘」は、ひろしという、ひろまるという。「誓」は、ちかいというなり。法蔵比丘、超世無上のちかいをおこして、ひろくひろめたまうともうすなり。(唯信鈔文意550)
五劫...面倒で、やる気が起きないことを「おっくう」と言います。漢字で書くと「億劫」。正しくは「おくこう」と読むのですが、いつのまにか、「おっくう」と読むようになったのです。
劫とは、もともとは仏教に説かれた時間の単位ですが、これがとてつもなく長い時間を表しています。では、一劫とはどのくらいかというと、これにいくつかの説明がありますが、ここでは芥子劫、盤石劫、数量劫という代表的な三つをご紹介しましょう。
芥子劫というのは、縦・横・高さがそれぞれ一由旬(ゆじゅん)(約七キロメートル)の鉄の城の中を芥子の実で満たし、百年に一粒ずつその実を取り除いていきます。そうやって、すべての芥子の実が無くなるのにかかる時間を一劫というわけです。
盤石劫も同じような喩えで、縦・横・高さがそれぞれ一由旬の大岩を、百年に一度天女が舞い降りてきて衣の裾で撫でます。そして、岩がすべて摩耗しつくして無くなるまでの長さが一劫だと説明しています。
この二つのなんとなく漠然とした説明に対して、数量劫はもう少しはっきりしています。ある時、人の寿命が十歳だったとします。この寿命が百年に一歳ずつ 延びていき、ついには人寿八万四千歳にまでなる。すると今度は、逆に百年に一歳ずつ寿命が縮んでいき、やがて元の十歳に戻る。この一増一減のサイクルが一 劫だと、数量劫は説明します。試みに計算してみると、 (84,000-10)×100×2=16,798,000という数字になります。つまり、一劫と いうのは千六百七十九万八千年になるというわけです。
ヒンズー教では43億2000万年と定義されている。46億年 地球の誕生からの時間 35億年 生命の起源からの時間
思惟...惟(思う、よく考える)
遠い過去、遙かな昔に一人の王様がいました。王様は権力と栄誉の頂点に立ち、何不自由ない暮らしをしているはずでした。
でも、王様には大きな悩みがあったのです。それは「私はどこから生まれてきたのか、何のために生きるのか、どこへ行くのか」という謎が解けないことでした。
いろんな賢い人たちが王様に答えを教えましたが、王様はどの答えにも満足することができませんでした。それどころか、いよいよ悩みは深まり、その謎が解けない限り、生きていても空しい、死ぬにも死にきれないという大きな不安に襲われたのです。
あ る時、王様は「世界で一番自由自在に生きる王者と名告る仏(ブッタ=目覚めた人)」の噂を聞き、その人を捜して会いに行きました。その人は自分の着物さえ 持っておらず、ボロを身にまとい、小さな鉢を一つ持っているだけでした。それでいて、「世界で一番自由自在に生きる王者」だというのです。
その人は、澄んだ目で王様を見つめて、静かに話し始めました。
「人は皆、迷いから目覚めて仏(ブッダ)になるために生まれてきたのです。どんな人も、深くて広く重い、いのちの世界から生まれて、それぞれに大きな役割を持ち、大切な使命を与えられて生きているのです」
それは今までに聞いたことのない言葉でした。王様は深い喜びに包まれ、自分も仏になりたいという志を起こし、すぐに国を捨て王位を捨てて、その人の弟子になり、法蔵比丘と名告ったのです。
法蔵はしかし、自分だけが救われてさとりをすましているだけでは満足できませんでした。この世を見据えると、人々が皆迷い、病み、傷つけあって生きている現実を放っておけなくなったのです。
法蔵菩薩は、その師に質問します。
「どうか教えてください。あらゆるいのちあるものと共に生きる清浄な国土をおごそかに整えるにはどうすればいいのでしょうか。」
師の世自在王仏は容易に教えてくれません。
「それはあなたが自分で知るべき事だ」
法蔵はさらに問います。
「とても私の思いだけで走ることはできません。どうか教えてください。既に目覚めた人々は、どのような願いと行いによってそれぞれのすばらしい国土を完成させられたのかを知りたいのです」
