うっすら雪景色
昨晩から降っていた雪、
朝確認してみると、
うっすらでした。
思ったよりつもってませんでした。雪も湿っぽいです。
当然ですよね
内では、初積雪ですから。
息子たちには
雪が積もってなかったら今日は外の掃き掃除をしてもらう、
っていってあったんですが、
多分外を確認してホッとすることでしょう。
富山に住むみゃぁらくもんのあおさんが、誰に気兼ねなく思うまま書き留めるブログ、にしたい, できるかなぁ?
2007年12月31日
という表示が出ている。ページが見つかりません。
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2007年12月30日
2007年12月28日
2007年12月27日
2007年12月25日
「深心」と言うは、すなわちこれ深信の心なり。また二種あり。一つには決定して深く、「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し常に流転し て、出離の縁あることなし」と信ず。二つには決定して深く、「かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑いなく慮りなくかの願力に乗じて、定んで往生を得」と信ず。また決定して深く、「釈迦仏、この『観経』に三福・九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証讃して、人をして欣慕せしむ」 と信ず。また決定して、「『弥陀経』の中に、十方恒沙の諸仏、一切凡夫を証勧して決定して生まるることを得」と深信するなり。また深信する者、仰ぎ願わく は、一切行者等、一心にただ仏語を信じて身命を顧みず、決定して行に依って、仏の捨てたまうをばすなわち捨て、仏の行ぜしめたまうをばすなわち行ず。仏の 去てしめたまう処をばすなわち去つ。これを「仏教に随順し、仏意に随順す」と名づく。これを「仏願に随順す」と名づく。これを「真の仏弟子」と名づく。ま た一切の行者、ただよくこの経に依って行を深信する者は、必ず衆生を誤らざるものなり。何をもってのゆえに、仏はこれ満足大悲の人なるがゆえに、実語なる がゆえに、仏を除きて已還は、智行未だ満たず。それ学地にありて、正習の二障ありて、未だ除からざるに由って、果願未だ円ならず。これらの凡聖は、たとい 諸仏の教意を測量すれども、未だよく決了することあたわず。平章ありといえども、かならず須らく仏証を請うて定とすべきなり。もし仏意に称えば、すなわち 印可して「如是如是」と言う。もし仏意に可わざれば、すなわち「汝等が所説この義不如是」と言う。印せざるは、すなわち無記・無利・無益の語に同じ。仏の 印可したまうをば、すなわち仏の正教に随順す。もし仏の所有の言説は、すなわちこれ正教・正義・正行・正解・正業・正智なり。もしは多・もしは少、すべて 菩薩・人・天等を問わず、その是非を定めんや。もし仏の所説は、すなわちこれ「了教」なり、菩薩等の説は、ことごとく「不了教」と名づくるなり、知るべし と。このゆえに、今の時、仰ぎて一切有縁の往生人等を勧む。ただ仏語を深信して専注奉行すべし、菩薩等の不相応の教を信用してもって疑碍を為し、惑を抱いて自ら迷いて、往生の大益を廃失すべからざれとなり。乃至 釈迦、一切の凡夫を指勧して、この一身を尽くして専念専修して、捨命已 後定んでかの国に生まるれば、すなわち十方諸仏、ことごとくみな同じく讃め同じく勧め同じく証したまう。何をもってのゆえに、同体の大悲なるがゆえに。一 仏の所化はすなわちこれ一切仏の化なり、一切仏の化はすなわちこれ一仏の所化なり。すなわち『弥陀経』の中に説かく、「釈迦、極楽の種種の荘厳を讃嘆した まう。」また「一切の凡夫を勧めて、一日・七日、一心に弥陀の名号を専念せしめて、定んで往生を得しめたまう」と。次下の文に云わく、「十方におのおの恒 河沙等の諸仏ましまして、同じく、釈迦よく五濁悪時・悪世界・悪衆生・悪見・悪煩悩・悪邪無信の盛なる時において、弥陀の名号を指讃して、衆生を勧励せし めて、称念すれば必ず往生を得、と讃じたまう」、すなわちその証なり。また十方仏等、衆生の釈迦一仏の所説を信ぜざらんを恐畏れて、すなわち共に同心・同 時に、おのおの舌相を出だして遍く三千世界に覆いて、誠実の言を説きたまわく、汝等衆生、みなこの釈迦の所説・所賛・所証を信ずべし。一切の凡夫、罪福の 多少・時節の久近を問わず、ただよく上百年を尽くし、下一日・七日に至るまで、一心に弥陀の名号を専念して、定んで往生を得ること、必ず疑いなきなり。こ のゆえに、一仏の所説をば、すなわち一切仏同じくその事を証誠したまうなり。これを「人に就いて信を立つ」と名づくるなり。乃至 またこの正の中につい て、また二種あり。一つには、一心に弥陀の名号を専念して、行住座臥、時節の久近を問わず、念念に捨てざるをば、これを「正定の業」と名づく、かの仏願に 順ずるがゆえに。もし礼誦等に依らば、すなわち名づけて「助業」とす。この正助二行を除きて已下の自余のもろもろの善は、ことごとく「雑行 行」と名づく、と。乃至 すべて「疎雑の行」と名づくるなり。かるがゆえに「深心」と名づく。
2007年12月24日
クリスマス(英語:Christmas, Χmas)とは、イエス・キリストの降誕(誕生)を祝うキリスト教の記念日・祭日である。「幼女が人間として産まれてきてくださったこと」を祝うことが本質である。12月25日がこれに当たるが、昔の暦では日没を一日の境目としているので12月24日夕刻から朝までをクリスマス・イヴとして祝う。イスラム教徒も、主要な預言者イエスの生誕として、クリスマスを祝う。こんなんでました~。
2007年12月23日
本願力にあいぬれば本願のはたらきにあってない証拠が空しく過ぐる自覚なのだろうか。
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし
2007年12月21日
また次に、舎利弗、かの国には常に種種の奇妙雑色の鳥あり。白鵲・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命の鳥なり。このもろもろの衆鳥、昼夜六時に和雅の声を出だす。その音、五根・五力・七菩提分・八聖道分、かくのごときらの法を演暢す。その土の衆生、この声を聞き已りて、みなことごとく仏を念じ、法を念じ、僧を念ず。舎利弗、汝、この鳥は実にこれ罪報の所生なりと謂うことなかれ。所以は何ん。かの仏国土には三悪趣なければなり。舎利弗、その仏国土には、なお三悪趣の名なし。何にいわんや実にこのもろもろの衆鳥あらんや。みなこれ阿弥陀仏、法音をして宣流せしめんと欲して、変化して作したまうところなり。舎利弗、かの仏国土には、微風、もろもろの宝の行樹および宝の羅網を吹き動かすに、微妙の音を出だす。たとえば百千種の楽の同時に倶に作すがごとし。この音を聞く者、みな自然に念仏・念法・念僧の心を生ず。舎利弗、その仏国土には、かくのごときの功徳荘厳を成就せり(仏説阿弥陀経)
| 別名 | 特徴 | 現在の名 | |
| 白鵠(びゃっこう) | 綺麗。純白、清浄性 | 白鳥またはガチョウの一種 | |
| 孔雀(くじゃく) | 綺麗。華やかな浄土の象徴 | クジャク | |
| 鸚鵡(おうむ) | しゃべる。賢い | オウム | |
| 舎利(しゃり) | しゃべる。賢い | 九官鳥の一種 | |
| 迦陵頻伽(かりょうびんが) | 妙音鳥 | 鳴き声が優雅。音楽の神さま | 雀あるいはカッコウの一種 |
| 共命(ぐみょう)之鳥 | 命命鳥 | 象徴的に仏の心を体現 | いない |
電磁波は無害であるとは思わない。携帯基地局撤去へ 住民「健康被害」、ドコモは認めず
(2007年12月18日 asahi.com)
携帯電話のアンテナ基地局が発する電磁波で健康被害を受けたとして、兵庫県川西市の住民10人が、NTTドコモ関西(大阪市)と、基地局の土地を所有す る阪急バス(大阪府池田市)に対し、基地局の撤去を求めた公害調停が17日、大阪簡裁であった。双方はドコモが来年4月ごろまでに撤去することで合意し、 住民は調停を取り下げた。阪急バスが住民の意向を踏まえてドコモへの賃貸契約を解除すると決めたため、ドコモは健康被害を認めない形で撤去を受け入れた。
2007年12月20日

2007年12月19日
熱血ニセ家族
2007年12月18日
2007年12月15日
2007年12月13日

一念多念のあらそいをなすひとをば、異学別解のひとともうすなり。異学というは、聖道外道におもむきて、余行を修し、余仏を念ず、吉日良辰をえらび、占相 祭祀をこのむものなり。これは外道なり。これらはひとえに自力をたのむものなり。別解は、念仏をしながら、他力をたのまぬなり。別というは、ひとつなるこ とをふたつにわかちなすことばなり。解は、さとるという、とくということばなり。念仏をしながら自力にさとりなすなり。かるがゆえに、別解というなり。ま た、助業をこのむもの、これすなわち自力をはげむひとなり。自力というは、わがみをたのみ、わがこころをたのむ、わがちからをはげみ、わがさまざまの善根 をたのむひとなり。(一念多念文意)
かなしきかなや道俗の私たち真宗門徒の生活をある意味
良時吉日えらばしめ
天神地祇をあがめつつ
卜占祭祀つとめとす
2007年12月10日
2007年12月 9日
2007年12月 6日

2007年12月 5日
行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽そして親鸞聖人は恵信尼さんと結婚した。日本初の僧侶として正式に結婚された、
このことを恵信尼と連れ添うことによって頷いていかれたことだろる。発見されていかれたことだろう。誠に知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞、
愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、
定聚の数に入ることを喜ばず、
真証の証に近づくことを快しまざることを、
恥ずべし、傷むべし、と
2007年12月 3日

今日は夕方まで京都に行かなければならないということで今日のランチは富山駅周辺ということになりました。余り時間がない、四男坊がいるということでうどんとなりました。そして寒くて雨が降っているので、車から降りてもぬれないところという選びでマリエになりました。入ってから店選びをして該当する、杵屋にしました。
ここは今日の私にとってベストチョイスでした。カレーうどんをたのんだのですが、注文してすぐという範疇て目の前にやってきました。そして食べても冷さなければならないほど暑くなく、どちらかというとぬるいぐらいでした。
すぐきてすぐに食べ終わる。今日の私にとって美味しいというか、嬉しいお店でした。
ファーストフード万歳ですます。
今乗っているサンダーバードは混んでいます。
ランキンさんに暇をつぶして貰うことにします。
2007年12月 2日
2007年12月 1日

2007年11月30日
2007年11月29日
それ、聖人の俗姓は藤原氏、天児屋根尊二十一世の苗裔、大織冠 鎌子内大臣 の玄孫、近衛大将右大臣贈左大臣 従一位内麿公 号後長岡大臣、或号閑院大臣、贈正一位太政大臣房前公孫、大納言式部卿真楯息 六代の後胤、弼宰相有国卿五代の孫、皇太后宮大進有範の子なり。
これを考えていました。鎌子、これは藤原鎌足を指すので、藤原家の流れをくむものということをいいたくてかかれているということはある程度簡単に判ったのですが、
しかし、内麻呂、有国という名前を何故わざわざ出すのだろうって考えてました。
そこで一つ見えてきたのは、
内麻呂は、慈円と、九条兼実の先祖が内麻呂ところで親鸞と別れる、内麻呂の子、真夏(長男:日野家の一代目)が親鸞へつながり、内麻呂の子、冬嗣(次男)が慈円、兼実につながる。そういうことが意図されているのかということが思えてきた。
藤原真夏(Wikipedia) 藤原冬嗣(Wikipedia)2007年11月27日
OnlyOneブログパーツは貼り付けているブログが検索エンジンでどのようなキーワードで何位に表示されているのかを解析し、上位の3キーワードを表示します。
ブログの運営者ですら知らなかったキーワードで1位になっている可能性もあります。
こんなうたい文句でした。
なかなか訪問者が増えていってくれないこのブログ、それでももしかしてなんか良いものがあるかもしれないってちょっと思いつけてみました。
調意検索ワードがなく何も表示してくれないかもしれないけど、
とりあえずはっつけました。
2007年11月23日
2007年11月22日
このQRコードは59回全同教大会の携帯アドレスが書き込まれています。
昨日は四男坊の一歳の誕生日だった。2007年11月21日
2007年11月20日
2007年11月19日
2007年11月18日
2007年11月17日

