2007年6月13日

危うい私の真宗のいただき方

今日お参りに行ってお勤めを始める前に

「今日、祥月だから」っていわれた。

ドキッとしました。というのもそのデータが私の中になく、いつものお勤めをしようとしていたからです。

 私はいつものお参りの時は正信偈草四句目下 同朋奉讃式という感じのお勤めをしています。 そして祥月などの日は、嘆仏偈をプラスしてお勤めしたり、念仏和讃を三首引の三淘にしたりしてます。

今日も、三首引にしようかと思たのですが、

ふと、

嘆仏偈をプラスしてお勤めするのと、三淘にするのは同格だろうかって不安になり、というか時間的に一緒なんだろうかってつい思ってしまいました。

そこで正信偈を読誦しながら、念仏和讃に五三淘があるのだから、三二淘のお勤めを作ってもいいかなって思ったのです。

でも私の思ったのは二三淘だったのです。その事にまた気づきました。

五三淘というのは、念仏が五つ淘で御和讃が三淘、私が作ろうとしたのは、念仏が二つ淘で、御和讃が三淘というもの。

念仏と御和讃の格が逆だったのです。

ナンマンダブツという言葉より、宗祖の教えとしての和讃の方が自分は尊いとやっぱ思っているんですよね。

危ういいただき方をしている私が見えたのでした。

声明という伝統の中で、大事なことを気づかせていただいた、ひとときでした。 

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コメント[3]

アクセスカウンターが 4999 おしぃ?!

五三淘というのは、念仏が五つ淘で御和讃が三淘

ということだったの、勉強になりました。

ナンマンダブツという言葉より、宗祖の教えとしての和讃の方が自分は尊いとやっぱ思っているんですよね。

わー、これ大事だなぁ。 私の地域では、報恩講(結願日中)で、 正信偈草四句目下、 念仏讃和讃五淘 というのが流行っている(?) のですが、 これはありなのですか? (文類偈にすればよいだけなんだけど。)

私の所属しているお寺の報恩講結願日中は、といいながら日中は一回しかない一昼夜の報恩講ですが…。 『教行信証』の総序の文の意訳分を伽陀ではさみ、正信偈を同朋唱和して報恩講の三首引を五つ淘で勤めています。当然正信偈は草四句目下になります。 自分の中では文類偈のいただきがまだ不十分です。正信念仏偈と念仏正信偈の違いがよくわかっていません。だから文類偈の扱いが自分の中では軽いです。 声明の歴史の中でどうして日中のお勤めが文類なんでしょうね。その願いが私には見えてきてません。

今年の報恩講は、正信偈は正信偈だけど、総序の文を流罪八〇〇年ということをふまえた報恩講の表白にしようと今は思っています。まだ全然形に表れていませんが…。 五濁増時多疑謗
道俗相嫌不用聞
見有修行起瞋毒
方便破壊競生怨
の伽陀を中にはさんで伽陀三章と思っています。

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