師は法蔵の願いの大きさに心打たれて法蔵を激励し、二百一十億もの諸仏の国土や、そこに住む神々や人々の有様を、善・悪ことごとく解き明かしたのです。
それらをよく観察し、見極めた法蔵は、いよいよこの迷い多い生死の現実が痛ましくなり、共に生きたいと願う者すべてが生まれることのできる極楽という浄土、安楽の国土を建立しようという、この上ないすばらしい願いを打ち立てました。
そして、もしこの願いが成就されなかったならば私も永遠にさとらない、仏にはなるまい、と言ういまだかつてない大きな広いちかいを起こしたのです。 (戸次公正著 正信偈のこころ 限りなきいのちの詩より)
<重願名声聞十方>
舎利弗、汝が意において云何。かの仏を何のゆえぞ阿弥陀と号する。舎利弗、かの仏の光明、無量にして、十方の国を照らすに、障碍するところなし。このゆえ に号して阿弥陀とす。また舎利弗、かの仏の寿命およびその人民も、無量無辺阿僧祇劫なり、かるがゆえに阿弥陀と名づく。(阿弥陀経)
十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなわし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる(浄土和讃)
梨開化
梨の花が咲き初めています。
でも花粉付け用の花はまだ蕾が堅いそうです
こんな年もあると農家の方はおっしゃっておられますが、困っておられるようです。
2008年4月11日
ごぼはんだよりの月別アーカイブを年別に変更
ごぼはんだよりのサイドバーに表示されている月別アーカイブを年別に変更しました。
小保半田よりは月に二度ほど書き込めばいいので月別表示しても無駄なような感じがしてたので、年別に変更してみました。
ごぼはんだよりは標準のテンプレートを使っているので、まず、テンプレートモジュールにあるサイドバー(3カラム)を選択します。いうまでもなく2カラムを使っている人は2カラムを選択します。
小保半田よりは月に二度ほど書き込めばいいので月別表示しても無駄なような感じがしてたので、年別に変更してみました。
ごぼはんだよりは標準のテンプレートを使っているので、まず、テンプレートモジュールにあるサイドバー(3カラム)を選択します。いうまでもなく2カラムを使っている人は2カラムを選択します。
<MTIf name="module_monthly_archives">
と記してあるところを探して、そこより下にあるmonthlyと記してあるのを、
Yearlyと書き換えました。
多分に箇所か三カ所あるはずです。
これですっきりしました。
CO2がふえる? 言い掛りな計算
"税引き下げ CO2増加"(NHKニュース)
定税率の期限切れでガソリン税などが引き下げられた影響について、国の研究機関が試算したところ、車の使用などが増加し、二酸化炭素の排出が年間数百万トン増えるとみられることがわかりました。
このニュースを今朝NHKで聞いたんだけど、
ちょっとおかしくない?
暫定税率が期限切れによって車の使用量が増えるっていうけど、
ちょっと待って、
暫定税率が期限切れになってガソリンが約九なったのは事実だけど、だけどその値段は一年前と比べるとどうなの?おんなじぐらいと違うんじゃないの?
車の使用量が増えるっていう表現はおかしいと思う。元に戻っただけ。
原油高によってたまたまCO2の排出量がたまたま減った
そのことを抜きにして、ガソリンが安くなって車の使用量が増えるという言い方
私は納得できない!
暫定税税率を復活させるための政府のコマーシャルとしかいいようがない。
それも根拠のないと言うか、言いがかりみたいなコマーシャル
こういう訳のわからんこといっているから、政治に対する不信感が減らないというか増えるのではないだろうか。
皆さんはどう思う?
車を使うなというのなら、
田舎の公共交通網をしっかり整えろ!