2007年11月16日
2007年11月15日

うちのリンドウが
花盛りです。
このタイプのリンドウは今花を咲かせます。
このリンドウでも
花閉じてる時黒っぽいんです。余り美しくありません。
めりはりが付いていて良いといわれればそうなんですけど…
そのことに頷けないわたしです。
2007年11月14日
#!/bin/sh
cd /virtual/<ID>/public_html/mt/
/usr/bin/perl ./tools/run-periodic-tasks
exit
2007年11月13日

さっきから机の上に上がり、ディスコのお立ち台のように飛び跳ね、それに飽きると、テレビにすがってテレビに機関銃のようにあちゃら語で話しかけ、…今やっと電池が切れて眠っています。今やっとほっとしてます。眠ってくれるスイッチがほしい今日この頃です。電池が切れるのを待つのにダイブン飽きました。
2007年11月12日
ともに耳で聞くという意味があるが、「聞」は耳に聞こえてくるという非主体的な結果をいい、「聴」はきこうとする主体的な意思による。という違いがあるそうだ。
2007年11月11日
2007年11月 9日
2007年11月 8日
2007年11月 6日
2007年11月 5日
2007年11月 2日

<2007年11月 1日
無明煩悩しげくして
塵数のごとく遍満す
愛憎違順することは
高峯岳山にことならず
有情の邪見熾盛にて
叢林棘刺のごとくなり
念仏の信者を疑謗して
破壊瞋毒さかりなり
命濁中夭刹那にて
依正二報滅亡し
背正帰邪まさるゆえ
横にあたをぞおこしける
末法第五の五百年
この世の一切有情の
如来の悲願を信ぜずは
出離その期はなかるべし
九十五種世をけがす
唯仏一道きよくます
菩提に出到してのみぞ
火宅の利益は自然なる
五濁の時機いたりては
道俗ともにあらそいて
念仏信ずるひとをみて
疑謗破滅さかりなり
五濁増時多疑謗というので伽陀をあげようという気もあったのですが、準備不足ということでこれは却下自分の中でしています。
道俗相嫌不用聞
見有修行起瞋毒
方便破壊競生怨





一 「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきことに てそうろうやらん」と、もうしいれてそうらいしかば、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天におどり地に おどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたまうべきなり。よろこぶべきこころをおさえて、よろこばせざるは、煩悩の 所為なり。しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば、他力の悲願は、かくのごときのわれらがためなりけりとしられて、い よいよたのもしくおぼゆるなり。また浄土へいそぎまいりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだうまれざる安養の浄土はこいしか らずそうろうこと、まことに、よくよく煩悩の興盛にそうろうにこそ。なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはま いるべきなり。いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあわれみたまうなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じそうら え。踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまいりたくそうらわんには、煩悩のなきやらんと、あやしくそうらいなまし」と云々
2007年10月31日
2007年10月29日
とあるのっぺい汁は、日本全国に分布する郷土料理のひとつ。地方によりいくつかの呼び方がある(例:のっぺ汁、のっぺい)。漢字で書くと「能平」あるいは「濃餅」を当てるという。
料理の際に残る野菜の皮やへたをごま油で炒めて煮て、汁にしたもの。地域によって大きく使用する材料やとろみの加減などが異なるが、主にサトイモ、ニンジン、コンニャク、シイタケ、油揚などを出汁で煮て、醤油、食塩などで味を整え、片栗粉などでとろみをつけたもの。
2007年10月28日
2007年10月26日
経営者として赤字削減っていうことは大事なことだと思うのだけれども、公立病院はどうなんだろう。赤字だからってあぐらをかいてもらうと大変なことなんだけど...病床利用率、70%下回れば削減も 公立病院改革
2007年10月26日06時00分(asahi.com)
赤字経営の多い公立病院の経営改善を促すため、総務省が自治体に求める改革のガイドライン(指針)案がわかった。08年度中に改革プランを策定し、3年 以内に黒字化を達成するよう求め、特に病床利用率が過去3年間連続で70%未満の病院には病床数削減や診療所(病床数20床未満)への転換など抜本的見直 しを求める。病院経営に具体的な数値目標を示し、自治体財政の悪化に歯止めをかけるのが狙いだ。過疎地医療を担う地方の公立病院も病床利用率が低迷してい れば、早期の経営改善を迫られる。
2007年10月25日
2007年10月24日

2007年10月23日
2007年10月22日

2007年10月20日

2007年10月19日


報恩講が始まるまでの間に仏具の組み立て作業が私には用意されています。
赤福、売れ残りを再利用 店頭から回収、原材料に
2007年10月19日01時34分(asahi.com)
餅菓子の老舗(しにせ)「赤福」(三重県伊勢市)が製造日を偽装していた問題で、同社が、いったん店頭に並べて売れ残った商品を回収し、冷解凍して販売 していたほか、餅とあんに分離したうえでその一部を原材料として再利用していたことが18日、わかった。農林水産省は19日、本社や大阪工場などに日本農 林規格(JAS)法に基づく立ち入り検査を再び実施し、再利用の実態などを調べる。
私自身赤福は好きでない、それより「あんころ」だろっておもう北陸人である。
でも名古屋の大学に通っていたっていうこともあってちょっと親しみを感じる。高速道路のバーキングエリアでウインドーショッピングしていて赤福が目にはいると名古屋が近くなったとか、何でここで赤福が売っているんだって感じで赤福を見て楽しんでいた。
残るのはもったいない、身持ちはわかるんだけどな。ロスを減らしたいのは誰でも考えること、
やったことは悪いことだけど、心は大事、なんて私は思う。
あるいみ家庭的発想って感じる。
昔母親が、正月をだいぶ過ぎたころ、食べ残った硬くなった鏡餅を餅米をたしてつき直していたことを思い出す。また、ながく食べ残っているものを当然のように冷凍庫に入れて保存して迷宮入りさせていたことも、思い出す。
やっぱ商品を家庭的発想で処理しちゃぁいけないよね。
伊勢名物として赤福は残ってほしい。
何百年残ったんだから、こんなことで終わっちゃいけない。
赤福さんがんばってください。
そういやぁ最近富山駅であんころうってないような、というか視野に入れていないのかな。
2007年10月16日
備忘録
昨日氷見のT沢住職に聞いた話し
大谷派で朱色の蝋燭をご命日などに使うのか、それは朱色の蝋燭より白色の蝋燭の方が高価だった、たから平生から朱色を使っていたとのこと。
たぶん江戸期などは今と違って白色の染料・絵の具なんか高価だったろうなぁ。また白色にすることは技術的には高度だったんだろうなぁ
そう思ったら納得してしまった
2007年10月15日
嘉禄の法難のことが知りたくなって、とりあえず、平雅行さんの「親鸞とその時代」という本をとりあえずアマゾンで購入した。法然滅後の念仏宗の動きが知りたかったからだ。この本を呼んでびっくりしたのですが、聖覚が嘉禄の法難を企てた一人だったというのです。
読んでいて...
疑問が湧いてきました。本の主題とは何時ものように違って、
親鸞と選択集の関係に付いて知りたくなりました。
親鸞は法然に選択集を書き写すことを許可されて目茶苦茶喜んだ
選択集の引用が目茶苦茶少ない
嘉禄の法難では選択集の版木が焼かれた
親鸞は嘉禄の法難では直接的には罰せられていない
もしかしたら親鸞は選択集を誰にでも見せることを良しとしなかったのではなんて考えてしまった。
教行信証執筆と嘉禄の法難は関係していると私は勝手に思っている
2007年10月14日

珍しく更新しない日が続きました。携帯を忘れて金沢に行き、続いて会議があったのでそのまま京都に向かい、携帯のないことの不自由さ、そして公衆電話のない社会になったことをありがたくも教えていただきました。今なら笑い話になるできごともなかったわけでもありません。今日は氷見のお寺に報恩講のお説教のためきています。車を運転できないので泊らせていただきます。ここのお寺にお世話になって15年以上経ちます。最初は助音でお誘いいただいていたのですが何時からかお説教で呼んでいただいています。ここの住職さんと初めて出会ったのは前期習練の時です。フリーをなさっておられました。オアサジの時阿弥陀堂で指示通り各班ごとに一列に綺麗に並んでいると、「おまえら真っ直ぐ並んで気持ち悪い!」と怒られました。そしてその口からめっちゃ酒のにおいがしてました。そんな出会いでした。そしていま毎年報恩講に呼んでくださいます。ちなみに彼は私が出会う前インドなどを放浪されました、そして音信不通の時があったそうです。そのことは彼をしる人の間では有名なことです。いつも夜は酒をつきあっていただるのです。その中でインドのこと、釈尊伝、親鸞聖人のこと、焼き物のことなど教えてくれてました。でも今晩年は一人で酒をいただいています。病気療養中ということで先にお休みになられています。声もしっかり出ていないのでチョッと心配です。また寂しい夜です。
2007年10月13日
弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。ひとりになることのできる宗教→バラバラで一緒
『大集月蔵経』に云わく、「仏滅度の後の第一の五百年には、我がもろもろの弟子、慧を学ぶこと堅固を得ん。第二の五百年には、定を学ぶこと堅固を得ん。第 三の五百年には、多聞読誦を学ぶこと堅固を得ん。第四の五百年には、塔寺を造立し福を修し懺悔すること堅固を得ん。第五の五百年には、白法隠滞して多く諍 訟あらん。微しき善法ありて堅固を得ん。」(安楽集)像法に張った時大乗仏教が始まる 末法に入った時浄土教が盛んになる
2007年10月 9日

今日明日で金沢別院の定例が終わります。チョッとホッとしています。もう終わったかのようです。きょうは最近よくお話しさせていただいています「親鸞は大乗というキーワードで念仏を選んでいかれた」ということを三夢記を手掛かりにさせてもらいお話しさせていただこうと思っています。
朝とは違い雲がなくなりお天道様が私を照らしてくれています。気持ちが朗らかになってきたような気がします。
2007年10月 8日
2007年10月 7日

今日別院の講堂にはたくさんの方々が座っておられました。私の話の内容がよくて、というわけではありません、言わずと知れていることです。でも、本気でそういうことか言える日が来ないかなと思うこともあります。そのわりには…話は元に戻して、デイサービスセンターをご利用の方々か団体で来ておいででした。別院の方の話しによると月に一度ぐらい来られるそうです。
悲しきかな私は話を変えようかと思ってしまったんです。爺ちゃん婆ちゃんがわかる話に……向きの話にするのではなくわかる言葉でわたしがはなせばいいんです、本来は。いつの間にか別院によくおいでの人達のために、ウケる話、ハイレベルな話をっていう思いがあったのでしょうか、今日話す内容はあの人達にはわかるまいと思ったのでしようね。「大乗」という仏教の精神を伝えようとしながらつい…。しんらんさまはなつかしいという歌はハンセン病の療養所だから残ったんだ、歌い継がれているのだっていったんだけど、いったあとですっきりしない、そういってよかったんだろうかと思った。悪を転じて徳となす智慧ということが自分の中ですっきりしたない、はっきりしていないからだろう。とにかく今日も何とか終わった形だけは作れた。内容が問題、何を伝えようとしてるのか、何を語ろうとしているのか?おれは!この問いを大事にしていかなくてはと考えるのだが…

今日も金沢へ向かいます。でも明日は組内のお寺で報恩講が勤まるということで休ませていただくことになっています。金沢行の列車今日は日曜日なのですいているかと思っていたのですが、残念ちょっと混んでいます。車両が平日と比べて少なく連結されています。だから進行方向と逆に向かって座っています。向かいに座っている方はビールを飲みながら鉛筆片手に新聞を見ておられます。結構真剣なまなざしです。よいことあるといいですね!きょうは「しをらんさまはなつかしい」を紹介してからハンセン病のことを話そうと思っています。そのあと「なつかしい」から仏法と私を対峙して生きるっていうことが話しできればと思っています。
向かいの方、高岡で降りていかれました。どこに行かれるのだろう、っていうか私の想像した行き先と違っていただけです。
2007年10月 6日
今日用金沢に向かう特急列車の中で、本日別院で話す内容が全然煮詰まってないから、そんなことしている時間がないのにブログを書き込んでいたけど携帯の操作を誤ってしまい取り返しのできないことをしてしまった。あとで書き込み用のソフトの設定もおかしかったことに気付いた。
結構どん底を漂流しながらお話しをさせてもらった。休憩にはいるまではそこそこっていう感じだった。休憩のあとのこともくみだてられた。はずだった。歎異抄の踊躍歓喜の文章を紹介すれば終わる時間になる、そういう目当てがついたきがしたのです。
でも
歎異抄の言葉が見つからないのです。聖典を繰っても繰っても見つからなかったのです。あるはずのものかみつからなくてあせるは焦る。
携帯からネットで検索しようとしたけど、ユヤクという漢字が全く思い浮かんでこず、しかたなく歓喜で検索した、でも、ヒットし過ぎてたどり着けない。あせるは気ばかりなり
迫るは時間ばかり
結局タイムオーバーだと判断して壇上にたった
当然焦りが継続した中はなしを形だけした。話す中敗北感に近いものが涌いてくる
あのときみつけることができたら〜
なんて何度も思った。
話が終わりちょっと落ち着いてから検索したら見つかった。
ユヤクの躍という漢字だけ思い出すことができた。
そして私の思い込みが発覚
踊躍歓喜の条は11条以降でなく、師訓編にあたんだ!
たぶんこんな経験をしたのでこれからはこの条はすぐに見つけることができるはず
た・ぶ・ん(*^_^*)
キンモクセイがどこからともなく香ってきて良い感じの日なのですが、
午前中に報をしてから金沢に行ったっていうこともあってめっちゃつかれています。
2007年10月 5日

列車事故により大幅に遅れています。開通はした見たいのだけれどどれだけ遅れるかまだはっきりしないのでとりあえず特急列車に乗ることのできる、富山駅までタクシーで向かいました。特急券をかってしらさぎに乗っています。金欠病にかかっている私にとっては大きな出費です。涙 なみだ(∋_∈)
今朝コッソリお寺からお金をお借りしておいて助かりました。でも普通列車と特急列車の乗り心地は全然違います。癖になりそうです。
きょうは帰りは寄り道、教務所で会議です。別院で終わるのが遅れたり、モタモタして出るのが遅れると、また特急列車に乗らないといけません。
家に着いてからもPTAのバザー一品提供のお願いに近所を回らなければいけません。
特急は快適で早い!もう少しで金沢に着きそうです。
2007年10月 4日

iPodに入っている曲も少し飽きてきた感があるので、けさ、アイチユーンでダウンロードしました。おおたか静流のin a silent flowというアルバムを彼女の歌声は透き通っていて心地よい。彼女の名前を知らなくても、コマーシャルなどで歌声を聞いたことのある人は少なくはないと思う。
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今日から明日まで長男は宿泊学習だ。自分のことでいっぱいだった私は何も手伝ってやれなかった。もしかして不安だったかもしれない。申し訳ない思いが少しある。
今日は自分が映し出された姿として三毒、三悪道についつお話しさせてもらう予定です。明日まで引っ張るかも。
2007年10月 3日

鉢に植えてあった朝顔から種が落ち芽を吹き出したのかな。芽を出すのが早すぎたというか、遅過ぎたというか...このままだと枯れていくのが目に見えるのでちょっとかわいそう。植え替えて家の中で育てるのも手かな。でもダメかな?どうたろう?
別院で「経教は鏡なり」ということを話しさせていただこうと考えています。

2007年10月 2日
今別院へ向かうため電車の中です。
まだ二日目なんですがきついっす
お話させてもらう内容を詰めることも精神的にきついのですが、
それよりは
自宅から駅の間、自転車で移動しているのですが、それがきついのです。
もう嫌って感じなんです。
今年の春のときはそんなにきついって感じなかったんですが、
体力が落ちちゃってるんでしょうね。なにせ夏五キロ太っちゃっいましたから、
いつもは体重落ちるんですが、今年はなぜか増えてます。
ということで
きのうはお昼ご飯をぬいてみました、今日からも抜くつもりです。
2007年10月 1日

2007年9月28日
初代新幹線0系、数年内に引退 N700系を大量投入
2007年09月28日09時54分(asahi.com)
初代新幹線として64年に走り始めた0系が、数年以内に現役を退くことがほぼ固まった。東海道・山陽新幹線に7月から導入されたN700系が、11年度 末までに大幅に追加投入されるためだ。丸い鼻が特徴の0系は現在、山陽区間で6編成が「こだま」上下21本に使われている。
この記事を見てちょっと寂しいというかちょっと古き人間になったなぁって思っちゃいました。
でもすぐになくなるっていう訳じゃないみたいだけど。
「走れ超特急」っていううたを知る人は古い人っていわれるんでしょうが、ついでにこの歌が通じなくなるんですね。うたを説明するのに時間がかかりそうですよね。
もう新幹線っていう名前も変えなきゃねぇ?走れ超特急(ちょうとっきゅう)
作詞者 山中 恒 作曲者 湯浅譲二
1 ビュワーン ビュワーン 走(はし)る
青(あお)い光(ひかり)の ちょうとっきゅう じそく250キロ
すべるようだな 走る ビュワーン ビュワーン
ビュワーン 走る
2 ビュワーン ビュワーン 走る
丸(まる)い光の ボンネット じそく250キロ
とんでくようだな 走る ビュワーン ビュワーン
ビュワーン 走る
2007年9月27日

研修会が終わり、そして急がない人達といつものごとくランチ、今日は日本海庄屋じゃなく京都庄屋へ。そして今家に帰るためにサンダーバードに乗っています。今回の講師は泉さん。余りお話を聞いたことのなかった人私のイメージでは鋭く厳しい方でも全く違っていた。オタッキーというかマニアックな人だった。ある意味カルチャーショック高木さんのことにしてもそんなことまで知ってんのって感じだった。凝り性で研究者向き
まぁ楽しかった研修会でした。
抗議、あっと違ってた講義の内容はいつものごとく割愛します。
2007年9月25日

今から京都に向かいます。二泊三日で解放運動要因研修です。ずっとこの間ダウンロードしたけど、まだまともに聞いたことがなかったブルーハーツを聞きながら京都に向かおうと思っています。今回の講師は泉さんです。その筋では超有名人ですので名前は知っているのですが、お話を聞くのは初めて…、と思ったのですがブログに書き込んでいるうちに思い出しました。一度たけ聞いたことがありました。前回のハンセン病問題交流会でお話なさっておられたのを思い出しました。とにかく基礎学習っていうか宿題の本を読んでいません。宿題っていう奴小学校の頃から苦手というか余りやっていません。わが子には宿題と攻め立てているのですが…とにかく今京都に向かっています。心はちょっと多摩にあります。
2007年9月21日
とかきました。RewriteEngine On
RewriteCond %{HTTP_USER_AGENT} ^DoCoMo.* [OR]
RewriteCond %{HTTP_USER_AGENT} ^KDDI.* [OR]
RewriteCond %{HTTP_USER_AGENT} ^Vodafone.* [OR]
RewriteCond %{HTTP_USER_AGENT} ^SoftBank.* [OR]
RewriteCond %{HTTP_USER_AGENT} ^J-PHONE.* [OR]
RewriteCond %{HTTP_USER_AGENT} ^DDIPOCKET.*
RewriteRule ^$ http://www.gobohan.com/i/index.cgi?id=4 [R,L]
RewriteRule ^$ http://www.gobohan.com/index/ [R,L]
2007年9月20日
土俵に女性乱入、高見盛ら取り押さえ(nikkansports.com)
東京・両国国技館で行われた大相撲秋場所11日目で珍事が発生した。幕内の豪風?豪栄道の取組直前に、突然、女性が土俵に乱入。控えに座っていた高見盛らに取り押さえられ、土俵から降ろされた。
2007年9月19日
2007/09/19-11:03 被害1円、盗電で中学生送検=コンビニで携帯無断充電?大阪(時事ドットコム)何かなぁっていうニュース。
コンビニのコンセントに無断で携帯電話をつないで充電したとして、大阪府警松原署が窃盗容疑で同府松原市の当時中学2年で14歳だった男子生徒ら2人を大阪地検堺支部に書類送検していたことが19日、分かった。被害額1円の事件の送検は、極めて異例という。
2007年9月17日
2007年9月16日
2007年9月15日
語意
爾者 そうであるから 帰 従いゆく 大聖 釈尊 真言 真実のことば 閲 よく見る 大祖 七高僧 遠 はるか 偈 うた
正信偈は『行巻』の結におさめられている。教・行巻は大無量寿経の伝承の歴史を明らかにされたもの。 信巻以下は親鸞聖人のご己証をお述べになられたもの。 行巻の次は「顕浄土真実信文類序」 偈前の文がしかればではじまるので、教行巻のまとめ、大経の伝承のまとめが正信偈におさめられている。
帰と大聖と真言 真言といただけるからことその言葉を発した存在が仏である。だからこそ言葉と存在に頭が下がる。
仏恩の深遠なるを信知して作ったものが正信偈
「しかれば」について そうであるから、何がそうなのか?
何故念佛なのかそれがわたしの中で頷けない。だから 「爾者」にかかってくるものがわからない。
国連が「先住民族宣言」を採択 アイヌ民族らに権利章典
(09/14 09:19 北海道新聞)
【ニューヨーク13日三浦辰治】国連総会は十三日午後(日本時間十四日未明)の本会議で、「先住民族の権利に関する国連宣言」を賛成多数で採択し た。宣言は、民族の自決権や土地・資源の権利、知的財産権などを掲げ、各国が「達成を目指す基準」として明記。法的拘束力はないが、起草から二十二年を経 て、アイヌ民族ら世界の先住民族は初の国際的な「権利の章典」を獲得した。
2007年9月12日
海外のメディアも速報 安倍首相の辞意表明
2007年09月12日14時23分(asahi.com)
安倍首相が与党幹部に辞意を伝えたことについて、海外のメディアも東京発で相次ぎ速報した
「局面を打開したい」 安倍首相が会見で辞意表明
2007年09月12日14時22分(asahi.com)
安倍首相は12日午後2時、首相官邸で緊急記者会見を開き、正式に辞意を表明した。
2007年9月11日