聖火
聖火リレー、緊張の長野 コース変えず警備強化
2008年04月11日03時00分(asahi.com)
国内では26日に長野市で予定されている北京五輪の聖火リレー。世界各地での混乱を受け、主催者側が神経をとがらせている。警備の強化から情報の管理徹底まで。波乱の火種を消していく作業に追われている。
オリンピック開催に向けて聖火が全国各地を回るようになったのはいつからなのだろうか。
その聖火が聖火としてみられていない感じがする。
今チベット問題に対して中国に非常に冷たい風が向けられている。
私の持っている情報の中では仕方がないことだし、中国がしっかり対応してもらわないとと言う思いは私は強く持っている。
そういうメッセージを込めて、聖火がねらわれたり、パレードがねらわれている。
これは行き過ぎのような感じもするし、こういう事が続くことによってもしかすると中国政府が態度を変化させるような気もする。
複雑な思いがある。
そもそもこういう事になると言うことは、聖火が聖なる火としてみられていないということがあるのだろう。聖火という名前の人しか見られていないっていうことだろう。大事な火ならやっぱそういうことは起こらないと私は思う。
ところで聖火ってなぜ聖火なの、何故聖なの?
オリンピックって私たちにとって何?
何で大事なの?
自分の中では全然明らかでない。
単なるイベント、単なる商用イベントとしか見えていない。
多分大事な歴史、オリンピックを大事にしてきた方々がたくさんおられたのだろう。
だらら続いているのだと思う、のだけど...
2008年4月10日
御遠忌 ちょっと考える
今教団では宗祖親鸞聖人の750回御遠忌に向かってよそ見をする暇なく猛進している。
その教団の中にいる私も当然としていつの間にか気になってくるし、気にしている。
最近御遠忌って何なんだろうって考える。
何故御遠忌を勤めるのか、何故50年ごとに大きな法要を勤めるのか、なんて考える。
御遠忌の忌という字は「いむ」という字だ、嫌うということになるのだろう。
宗祖がお亡くなりになり750年遠く経つことを嫌う、哀しむ。
そういう意味が一つ私はあると思う、っていうかそういうことが大事だと感じる。
宗祖と仰ものが宗祖がかくれましまして750年経つことを悲泣する
宗祖に直接お会いできないことを悲しむことが一つ大事だと思う。
そしてもう一つ
悲しむだけでなく、でも喜ぶばかりでなく、
悲しみと喜び、この二つがバランス良く戴く必要があるのではないと思うんですよ。
喜びと悲しみが何故か同居しているみたいな感情が、私たちには大事なんではないかと。
今の教団の御遠忌は、何か喜び、を強調しすぎ、喜びを押しつけしすぎと私は感じています。
真宗門徒一人も無し
っていうか、
末法の確認、凡夫の確認というものを、
私たちの真宗大谷派は末法の世の凡夫が作る教団だったっていう確認をみんなでしていくことが大事だと...。
親鸞の教えを伝える教団なのだけど、親鸞の願いを伝えているのか、受け継いでいるのか、750年経ってどうなんだ。なんていう問いを私は御遠忌を迎えるというご縁でこのことを大事な問いと私もしていかなならんと思うし、教団もしていかなければならんと強く思うわけであります。
その教団の中にいる私も当然としていつの間にか気になってくるし、気にしている。
最近御遠忌って何なんだろうって考える。
何故御遠忌を勤めるのか、何故50年ごとに大きな法要を勤めるのか、なんて考える。
御遠忌の忌という字は「いむ」という字だ、嫌うということになるのだろう。
宗祖がお亡くなりになり750年遠く経つことを嫌う、哀しむ。
そういう意味が一つ私はあると思う、っていうかそういうことが大事だと感じる。
釈迦如来かくれましましてと言う正像末和讃の最初のうた
二千余年になりたまう
正像の二時はおわりにき
如来の遺弟悲泣せよ
宗祖と仰ものが宗祖がかくれましまして750年経つことを悲泣する
宗祖に直接お会いできないことを悲しむことが一つ大事だと思う。
そしてもう一つ
像末五濁の世となりて宗祖が亡くなられて750年経つけれども、でも、宗祖の教え、念佛の教えが今わたしの所に伝わってきている。750年かけて私の所に手から手へとリレーのように念佛が私の所に運び込まれていることを喜ぶ。教えが伝わっている事実を喜ぶことも大事だと思う。