四男坊、最近はえようとしている歯がうずくのか、よく何にでも噛み付いています。私の着ている服なんかもよく噛み付いてきます。たまについでに私の肉まで届くこともあります。メッチャ痛いです。涙が出そうです。今日はバウンサーを楽しそうに噛んでいます。
2007年9月 9日
昨日、高山本線の猪谷?角川間が開通した。不通期間中一度だけ代行バスでこの間を通ったのだけど、正直、採算のとれる区間とはいえないところだ。台風の災害により不通となったときわたしは「こりゃぁ廃線だな」っていうことを勝手に思ったぐらいだ。しかし私の予想は見事に外れ昨日開通した。◎高山線3年ぶり全線開通 富山駅で出発式(富山新聞)
二〇〇四(平成十六)年十月の台風被害で不通となっていたJR高山線の猪谷―角川駅 間が八日復旧し、同線は三年ぶりに全線開通した。JR富山駅では同日、運転再開を記念 した出発式が行われ、関係者ら約三百人が富山県と岐阜県を結ぶ大動脈の復活を祝った。
2007年9月 7日
2007年9月 6日

2007年9月 5日
そういえばおわら開催中と有沢線にある高山線の高架を通ったときカメラを持った人がいた。おわらの富山にくる鉄道ファン 目当ては珍しい車両
2007年09月03日01時54分(asahi.com)
大勢の観光客でにぎわう富山市八尾町の「おわら風の盆」。3日までの期間中、全国から鉄道ファンも集まる。お目当ては観光客を運ぶために増発しているJR高山線の車両だ。
JR西日本によると、臨時列車は1日約60本を運行。ふだん使っている車両のほかに京都などから借りるため、定期的に使われていない車両が走ることも。
富山の田園地帯を走る珍しい車両を撮影したり、エンジン音を録音したり。京都市から来た会社員男性(48)は4年前からの常連。でも「おわらは一度も見たことはありません」。
2007年9月 4日

京都に向かうため今サンダーバードに乗っています。児連関係の会議です。でも余り気が進みません。会議が嫌というわけではありません。
実は今月十四日に締め切りのレポート一つ抱えているのですが、まぁ見事に手が付いていないのです。焦っているというか諦めモードに近いものがあります。その意識に焦っています。簡単に仕上がるタイプの奴でないので、なおさらパソコンの前に座る気も湧いてきません。構成ぐらい立てなければホントやばいです。やばいのは頭がそう考えているだけで、気持ちや体が全く付いていっていません。どうなることやらめっちゃ人事です。
とりあえず、カンビールが落ち着いたようなので飲むことにします。
2007年9月 2日
2007年9月 1日
2007年8月30日

原発建設さきにありっていう感じで進められたんだろう。都合のよい調査結果だけを選び取って建設していったのだろうね。柏崎原発の地盤10センチ隆起 活褶曲が動いた可能性
2007年08月30日15時06分(asahi.com)
新潟県中越沖地震で、東京電力柏崎刈羽原発付近から柏崎市街地までの地盤が、幅約2キロ、長さ約10キロにわたり10センチ程度隆起していたことが東洋 大、名古屋大、広島工業大グループの解析でわかった。活断層に押されて地盤が曲がる活褶曲(しゅうきょく)が動いたとみられるが、東電は「活褶曲はない」 という前提で原発を建設、現在も見解を変えていない。研究グループは「東電の調査および国の審査の信頼性が問われる」と話している。
この特養ホームは前にも問題を起こしたところだそうだ。でも、なんてひどい特養ホームだっていう言葉で済むことなのだろうか。コムスンのこともそう思う。「介助に過失」浴室で転落死 特養ホーム入居女性
2007年08月30日01時36分(asahi.com)
東京都東大和市の特別養護老人ホーム「さくら苑(えん)」で、入居していた89歳の女性が浴室で頭を打って死亡する事故があり、同苑は29日、職員の介 助の仕方と施設の管理に過失があったことを認めた。2人で行う作業を単独で行い、女性を床に転落させたという。同苑はこうした作業の実態を以前から把握し ながら、改善策を十分に取っていなかった。
2007年8月28日
うらやましいと行っても携帯電話が使えないということがうらやましいわけではない。まぁ電波の届かないところに行きたいと思うこともあるけど。携帯電波の届かない村で、アンテナ建設を否決 スペイン
2007年08月26日(asahi.com)
今どき欧州でも珍しく携帯電話の電波がほとんど届かないスペイン南部ロスビジャレス村で、電波を中継するアンテナ設置の是非を問う住民投票が23日あ り、1票差で設置案が否決された。「電波が健康を害するのでは」との住民の不安が、不便さを上回った形。村は当分、携帯が使えないままとなりそうだ。
2007年8月25日





2007年8月24日
2007年8月22日

MT4にしてから何故かMTMAILが仕えなかったのですが、設定をし直したら、投稿できるようになりました。
何が違っていたかっていうことがわかってないんです。できるようになったんです。うれしいけど、すっきりしない。
2007年8月20日
2007年8月19日

2007年8月17日
2007年8月15日
2007年8月14日
午前中お参りに出ていると、なし農家の軒先でなしを売っているところがぼちぼち出てきた。2007年8月13日

2007年8月11日
毎朝毎夕のおつとめとして『正信偈』を読誦してきた
始まりは蓮如上人頃 以前までは六時礼讃といわれている
何故『正信偈』読誦されてきたのか
あながちに、もろもろの聖教をよみ、ものをしりたりというとも、一念の信心のいわれをしらざる人は、いたずら事なりとしるべし。(お文5-2)
しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。元久乙の丑の歳、恩恕を蒙りて『選択』を書しき。同じき年の初夏中旬第四日に、「選択本 願念仏集」の内題の字、ならびに「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」と、「釈の綽空」の字と、空(源空)の真筆をもって、これを書かしめたまいき。同じ き日、空の真影申し預かりて、図画し奉る。同じき二年閏七月下旬第九日、真影の銘に、真筆をもって「南無阿弥陀仏」と「若我成仏十方衆生 称我名号下至十 声 若不生者不取正覚 彼仏今現在成仏 当知本誓重願不虚 衆生称念必得往生」の真文とを書かしめたまう。また夢の告に依って、綽空の字を改めて、同じき日、御筆をもって名の字を書かしめたまい畢りぬ。本師聖人、今年は七旬三の御歳なり。『選択本願念仏集』は、禅定博陸月輪殿兼 実・法名円照の教命に依って撰集せしむるところなり。真宗の簡要、念仏の奥義、これに摂在せり。見る者諭り易し。誠にこれ、希有最勝の華文、無上甚深の宝 典なり。年を渉り日を渉りて、その教誨を蒙るの人、千万といえども、親と云い疎と云い、この見写を獲るの徒、はなはだもって難し。しかるに既に製作を書写 し、真影を図画せり。これ専念正業の徳なり、これ決定往生の徴なり。仍って悲喜の涙を抑えて由来を縁を註す。(『教行信証』後序)
善信の由来
【親鸞三夢記】
親鸞夢記云
建久二歳辛亥暮秋仲旬第四日ノ夜
聖徳太子善信ニ告勅メ言ク
我三尊化塵沙界 日域大乗相應地
諦聽諦聽我教令 汝命根應十餘歳
命 終速浄土入 善信善信真菩薩
正治第二庚申十二月上旬
叡南旡動寺在二大乗院一同月下旬終月
如意輪観自在大士 告命シテ言ク
善哉善哉汝願将滿足
善哉善哉我願亦滿足
建仁元歳辛酉四月五日ノ夜寅時
六角堂ノ救世大菩薩告二命シテ
善信ニ一言ク
行者宿報ニシテ設ヒ女犯ストモ
我成リテ玉女ノ身ト披レン犯セ
一生之間能ク荘厳シテ
臨終ニ引導シテ生セシム極楽 文
(ママ)
干時建長二年庚戌四月五日ノ寅時
愚禿釈親鸞七十八歳
書之
女人禁制と結界石
無動寺回峰の途中に大乗院があることは先に書いた。大乗院は親鸞聖人が二十八歳、後生の一大事に悩まされ、比叡山の南、無動寺の中にある大乗院に篭られたと あるところだ。参篭の満願にあたる正治二年(一二〇〇)十二月三十日如意輪観音が現れて夢告にあずかった。「大乗院の夢告」というものである。その夢告を 受ける二年前にこんなことがあった。
悩みに悩んでいた親鸞さんは京都の慈鎮和尚を尋ねる。指南を受けての帰り道、延暦寺別院の赤山禅院の前を通りすぎた時、女性からが声をかけられた。
「私は悩みごとがたくさんあります。ぜひお山にお連れくださいまし」
比叡山は女人禁制、女人結界の地であるからその申し出を親鸞さんは断る。
しかし女性は言う。
「伝教大師ほどのお方が〈一切衆生悉有仏性〉という経文をご存知無いのでしょうか。全てのものに仏性があるとお釈迦様は仰っている。このお山は何故女を差別するのでしょうか。」
「女が山に入ると山が穢れるならば、鳥や獣のメスでこの山は汚れているのではないでしょうか。」
「鳥や獣のメスは山に入ることが出来、人間のメスは入ってはならないのはどうしてでしょうか。」
「お願いでございます。全ての人の救われる真実の仏教を明らかにしてくださいまし」
女性はこういうと姿を消しました。このことは深く親鸞さんの心に焼きついたのでした。
比叡山に女人禁制を設けたのは伝教大師である。それが高野山・吉野大峰などに及びさらに著名な霊山でも女人禁制を定めていく。修行の場においての対女性の煩 悩を断つことが求められ、その手段として女人禁制を厳しくしたものである。仏教が女人を不浄と考えるからだとする説があるがそれは間違いだ。あくまで修行 の段階における女人禁制なのだ。のちに道元・法然・存覚らは女人禁制を批判否定する。親鸞は肉食妻帯を宣言する。赤岩禅院前の女性が〈一切衆生悉有仏性〉 の問をした時より五年後のことであった。


2007年8月10日
2007年8月 8日
2007年8月 5日
ここ二ヶ月になるのだろうか。
肩が上がらなくなり、
医者の診察によると、○○肩っていうやつと、そして手がしびれているのは首のヘルニアだとか。
○○肩の宝は肩の関節になめらかにするための注射を週に一本、そしてヘルニアの方は積極的な治療ではなく症状をだますための注射。コレは二日に一回だとか。そういう治療にも消極的になりあまり通っていない、気が向いたときだけ。
肩が上がらずしびれるのは結構へこんでいる。視力が落ちたときから比べてもへこんでいるような気がする。もしかしたらそのへこみを今は忘れているだけなのかもしれないけど
インターネットでも治療法を探してはいるがまだ実行はしていない。
今までできたことができなくなっている、簡単にできたことが今は結構苦労してやっている。
そのなかで何かが削がれていくような思いもする。夢を抱いてもあきらめざるを得ない感じ。
ちょっと大げさに表現したけど、そんな感じのちっちゃいやつが私の心の中にある。
そういう意を抱いているとなぜ果位のkanお人人っていう言葉を思い出す、そして考えた。
宗祖親鸞聖人がおっしゃるゐなかの人々と呼ばれている人々の生活は、
生きる希望みたいものを削ぎ取られている人々ではないかと。
自然、災害から削ぎ取られる、そして削ぎ取られることにびくびくしている。
そういう人々が宗祖の教えに、生き方に出遇い驚いたのではないだろうか。何故か元気が出たんではないだろうか。
都の人々からひととして扱われず、そして自然におびえながら生きている人々
その人々が宗祖と出遇い、生き方の転換が生じたんではないだろうか。かわりめっていうやつ。
なんかそんな気がするな。
自分には教えが教えとして出遇えていない。だからなかなか変わり目が生じない。
そんなことも感じるな。
2007年8月 4日

アブラゼミがうようよし出しました。やっぱ夏ですね。でも、蝉の声いつもは今ごろうるさく感じる時期なのですが、今年はまだそうは感じません。夏を実感する音として聞こえています。もう少しでお盆です。お盆が過ぎると夏の終わりを知らせるツクツクボウシが泣き出します。今年の八月はどうなることやら
私はお参りの移動手段として主に自転車を使う。
今日もいつもの通り自転車でお参りのばしょへとチャリンコを漕ぐ。
だけどいつもよりペダルを漕ぐ足が軽い。すいすいと進んでいく。
まいにちのように自転車に乗っているから足の筋肉がついたのかと思い、ちょっとにっこり!
しかし、たいがい帰りの際にそれは思い違いだということを知らされる。今回もそうだった。
帰り道こんどはペダルが重い、なかなか進まない、ついでに向かいから風を感じるのだ。
そうなんです。
いつもの勘違い。自分の足がきつくなったのではなく、追い風によって、追い風の力によってペダルがかく感じるだけなのだ。
いつも向かい風によって自分の事実を知らされるのだ。勘違いを知らされるのだ。
2007年8月 1日
今朝城端別院の本堂布教から帰ってきて早速ごぼはんだよりを仕上げました。
しょうじき昨日まで全く手をつけてなくての今日ですので、いつもながらに結果として手抜き仕上げになっています。
よろしければごらんになってください。
2007年7月29日
ここ数ヶ月お参りのあとの茶飲み話にタヌキの話題がよく出てくる。
どうもウチから1キロほど離れた施設の近くの川の橋に巣を作っているらしい。 そいつがどうもいろんなところに散歩しているらしい。そいつの目撃情報が茶飲み話になっているみたい。
今日もあるウチで
ウチのネコタヌキとけんかして勝った!
っていう話になった。一見おとなしそうネコだし、体をなでてあげても逃げはしないやつ、あごも私にはなでなで指してくれるやつだ。そいつがタヌキと喧嘩をして追い払ったって?
おまえなかなかやるやつじゃん。
噂をされているのを知ってか知らずか外をのぞいています。
もしかしてもうしばらくしたら
狸に化かされた!っていう話が飛び込んできそう!
っていうか飛び込んできてほしい。
人間ども!俺もここで生きてるよ! いつかおまえらを化かしてやるぞ!
2007年7月24日
今朝は朝から日差しが強いです。
昨日まで気ぜわしく生活していたので、たたけにあまり足を運んでいませんでした。当然野菜の収穫も滞っていました。翼下ぶりに今朝行ってきて、たくさん収穫をしてきて、コレどうしようって感じぐらいたくさんの収穫です。
ゴーヤの小さいのが一つやっと実らせていました。もう少しで食べれそうです。
朝顔もようやく花を持ちました。また今朝蝉もちょっと騒がしかったです。
これからナツらしい感じになっていくのかな?というよりなってほしいものです。
2007年7月21日
以前修練のスタッフをしていたとき、といっても一年間後期前期のそれぞれ一回ずつしかしていないんだけど。その時先輩スタッフから聞いた話しを思い出した。
安城の御影はソラブキの御影だといわれているっていうことを
口笛を吹いているような格好をするのがソラブキだとか、
そしてその姿を宗祖はあえて書かせたと、
師が弟子に自画像を描くことを許すっていうことは、上足の弟子の証だとか、
上族の弟子の証である自画像にあえてああいうふうに書かせているのだと。
ああいう格好をしておられたというのも間違えのないことだろうけど、このように書けといわれたのは間違えないとのこと、写真でないのだから書き換えるのは簡単なこと。
親鸞聖人生存中の姿を描いた「安城御影」の服装や所持品などが、念仏聖たちのものと一致する。親鸞聖人は晩年に『善光寺如来和讃』を作って、「善光寺の如来の、われらをあはれみましまして、なにはのうらにきたります(善光寺の阿弥陀如来は私たちをあわれみ救うために、百済(朝鮮半島の国)からはるばる日本の難波(大阪)の港にわたって来られた)」といっている。また『親鸞聖人伝絵』に親鸞聖人の姿を描こうとした絵師が「夢にみた善光寺本願の御房とそっくり」と言ったという話がしるされ、善光寺と親鸞聖人とは深い関係があった。
念仏聖の姿をしておられるっていうこともだいじだけど、空を拭いている姿。
だからソラブキっていうことは、いい加減なあてのないような振りをすることをいうのだと推測する。
そういう絵を宗祖は弟子達に与えた。
その願いは、
弟子一人ももたず候っていうことなのだろうか。
善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。そのゆえは、如来の御こころによしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ、如来 のあしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもっ て、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします
そういうことなのだろうか。
わかんないけどどっちかなよう泣きがするな。
「アルツハイマーの人でもわかる」麻生外相が講演で発言
2007年07月19日20時16分(asahi.com)
麻生外相は19日、富山県高岡市内で講演した際、国内外の米価を比較する例え話の中で「7万8000円と1万6000円はどちらが高いか。アルツハイマーの人でもわかる」などと発言した。
もう一昨日の話になっちゃうけど、
この発言、
テレビのニュースや、新聞などに問題であるって指摘されると、問題だと感じるし、配慮というか、そういうのがないなぁって感じるが、
人ごとではないっていうか、自分もこういうような感覚が内在しているようでならない。「○○でもわかる」っていったり思ったり平気でしている自分がある、
自分の中に、人間のランクみたいものがしっかりある。なくそうなくそうと思っても無くならない。気をつけていても賦5と指摘のゆるみから出てしまう、思ってしまう。人を見下してしまっている自分。
麻生外相、「不適切発言」と撤回し陳謝
2007年07月20日13時44分(asahi.com)
麻生外相は20日、富山県高岡市で前日に講演した際に「アルツハイマーの人でも分かる」と発言したことについて「不適切なものがあった。発言を撤回し、不快な念を持たれた方々と関係者の方々におわび申し上げたい」と陳謝した。外務省内で記者団の質問に答えた。
不適切と認め謝るまではいいんだけど、謝ればいいっていう問題ではないと思う。謝罪は終着点ではなく、始まりだと思う。それこそ終わりなき歩みの始まりなのだろう。
中学校のと気今思い出せばあればいじめっていうことだろうって反省すべき事実が思い浮かんでくる自分。近所にいる少し知恵遅れの人がいる、そのひとをみているめちゃ差別的な自分の視線。どちらも消してしまいたい自分の姿。なかったことにしたい。
何なんだろうなぁ、こんな自分。
どうしたらいいんだろうなぁ、おれ
こう思っていることも忘れてしまうんだろうなぁって感じる自分。
そう感じるとお先真っ暗です。
でも、麻生さんよりましだって思ってしまっている自分。
情けないねぇ
歩み出せ!俺
2007年7月20日
2007年7月19日
私は今中越地震の情報をテレビやネットから覗いているだけ。
幸いにもって言う言い方は何なんだけど、三年前大きな地震を経験したということで行動が速いっていう感じも見受けられる。そしていろんな協力体制が整っている。
特に企業や団体との連携がシッカリできている感じだ。
でも、
しっかり出来過ぎって感じ。
個人が入り込む隙がないっていう思いが涌いてくる。
救援物資にしても溢れたりして無駄になるっていこことがなくなり良いんだけど
お金さえ送ればいいのかなっていう思いになりそうだ。
つながろうと思っても断ち切られそうな気もする。
支援救援の完成度が上がってしまったな。
それはよいことだ、それは間違いのないこと。
でも、ひねくれた私なんか、居心地の悪さを感じ、近づきたくない感じを持ってしまう。
そんな感情も間違いなく私にある。
自分にできること、自分の居場所にしっかり根をはって自分のできることを探そう、探さなくちゃぁ。
2007年7月18日
原発直下に断層か、建設の前提に疑問 中越沖地震
2007年07月18日03時03分(asahi.com)新潟県中越沖地震(マグニチュード〈M〉6.8)を起こした海底の断層は、東京電力柏崎刈羽原発のある陸地直下にまで及んでいるとみられることが、気象庁などによる余震分布の解析でわかった。同原発建設時の想定(M6.5程度)を超える地震を起こした断層が直下にあるとはっきりしてきたことで、運転再開に慎重な判断が求められるだけでなく、昨年改定されたばかりの原発耐震指針で十分かも論議を呼びそうだ。
えっ!とおどろくというか、やっぱりっていうどっちの思いも涌く記事が目に入った。
この夏までに原発を稼働したい東電だったけど、そういうわけにはいかないだろうな。
北電も原発が止まっており、足りない分をどこからか調達したい。
今年の夏本当に電気が足りないっていう事態が猛暑だと起こるかも?
気象庁などの見解が間違えであったとデータを改ざんするか、原発を止めて作り直すか、どっちを選ぶかということで、これからの日本が決まりそう。本当は早急に廃棄してほしいんだけど、多分そんな選択肢は国行政にはないだろう。
これまで通りエコな原発というブラックジョークを通すのだろうか。エコかもしれないけど何かあれば命が危ない原発、どうすんの?
エコよりも、電気よりも大事な、いのちそういうことを忘れてはならないと思う。
人間のエコで、じゃなく、エゴで地球の環境になれて育っているいのちをさずかった様々な動植物の存在が危ぶまれている。
地球は人間だけのものじゃない
これだけははっきりしていること。
これからの日本がどうなるかっていう大きな分岐点になる現実が原発の真下に活断層という時日だと思った。
今から寝ようと思ったけど、この記事見て、心が躍っている。興奮している。喜んでるわけはない、だから動揺しているっていうべきなのかな。とにかく寝付けそうにもない。
本当にどうすんの?どうなんの?
レンタル掲示板やレンタルのHP二は最近、広告が着くものが増えてきた。
私の場合はイトしてネットの運営費稼ぎとしてグーグルの広告を貼っていた、以前。
やっぱ、自分の思いではこの広告はねぇって思うものも付いていることがある。
同じ思いなのだろうか、
「広告は当方と全く関係ありません」
と注意書きしてあるHPもたまに見かける。
でも、この表現が気になる。
関係がないっていうことはないんじゃないの?
だってスポンサーなんだもん。
スポンサーに失礼だよ!
クリックしていただくごとに広告収入が入る、または、広告が貼りつられていることによって、そのサイトは運営されていっているんだもん。
やっぱ関係がないっていうことを書くのは失礼だよ。
広告が困るのなら、自分でサバーを借りて広告のないものにすればいいじゃん
そうしないのであれば関係がないっていうのはおかしいよ。
「当方が推薦する内容とは限りません」
っていうような表現の方がいいんとちゃう?
2007年7月16日
昨晩というか今日の未明、寝付けなくてつい、PCの前に座り色々とうろうろしていた。
最近善鸞という名告りが自分の中出来になっていてそういうことを今回は特に探し求めていた。
そして富山聞光会の無量寿仏観経のページにたどり着いた。
そこで広瀬さんが、宗祖19歳の聖徳太子廟での夢告の最後の文を
と読んでおられることに目がいった。
自分は誰から教えてもらったのかしっかり覚えていないが、わたしは「よく信ぜよよく進ぜよ真の菩薩よ」と呼んでいた。「菩薩よ」と「菩薩を」の違いなんだけど、そこに目がいった。
私は親鸞聖人に対して真の菩薩よって聖徳太子が呼びかけておられると解釈していた。
でも広瀬さんは必ず必ず真の菩薩が現れになられるっていう感じでお訳しになっている。すなわち組の真の菩薩というのは法然上人にあたるのだろう。
広瀬さんの読み方の方がうなずける、私は。