釈迦の遺教かくれしむ
弥陀の悲願ひろまりて
念仏往生さかりなり
悲しむだけでなく、でも喜ぶばかりでなく、
悲しみと喜び、この二つがバランス良く戴く必要があるのではないと思うんですよ。
喜びと悲しみが何故か同居しているみたいな感情が、私たちには大事なんではないかと。
今の教団の御遠忌は、何か喜び、を強調しすぎ、喜びを押しつけしすぎと私は感じています。
真宗門徒一人も無し
っていうか、
末法の確認、凡夫の確認というものを、
私たちの真宗大谷派は末法の世の凡夫が作る教団だったっていう確認をみんなでしていくことが大事だと...。
親鸞の教えを伝える教団なのだけど、親鸞の願いを伝えているのか、受け継いでいるのか、750年経ってどうなんだ。なんていう問いを私は御遠忌を迎えるというご縁でこのことを大事な問いと私もしていかなならんと思うし、教団もしていかなければならんと強く思うわけであります。
2008年4月 9日
肩が痛い
肩の痛みがまたひどくなっています。
原因に心当たりがあります。
実は今週の日曜日に我が家にWii(「Wiiリモコンジャケット」同梱)(アマゾンの段ボウルに入ってやってきた)がやってきたのです。
わざわざ買ったわけではなく、この間ひかり電話に変更したことの得点として送られてきました。
これはNTTのキャンペーンじゃなく、代理店のキャンペーンでした。
それでwiiを取り付けてゲームをダウンロードして、
あそんでいたのです。
誰にでもできる卓球のゲームをやっていたんですが、
おきらくピンポンっていうヤツ
結構真剣にリモコンを振っていて、どうも肩を痛めたというか痛みが復活してきました。
情けないことです。
原因に心当たりがあります。
実は今週の日曜日に我が家にWii(「Wiiリモコンジャケット」同梱)(アマゾンの段ボウルに入ってやってきた)がやってきたのです。
わざわざ買ったわけではなく、この間ひかり電話に変更したことの得点として送られてきました。
これはNTTのキャンペーンじゃなく、代理店のキャンペーンでした。
それでwiiを取り付けてゲームをダウンロードして、
あそんでいたのです。
誰にでもできる卓球のゲームをやっていたんですが、
おきらくピンポンっていうヤツ
結構真剣にリモコンを振っていて、どうも肩を痛めたというか痛みが復活してきました。
情けないことです。
2008年4月 8日
梨の蕾
この間よりだいぶ膨らんでいます
白いと頃もだいぶ見えてきました
開化間近です
2008年4月 5日
はなまつり
今日は地区のお釈迦さまの誕生をお祝いする花まつりでした。
御神輿に上場仏をお乗せし、お練りをして始まります。
来月は私が所属するお寺でお釈迦さまの誕生会を開催します。
今回はアポをまだ取ってないのですが、いずれ段が三になってくれるであろうお方が手品をどこかで発表したがっていますので、その方をスペシャルゲストとしてお迎えしようと予定を立てています。まだ全然段取りはしてないのですが...そろそろ取りかからないと、そして祠堂経のことも少し頭に入れておかないと、
そうそう、再来年が私が所属するお寺が地区の花街りの当番だそうです。
御神輿に上場仏をお乗せし、お練りをして始まります。
来月は私が所属するお寺でお釈迦さまの誕生会を開催します。
今回はアポをまだ取ってないのですが、いずれ段が三になってくれるであろうお方が手品をどこかで発表したがっていますので、その方をスペシャルゲストとしてお迎えしようと予定を立てています。まだ全然段取りはしてないのですが...そろそろ取りかからないと、そして祠堂経のことも少し頭に入れておかないと、
そうそう、再来年が私が所属するお寺が地区の花街りの当番だそうです。
2008年4月 4日
2008年4月 3日
蕾膨らむ
昨日富山では桜の開化宣言がなされた
次に気になるのは梨の花野開化です。まだまだ堅そうです。
2008年4月 2日
きぶんわりぃ~
年度末、年度初めでテレビでは番組が変わったり出演者が変わったりしている
今NHK富山放送局では「わかがえる」
なんていうコマーシャルをやっている。
ニュースのキャスターが変わるらしく
そのお知らせらしい
でも「わかがえる」なんていうのがちょっと気にくわない
事実今までのキャスターから比べると若いみたい
若返るのは間違いないんだけど...
だけどこの若返るキャンペーンが気にくわない
今までのキャスターに失礼だと思う
これからは若狭で行きます。
今までは年寄だったのがいけなかった
なんていうふうに私は聞えてくる
若いのが一番なんていう社会、もうやめにしない?
若いのもいいし、年寄もいい!なんていう感じが私は好きだ。
これからは若返ります、じゃなく、
今までの人にありがとうっていう感謝の気持ち
これが大事だと思う。
そういう気持ちがあったら、
これから若返ります
なんていう言葉は出てこないだろう。
やっぱり今NHK富山で流れている
若返るっていうコマーシャル
嫌いだ!
今NHK富山放送局では「わかがえる」
なんていうコマーシャルをやっている。
ニュースのキャスターが変わるらしく
そのお知らせらしい
でも「わかがえる」なんていうのがちょっと気にくわない
事実今までのキャスターから比べると若いみたい
若返るのは間違いないんだけど...
だけどこの若返るキャンペーンが気にくわない
今までのキャスターに失礼だと思う
これからは若狭で行きます。
今までは年寄だったのがいけなかった
なんていうふうに私は聞えてくる
若いのが一番なんていう社会、もうやめにしない?
若いのもいいし、年寄もいい!なんていう感じが私は好きだ。
これからは若返ります、じゃなく、
今までの人にありがとうっていう感謝の気持ち
これが大事だと思う。
そういう気持ちがあったら、
これから若返ります
なんていう言葉は出てこないだろう。
やっぱり今NHK富山で流れている
若返るっていうコマーシャル
嫌いだ!
息子三人帰宅
31日から昨日までうちの息子上から三人、京都に行っていました。児連の行事、「子ども交流会」でいっていました。春の法要中に催された音楽法要にもお参りしてきたそうですが、感想は一言、長かった、でした。やっぱ子どもには長いですよね。っていうか興味もなく、行かされるるんだったら一時間は結構きついもんがありますよね。
三人とも夜、結構疲れた顔をして帰ってきました。楽しくあそんだことでしょう。うれしいことです。
三人とも夜、結構疲れた顔をして帰ってきました。楽しくあそんだことでしょう。うれしいことです。
混声四部形式で念仏合唱 東本願寺で「御誕生会」(京都新聞)
真宗大谷派の「春の法要」が1日、京都市下京区の本山・東本願寺で始まった。宗祖・親鸞の誕生を祝う「御誕生会(ごたんじょうえ)」は、僧侶が念仏などを混声四部の形で合唱して営まれ、訪れた門信徒約2700人を魅了した。
2008.4.1 2008年 春の法要(4/1~3)が始まりました(東本願寺写真ニュース)
本年も4月3日まで春の法要が始まりました。初日の1日は、阿弥陀堂において、親鸞聖人御誕生会(ごたんじょうえ)(音楽法要)が勤まり、境内は大勢の参詣者で賑わいました。
2008年4月 1日
今日から四月
今日から四月ですね
富山県ではまだ桜の開花宣言が出ていませんが、先日太閤山に行ったとき桜が咲いているところもありました。
ここはあったかいとコロナのかなって勝手に思った次第です。
富山県ではまだ桜の開花宣言が出ていませんが、先日太閤山に行ったとき桜が咲いているところもありました。
ここはあったかいとコロナのかなって勝手に思った次第です。