宗祖三十三歳のときに師法然上人より選択集を書写することを許され、そして上人の図画する事も許され、ある意味、真の弟子、上訴区の弟子と認められたとき、夢を見て善信という名前にしたいと法然に相談し、そうなったと言われている。善信と名告るからには夢の内容は、聖徳太子廟の夢告に非常に近いものだったか、それにまつわるものだったのだろう。 だから真の菩薩とは法然上人を指すのだと思う。
明懇十四歳なるべしと宣告され、その間に真の菩薩が現れることを信じなさいと。その夢を見た十年後、寿命いくばくもないとされる29歳の時、真の菩薩は誰だったんだろうかって六角堂に籠もりお考えに宗祖はなられ、その答えを法然上人と導き出されたんだろうなぁ。
私は、大乗仏教の神髄へ歩んでいく往相回向の菩薩として読み取っていた、だから親鸞さんが当てはまった。広瀬さんは、私の読む限り、大乗仏教の神髄へと導いて下される現像の菩薩として読まれ法然上人をイメージされている。
広瀬さんのほうが絶対に読みやすいし、うなずきやすい。
これから私は広瀬さんの読み方をする。
2007年7月15日
今朝、雨が降っていません。明け方というか未明は振っていた缶だったんですが、雨もかぜも全くありません。
富山は元々台風の影響の少ないところ、台風が太平洋側をゆけば北アルプスが壁となり風があまり来ません。日本海側を通ればさすが暖かい南風が吹くのですが
今多分台風が一番と山に近づいているとき、風も雨もありません。鳥たちも「台風がひどくなかったね」ってささやきあっています。本当か!
台風の被害が大変なところに申し訳ないぐらいです。
地盤がゆるんでいるそうですから今しばらく気をつけていてください。
うちのもと庭も結構ぬかるんでいました。
でもこれから吹き返しは吹いてくるでしょう。
雨が降り続いていたのであまり家の周りを見ていなかったのですが、ムーグンファが咲いていました。
2007年7月12日
(昨日撮影)
今週は蓮が二つ咲きました。でも一つは寝っ転がっています。鼻が重たいのか、茎が弱いのか?
春先にちょっと肥やしをやり過ぎたのだろうか。
蕾はいつつあります。
昨日何故か水に浮いている葉っぱをはさみで切りました。
自分でやったのですが理由はわかりません。
やりたくなったからって司会いようがありません。
でも水に浮いている蓮の葉を取ることは蓮には良いこと?悪いこと?
疑問が残る
2007年7月11日
今晩、組の親鸞聖人講座(兼門徒会研修)でお話しすることになっています。
組からは宗祖の御生涯の総論をっていうことです。はじめ御伝鈔のビデオを見て組の後お話しせよとのことです。
個人的には総論とはならず、『教行信証』の後序を気にしながら、愚禿の名告り、そして善信の名告りということを中心としてお話ししようと思っています。
竊かに以みれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛なり。しかるに諸寺の釈門、教に昏くして真仮の門戸を知らず、洛都の儒林、行に迷うて邪正の道路を弁うることなし。ここをもって興福寺の学徒、 太上天皇諱尊成、今上諱為仁聖暦・承元丁の卯の歳、仲春上旬の候に奏達す。 主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し怨を結ぶ。
これに因って、真宗興隆の大祖源空法師、ならびに門徒数輩、罪科を考えず、猥りがわしく死罪に坐。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて、遠流に処す。予はその一なり。しかればすでに僧にあらず俗にあらず。このゆえに「禿」の字をもって姓とす。空師ならびに弟子等、諸方の辺州に坐して五年の居諸を経たりき。 皇帝諱守成聖代、建暦辛の未の歳、子月の中旬第七日に、勅免を蒙りて、入洛して已後、空(源空)、洛陽の東山の西の麓、鳥部野の北の辺、大谷に居たまいき。同じき二年壬申寅月の下旬第五日午の時、入滅したまう。奇瑞称計すべからず。 『別伝』に見えたり。
しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。元久乙の丑の歳、恩恕を蒙りて『選択』を書しき。同じき年の初夏中旬第四日に、「選択本願念仏集」の内題の字、ならびに「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」と、「釈の綽空」の字と、空(源空)の真筆をもって、これを書かしめたまいき。同じ き日、空の真影申し預かりて、図画し奉る。同じき二年閏七月下旬第九日、真影の銘に、真筆をもって「南無阿弥陀仏」と「若我成仏十方衆生 称我名号下至十声 若不生者不取正覚 彼仏今現在成仏 当知本誓重願不虚 衆生称念必得往生」の真文とを書かしめたまう。また夢の告に依って、綽空の字を改めて、同じき日、御筆をもって名の字を書かしめたまい畢りぬ。本師聖人、今年は七旬三の御歳なり。『選択本願念仏集』は、禅定博陸月輪殿兼実・法名円照の教命に依って撰集せしむるところなり。真宗の簡要、念仏の奥義、これに摂在せり。見る者諭り易し。誠にこれ、希有最勝の華文、無上甚深の宝典なり。年を渉り日を渉りて、その教誨を蒙るの人、千万といえども、親と云い疎と云い、この見写を獲るの徒、はなはだもって難し。しかるに既に製作を書写し、真影を図画せり。これ専念正業の徳なり、これ決定往生の徴なり。仍って悲喜の涙を抑えて由来を縁を註す。(『教行信証』後序)
親鸞夢記云
建久二歳辛亥暮秋仲旬第四日ノ夜
聖徳太子善信ニ告勅メ言ク
我三尊化塵沙界 日域大乗相應地
諦聽諦聽我教令 汝命根應十餘歳
命 終速浄土入 善信善信真菩薩
正治第二庚申十二月上旬
叡*南旡動寺在二大乗院一同月下旬終月
前夜四更ニ
如意輪観自在大士 告命シテ言ク
善哉善哉汝ニ願将滿足
善哉善哉我カ願亦滿足
建仁元歳辛酉四月五日ノ夜寅時
六角堂ノ救世大菩薩告二命シテ
善信ニ一言ク
行者宿報ニシテ設ヒ女犯ストモ
我成リテ玉女ノ身ト披レン犯セ
一生之間能ク荘厳シテ
臨終ニ引導シテ生セシム極楽 文
(ママ)
干時建長二年庚戌四月五日ノ寅時
愚禿釈親鸞七十八歳
書之(親鸞三夢記)
2007年7月10日
今朝おつきあいのあるお宅から父親が亡くなったという案内があった。
そこで明日夕方お話しをする予定が入っていたことを思い出し、
お通夜とダブらないかということが無性に心配になった。
どうなるんだろうかって不安になりいろんなことを想像した。仮定した。
そして上に唯一六曜が載っているカレンダーがかけてあるところまで飛んでいって、明日の六曜を確認した。
ラッキー!
明後日は友引になっている。
顔がほころぶ自分だった。
キャンセルや日程調整をしなくてよかった!
友引バンザイ
平生は
友引だって葬儀をしても良いんだよ
六曜は私たちには関係ないよ
って言っている俺
しかし 今回ばかりは
やっぱ友引は葬式しちゃぁダメッしょ!
っていう思いがメチャクチャ強くなってます。
そしてこの学習会、自分が所属している組のものなんだけど、わざと友引の前日に日を選んでるんじゃないんですか?
なんていうこともつい疑ってしまいます。
とにかく無事にダブルブッキングにならなくてよかった。
それ、もろもろの修多羅に拠って真偽を勘決して、外教邪偽の異執を教誡せば、
『涅槃経』(如来性品)に言わく、仏に帰依せば、終にまたその余の諸天神に帰依せざれ、と。略出 『般舟三昧経』に言わく、優婆夷、この三昧を聞きて学 ばんと欲わば、乃至 自ら仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道に事うることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良 日を視ることを得ざれ、と。已上(化身土巻)
かなしきかなや道俗の
良時吉日えらばしめ
天神地祇をあがめつつ
卜占祭祀つとめとす(正像末和讃)
2007年7月 6日
ニガウリも沢山花をつけるようになってきました。でもまだ実の方はもっていません。もうちょっと時間がかかるかな。
ニガウリの花は何かかわいいです。
目の調子が悪くて落ち込んでいる私にとって何か哀愁さえも感じとってしまいます。
早々今朝初めて一つオクラを収穫しました。でも一つでは食べ方が思い浮かばない。そう思ってしまう私です。
2007年7月 4日
昨日二?三日中といっていた蕾が今朝咲いていました。昨日の夕方あらためてみていたら下の花びらがはがれそうになっていたので、明朝だなって実は思っていました。
昨日はいつもお参りをさせていただいているお宅のお葬式があり、その事でちょっと疲れて余裕がなく、
思いとしては蓮が咲く瞬間をビデオで撮りたいんです
なかなか叶いません
富山は今は曇っています。九州の方では大雨だと聞いています。
ある意味梅雨明け前の一降りって感じなんでしょうが、
多分そんな他人事どころじゃないですよね。
そういえばいつも梅雨明け間近に降る大雨で多くの災害が九州地方で起こっているのですから。
こんなところにも久間サンで話題になっている「しょうがない」っていうおもいが私の中にもある!
他人事だけど、アベクンもしょうがないって久間さんの辞任を認めた(もしかしたら辞任をお願いしたのかも、待っていたのかも。) 。この発言を見過ごしたというか、重大な問題と思わなかった自分の責任を問わず、トカゲの尻尾切りみたいに 。
Nice black joke!
コメディアンになる素質十分ですね。
蕾6つ ちっちゃい蕾、花になることなく一つ枯れていました。
2007年7月 3日
最近気に入っている言葉がある。
それは
人間といういのちの相
という言葉である。
これは真宗大谷派が月一回発行している機関紙「同朋新聞(どうぼうしんぶん)」(月一回の発行なので新聞と紹介しづらい)のワンコーナーのタイトルだ。いのちと人間の関係を見事に言い当てている言葉だと私は思っている。
大谷派の宗祖750御遠忌テーマよりくらべものにならないぐらい良い言葉であり、私に響いてくることばだ。
でも、じつは同朋新聞のこの記事を一度もないのも事実だ。
私という人間のすがたであり、いのちのひとつのあらわれなんだろうなぁ?。
でもそのことがすぐに忘れてしまうというかうなづききれないことなんです、私は。 ハイ!
二つ目の蕾もだいぶ膨らんできました。順調にいけば後に三日で開花っていうところでしょう。
ちょっと画像をいじりすぎてちょっと会が風な色遣いになってしまいました。
デジカメはどうしても白系の色があると色のバランスが崩れがちです。最新式のデジカメだとそうでもないのかも知れませんが、4五年前に買ったデジカメはまだまだそこが弱いです。
2007年7月 1日
久間防衛相、講演で「原爆投下、しょうがない」
2007年06月30日(asahi.com)久間防衛相(衆院長崎2区)は30日、千葉県柏市の麗沢大学で講演し、1945年8月に米軍が日本に原爆を投下したことについて「原爆を落とされて長崎 は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないなと思っている」と述べた。原爆投下を正当化する発言 とも受け取られかねず、野党が久間氏の罷免を求める動きを見せるなど波紋が広がっている。
この発言こころいたくなる。何かのためには仕方ない。こんな論理私もよく使う。しかし「仕方ない」という発言で終わらない人達もたくさんいる。
国家体制を維持するためには多少の犠牲は仕方ない。こういうことなんだろう。こういうことを思っている防衛省のトップ、この人が採る戦法もこうなるのだろう。
日本は民主主義国家らしい。主権在民らしい。やっぱりらしいとしかいいようがない。
多少の犠牲は仕方ない、その言葉の奥に当然だ。というものが見えてくる。仕方なかったっていう言葉は、懺悔の言葉なのか、それとも自己肯定の言葉なのか。本当に仕方ないと思っているのなら仕方ないという言葉では終わらないだろう。終わりなき歩みが始まるだろう。
ジャータカ物語の「シビ王と鷹と鳩」の話しが思い出される。
検索エンジンでこのブログにたどり着いた記録
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こんなんでました?
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ブログのカレンダー月を越えると書き込みがないときには表示されません、何とかしたいのですが、自分で作ったものではないのでどうして良いの変わりません。借り物ってこういうとき困りますよね。ちょっと勉強してみようかな。
でも毎月月初めの朝早く書き込めば書き込めばいいわけだけどね。こんな感じに。
2007年6月30日
何とかというか、気力なく、ごぼはんだより145号を仕上げました。
日野直作六コマ8コマ漫画は、次号で終了する予定です。
漫画が終わってからどうやって穴埋めするか決まってません。頭痛の種です。
良いご縁としてまた自分の文章を沢山書いていければ良いんでしょうけどねぇ。
2007年6月29日
今朝、結構強い雨が降ってました。でも止んだので、もしや蓮開いていないかなっていう気になり見に行ってきました。
最初の蕾君が開いていました。
でも枯れ、苦器が細いので蕾の時でさえ垂れ下がっていたんですが、開花するともう地べたにつきそうなぐらいもっと垂れています。
めっちゃ写真を撮るのに苦労しました。
アングルが蓮らしくないせいか一見蓮とはわかりませんねぇ。
彼が悪いわけはないけど
二番めくんもそろそろ開花しそうです。
蓮を育ててこれで二度目の夏を迎えようとしています。
花はいっぱいつけてくれているのですが、ただひとつ望みがあります。
それは開花の瞬間を体験したいのです。同席したいのです。
聞くところに夜と蓮の花は咲くとき、「ポ?ン」という音がするらしいのです。この開花の音が聞きたくて仕方ないのです。
でも、蓮の花は朝早くかいかします。私の起きる時間はいつも咲いてしまっています。
また、子ども達を学校に追い出さなければいけないので、何かと忙しないです。
といいながらネットをしているときも結構あるのですが
蓮の花に集中して開花の瞬間に立ち会いたいです。
誰か開花の瞬間ビデオで撮ってある人がいると見せてもらいたいぐらいです。
2007年6月26日
今朝NHKを見ていると年金について取り上げていた。
そしてどこかの世論調査によると今度の参議院の選挙の争点は年金問題だと。
私はその事でメチャクチャ腹がたたない。っていうか
ふぅ?ん
って感じ。
またかぁってかんじ。
その懇敵には政府に対してほとんど期待していないからだろう。
選挙の投票に行く気力を奪われる。
いつ頃か私は払った年金が帰ってくると思って納めていない。ひとつの税金として払っている。また、所得税から碾いてくれるからなをそう思うのだろう。
だから今の五十代以上の人との意識にずれがある、と思う。
でも税金という意識で払っているものとしてもいいたいことがある。
自分がかけたおかげが全額帰ってくるとは全く思わないし、そうしろとも思わない。そうなら嬉しいけど。
でも、
一階しっかりした会計監査をしてほしい。
帳簿上いくらあって、実際いくらあるのか。
そしていくらたりないのか。
私はまずそこをうたがっている。
あつめたものの責任としてせめて戦後六十年の会計監査をじっくりしてほしい。形ばかりのはいやだ。しっかりしてほしい。そしてここから未来を見据えたい。
信頼してほしいっていう姿を見せてほしい。
蕾を六つもっています。でも本当は七つだったんだ!一個折れていました。折れていたんじゃなく、着れてました。多分心ない人がそうしたんだと思います。ちょっと悲しいです。
一番最初に顔を出した芽は重たくなりまっすぐに立つことができず大変そうです。二番目に顔を出したやつが一番背高のっぽです。一番目と二番めくん、だいぶ色をつけてきました。来週、再来週には花を咲かすような感じです。
2007年6月25日
本日祠堂経絵が終わりまして、ちょっとほっとしています。
来月2日に一座、中旬に2?3座祠堂経のお話しをするご縁をいただいています。
そこで珍しくお話しを作ってみようかっていう思いが涌いています。
ひとつは
真宗エコ学(運動)
もうひとつは
「シビ王と鳩と鷹」についてお話しをしたくなってます。
エコ学については長男坊が学校でエコの授業を受けてきて、エコナ生活をしようということを家でもちょっと人選している、私はしている振りをしています。でもこの運動がファシズムにならなかったらいいのになぁって思ってます。できない人を切り捨てていかなければいいのになぁって心配しています。そういうことを少しお話しでキタラって思ってます。
もう一つのシビ王の話しなんですが、小野はなしはいのちに思い軽いっていうのはないのだっていうことが主題だと私は思っているのですが、その事と、何だろう、っていうか、「してあげげた」 という私たちが履いている下駄はやっかいなもんだ。だけど他に履き物をもたない。 歎異抄の慈悲の問題を考えてみたいと何故か思っています。
このことに今興味があるってことかな。このブログでももう少しに詰まれば書き込むかも知れません。
2007年6月23日
ハンセン病シンポに行ってきました。
一昨年のことがあって足を運ぶのがちょっと重かった。懇親会には出たい、出ようという気がおこらなかった。
神さんにお聞きしたいことがあったのだけど
神さんの話しの主題とは違い話しを聞いて感じたこと、
?解剖承諾書を入園するときに書かされたという話しがあった。それは文章の内容からいうと承諾書ではなく、解剖願いのようであった。
この承諾書に署名捺印するということは、人間として生きるという夢をそぎ取るはたらきをしていいるのだろうって思った。おまえの存在意義は唯一死ぬときで医療のために解剖してもらうことしかないのだっていうことを指し示すものとして外貌承諾書があったのではって考えた。
?解剖承諾書のことを考えていたら胎児標本のことがリンクされてきた。
標本、堕胎させるということは、母親として我が子を育てるというある意味当然の夢をそぎ取ったというか、当然の事実を奪い取ったもの、解剖承諾書と同質のはたらきがあるのではって。
そんなことを考えると、ハンセン病療養所が今医療として主としてしなければいけないこと、それは園が、行政が、社会が、ハンセン病もと患者さんから奪ってきた夢をもつこと、人として生きていくという当然の夢を、願いを取り戻していくという治療が必要なのではって思う。それにしては時間がなさ過ぎっていうことも感じる。
このあいだあるハンセン病の療養所に行って自治会の役員の方のお話を聞く機会があった。その方は主体的な自治会活動をされているっていう感じを受けることのできないお方だった。その事もあるのか、療養所の将来構想のことをおたづねしても、「夢も何もない 」なんていうようなお話しをされ、正直びっくりした。その後、ある人とその事について話しをしていて、いろんな構想をしても、テレビなどから入ってくる状況を見るとき、老人問題、ちほうしょうのたいさくなどの状況を耳や目にしてどんな夢を抱いても現実しっこないっていうおもいのほうがつよくなるのだろうなぁっていう話しをしたか、自分が勝手に思ったことがある。
神さんの昨日将来構想のことをお話しなさったのだが、園の社会復帰として療養所にいる人だけが園の治療を受けるのではなく、いわゆる一般開放する、老人ホーム化するっていう構想を紹介されたのだが、園の社会復帰という意義を抜きにしてこの表面的なことが現実化することの危険性を自分は感じた。
私の個人的な思いのハンセン病療養所の将来構想のイメージとして、園におられる元患者さんは、行政や国民に人として人と生きる保証を最後までしてほしいという働きかけをしていくこと。そして行政としては園にすむ方に経済的な問題と意図して医療の一般開放、老人施設の受け入れを御願いしたいという要望する。 私たち国民は、この事実をわすれないようにしないといけないと近いそのために必用なことを考えていく。そういうのがある。
園におられる方々が、医療の一般開放老人施設を誘致(?)っていうのを構想としてもつのは違和感があった。「園そのものの社会復帰」 という意味が見えてなかったというか、その願いが届いていなかったんだろうな。って今は思う。
あとひとつ
神さんは「あなた方一般市民の方々」 と私たちの呼びかけられていた。違和感があり、重たく感じた。私たちに一般市民と呼びかけられるっていうことは、神さんは一般市民に入っておられないって言うことなんだろう。壁や溝をそこに感じた。
色々考えた異臭感だった。
箇条書きで支離滅裂な書き込みでした。お許しを!
2007年6月21日
久し振りに家のまわりを散歩すると、ラベンダーが満開でした。この状態が祠堂経まで保ってくれるとこちらとしてはたすかるのですが でもそれはこちらの勝手な思い。
ガクアジサイも美しく咲いています。
四日ぶりに畑に足を運んだのです、が
トマト一本枯れています。もう一本も枯れそうです。どうも病気のようです。他に移さないためにも除去した方が良いのかも、どこかにまだトマトの苗(?)売ってないかな。挿していっても良いのだけど、でも病気が移るかもっていう気もするし 、悩んでしまいます。
小さい茄子と六つほどとちっちゃいキュウリを一本収穫してきました。
2007年6月18日
先週初め、ポットにキュウリの種をまいた。
そして少し芽を出したのだが、
でも今はその芽がいない
芽を出しては次の日いなくなる。
?
どうも鳥の仕業のような気がしてならない
あいつら芽を食ってるなぁ!
許せん!
でも証拠は全くない
というわけで今日ホームセンターに行ってネットを買ってきました。
でも、今日多分かけられない。
今日の朝から家にいないのだ。
朝小杉駅でサンダーバードに乗って研修会へと向かうことになっている
ちょっと気がかり。
今何故か目が覚めたので今やっと研修会へ行く準備をしています。
今、目が覚めなかったら起きてから用意する予定だったのだ?
今から寝るつもりだが余裕を持って朝早く目が覚めたらネットを張って出かけるつもりだ。
2007年6月17日
只今四男坊三男坊(指摘され訂正します)、自転車に乗る訓練中です。
昨日補助輪をhasuしてやり、やる気満々です。
このまま練習してくれれば間違いなく今週中に乗ることができるでしょう。
練習を続ければですが、これが持続しない四男坊三男坊です。
2007年6月16日
今日あるお宅をお参りして、帰り際車庫から家主さんが現れた
戸棚にある猫の餌、カラスが戸棚を自分で開けて食べていて、近づいてびっくりしたっていわれました。
賢いカラス
そういえば一でも自転車のカゴにもらったお茶菓子として蒟蒻畑を置きざりにしたとき、しかかり、封を開けて蒟蒻畑だけを取っていかれた記憶がある。
やるね!からす
カラスも生きていくのに必死だ
2007年6月14日
今朝小学校組の息子たちを学校に追い出してから、ふとメダカの写真が撮りたくなり悪戦苦闘していました。
レンズがあわなく挫折して蓮をふと見ると
蓮に二つ目のつぼみが出ているではないですか。
チョット嬉しかったです。
ほとんど無理だと思うのですが、再来週勤める祠堂経の時に花を咲かせてくれると本当に嬉しいのですが、
ここ二?三年の経験からすると多分間に合わないでしょう。
2007年6月13日
今日お参りに行ってお勤めを始める前に
「今日、祥月だから」っていわれた。
ドキッとしました。というのもそのデータが私の中になく、いつものお勤めをしようとしていたからです。
私はいつものお参りの時は正信偈草四句目下 同朋奉讃式という感じのお勤めをしています。 そして祥月などの日は、嘆仏偈をプラスしてお勤めしたり、念仏和讃を三首引の三淘にしたりしてます。
今日も、三首引にしようかと思たのですが、
ふと、
嘆仏偈をプラスしてお勤めするのと、三淘にするのは同格だろうかって不安になり、というか時間的に一緒なんだろうかってつい思ってしまいました。
そこで正信偈を読誦しながら、念仏和讃に五三淘があるのだから、三二淘のお勤めを作ってもいいかなって思ったのです。
でも私の思ったのは二三淘だったのです。その事にまた気づきました。
五三淘というのは、念仏が五つ淘で御和讃が三淘、私が作ろうとしたのは、念仏が二つ淘で、御和讃が三淘というもの。
念仏と御和讃の格が逆だったのです。
ナンマンダブツという言葉より、宗祖の教えとしての和讃の方が自分は尊いとやっぱ思っているんですよね。
危ういいただき方をしている私が見えたのでした。
声明という伝統の中で、大事なことを気づかせていただいた、ひとときでした。
2007年6月12日
今朝畑に行ってピーマンをひとつ取ってきました。
初収穫!
そんな感じでうきうきしていたのですが
これは本当にピーマンなんだろうかってこれを見ながら思ってしまいました。
決して哲学的な問いではありません。
本当にそう思ったのです。
色を見るとどうもピーマンらしい青みがない
色づこうとしている
これもしかしてパプリカというかカラーピーマンでは
そういう思いが強くなってきている
そんな朝でした
2007年6月11日
先ほど畑の方へ散歩に行ったらあじさいが咲いていました。もうそんな季節なんですね。
今日は結構まったりしていました。
午前中は一軒お参り、途中ホームセンターにより、花の苗と、冬瓜そしてオクラの苗を買いました。そして昼ご飯を食べてからそれらを植えました。結構ゆったりしています。
今そうでないことに気がつきました。
お参りが少ない日はそうなんですが、だからといってゆったりできる日ではなかったのです。
祠堂経の案内を地域にポスティングするって決めていた日でした。
残念!
というか情けねぇ?
チャンチャン、でした。
今週中に必ずポスティングするぞー!
いあy、明日から必ずしたいのだ?
2007年6月 9日
家のはいろんな花木があるのですが、ほとんど名前がわからないものばかりです。「花が咲いている」っていうところで終わってしまいその気の名前を調べるところまでいかないのです、私は。興味がないっていうことでしょうね。これも多分タイサンボクだと信じている木です。ネットで調べてみたのですが、多分間違いないでしょう。
蓮のつぼみも前回よりはチョット背が伸びた感じです。でも、つぼみ自身はあまり脹らんでいません。
経あるお宅へお参りに行ったとき、村の人が朝市みたいところにもう茄子を出したっていう噂を聞きました。早速うちのはどうなっているだろうかって見に行くと小さい実がひとつありました。
トマトも花を持っていますし、ミニトマトまだまだアオイですが実をつけているのもあります。でも、葉っぱが黒くなり始めています。枯れているのもあります。病気にやられた感じです。早速黒いところを切り落としました。よくなればいいのだけど。このあいだトマトを五本ぐらい刺したのですが、二本生き残っていました。大きくな?れ!
2007年6月 6日
2007年6月 5日
今日は環境の日だそうだ。
環境省のHPによると
6月5日は環境の日です。これは、1972年6月5日からストックホルムで開催された「国連人間環境会議」を記念して定められたものです。
とある
そこで一言!
バイオ燃料って本当にエコなの?
最近つくずく思います。
バイオ燃料というのは多分、トウモロコシやサトウキビから作る燃料のことをいうはずです。
これが何故エコかといえば、植物からるくるという理由だけです。この植物が育つ間、光合成をして二酸化炭素を酸素に変換してくれるからだそうだ。バイオ燃料を使用したときの二酸化炭素に排出量は他の物とそう変わらないそうだ。
バイオ燃料を作るために新たにその食物を作るのならそれは意味があるのかも知れない。だけど、今まで作っていたものを外於燃料用に作物を買えたり、今までの物をそのまま使っているのである。どれだけバイオ燃料を使っても本当は意味のないことだ。農作物の量が変わらないとダメなのだ。
そしてもう一つ、
このバイオ燃料ブームで、穀物の価格が高騰している。
それが気になる。
私たちは豆腐の寝願が上がったってノンキな話しですむけど、
経済的に豊でない人はどうだろう。バイオ燃料に使う穀物を主食としている人達はどうだろう!
そんなノンキな鼻血ではすまないのではないだろうか。
買えない、食べられない、
なんてことが起こってくるのではないだろうか。
経済的に豊かな国の独りよがり、マスターベーションでないだろうか、バイオ燃料を使うっていうことは。
人間に優しいのだろうか、生活環境に本当に優しいのだろうか!
実は表面的な、数値的だけのエコを私たちはしているのではないだろうか。
バイオ燃料だけではなく。
環境に優しい原子力発電なんてブラックユーモアーをブラックユーモアーとしてではなく胸をはって電力会社はコマーシャルしてるんだから!
2007年6月 4日
気づけば、機が機に小手鞠と思われる花が咲いていました。そういえばこのあいだ白川郷に行ったとき大手鞠という物があるということも教えてもらったことだった。
これは昔からある花、ピンクと白い花を一緒に持つ花です。昔花瓶に生けようとしましたがすぐにしおれてしまいました。多分水切り見たいことをしなくちゃいけんかったんだろうなぁ。
なしの実もだいぶ大きくなってきました。といってもまだピンポン球よりは小さいです。そういえばなしの花が咲いてたのは四月中旬だったかなぁ?
どうも六月になり東本願寺HPの御遠忌バーナーが変更されている。かわいい二匹の猫がデザインされている。摩訶それはそれで良いのだが、
それをクリックして宗祖の750御遠忌のHPにいくと中央にフラッシュ映像がある。
それを見て、うぅ?っ
コピーとして
「
夢を見ない
絶望しない
」
とある。
夢を見ない、でいいんだろうかと思う。
教学的にはそんな表現でも良いのかも知れない。
だけど
浄土往生は夢ではないのだろうか?
浄土往生は目標ではないのだろうか?
少なくても最初はそうであったはずだ。
念仏の道は何故歩んでいるのだろうか!
この道を歩みたいっていう願いがあるからではないだろうか、
その願いは夢とは言えないのだろうか。
今の世の中
夢を持たないから 絶望もしない
こんな感じなのではないだろうか。
今の世の中を言い当てていることとしての表現ならそれはそれで良いんだろうけど 。
被差別民衆の大多数が真宗門徒である
その方々は何故真宗門徒になられたのだろう
前世の業が悪かったと強制的に人のいやがる仕事をさせられ蔑視されてきた
そして現世も人の罪深い仕事をしていると思いこまされた
後世も罪深い輩だから地獄に堕ちるだろうと思いこまされてきた
今の不平に不満を抱き表現するものも墜地獄と教えてきた
夢を持てない生活を送ってこられたのが被差別民衆であったのでは
その事を僧俗共に業だから諦めよと説いてきた
今の自分を引き受け不満を言うなと諦めさせてきた
罪深いと思いこまされ生活させられてきた人達に、
そういうあなた方を阿弥陀如来様は救ってくださると
説いた人がいる
そしてその言葉に喜び踊った方々
それが被差別民衆だったのでは
初めて浄土往生という夢を持たれたのでは
浄土往生という目標を持たれた
いや
自分の心の奥底にしまっておいた
オレも生きたい、人としていきたい
という思いがあったことに気づいていかれた
心の奥底から湧きだしてきた
諦められない夢を思い出されたのだ
3日は急遽祠堂経の法話にいってきました。
いつもながら、それ以上に何を話ししようと煮詰まらないまま向かい、
お寺に向かう途中、「祠堂」について話しをしようというか、ここから話しをしてみようかと思い、そうしました。
今回は「祠堂」ということについて、めちゃめちゃいいわけ的な言い方をせず、「先祖を供養すること」という一番定説になっている説明の仕方をしました。いつもこの言葉を説明するときは、ホント力業で言い訳してます。お経をまつるお堂を相続する、何て具合に。
ついでに徳川幕府によって奨励されたものが「祠堂経」だと聞いたことがあるのでそのこともちょっと紹介しました。余談ですが法要を各家庭で勤めるように奨励もしている、これはお寺の経済を助けるという意味合いもあるでしょうし、徳ば和幕藩体制維持するための思想的バックアップシステムのようなものだと思います。
ある意味幕府から先祖を供養しろと押しつけられたのだけど、それが幕藩体制が崩壊した今、崩壊してもう何百年の今でも続いているのなぜなのか、という問いかけを前半しました。
そのことの私なりの答えを攪拌したわけです。
ちょっと力業ですが、先祖を供養すること、感謝しそれに応えるには、経を教えとして相続していくしかないのではないか何て言ってしまいました。
供養するためにお経を読むのは(祠堂経)、死んだ人に読んであげるのではなく、今生きている私が、今ここに座っている私が聞くためなのです。先祖の願いにお経を教として聞く身になるという決意で応えていくことが、仏教徒として大事なのではないだろうかって、いっちゃいました。
後半はふと流星さんの二日の日のお話を思い出し
富山藩で合寺令という廃仏毀釈が行われたが、なぜそのあとお寺が復興されていき、富山別院を子雲龍していったのだろうかという流星さんの問いかけが頭に浮かんできました。
同じ話しをしたということではないのですが、
先祖は私達にたすかってほしいと願われている
阿弥陀如来は私を救わん我ためにやっってこられている
私は救ってもらわなければならん存在なのだ
罪悪深重煩悩熾盛の衆生である私ということが自覚できていない私だ
そういうことを結構ストレートにお話しさせてもらいました。
念仏が今なぜ相続されているのか、そんなことを問えば、
難しいことではない、哲学的なことではない、ましてや教学を理解されたからではない、
何て思いました。
私の今日の一応の答えは
「如来この世に出興したもう所以は」そのことに頷かれたからだ
でした。
2007年6月 2日
今日の午後組の同朋大会が当時で開催されました。講師として流星さんをお招きしました。
初めてプレゼンお説教、というか、プロジェクターと使った法話を体験させていただきました。
黒板を使っての法話より間違いなくわかりやすい!
視力の弱い私なんかいつも黒板に書いてある字を読むのを諦めていましたが、今回はしっかり大丈夫でした。
プレゼンお説教(勝手に名づけましたが)もう少し手軽にできるようになるのであれば私もまねしようかとも思いました。
証じゃなくても、むがし学校の先生がやっていたように、黒板に貼り付ける見たいことをしていってもよいと感じました。自分も工夫しようとチョット思わせていただきました。
準備で疲れましたので、今日はこのへんで!
2007年6月 1日
さいきんなんだかかブログやコメントを投稿するとタイムアウトになったり、時間がかかるなぁって思っていた。
ふと、シックス・アパート のHPに行き、以下のようなアナウンスがあった。
そして指示に従い訂正しました。
今日の朝ご飯、
汁ビーフントッピングにわかめ、鶏ミンチ、ネギです。
後汁をかけるだけです。
私たち夫婦の文は、ビーフンではなく、春雨です。ビーフンをゆでる量が少なかったです。とっさに目に入ったのが春雨だったので春雨をゆでました。
2007年5月31日
今日、来月の寺報を作らなくてはということもあって早起きした、というか早く目が覚めたので色々作業をしていた。
四時半前から作業をしていたということもあって、思ったより早く寺報作成作業が終わった。もう少しこれば凝ったこともできたのでしょうが、真玉だそんな気力が湧いてきません。やっぱりもう少し肩が痛い。
六時前に作業が終わったので、子ども達の朝ご飯作りに入り、チョット凝ってみようかという気が湧いてきた。
そこで、
ささみ蒸しとキュウリの和え物棒々鶏風(冷しゃぶのごまだれとマヨネーズであえたもの)、
ふわふわ玉子(玉子を泡立機で空気をいっぱい入れてから焼いた。 チョット火が強かったのと、醤油を少し垂らしたせいで焦げちゃいました。
ミニトマト
ごま塩を振りかけたご飯
以上でした。
でも三男坊は昨日の夜ご飯を食べていないのに、全然食が進みませんでした。後二人も美味しそうには食べてくれませんでした。 でもいつものことです。
残りの物が私たち夫婦の朝食です。
うちの朝食は子ども達があり、その残りで自分たちが済ませるって感じです。
密かに美味しかった!っていう一言を言わせることを夢見て朝ご飯作っています。
2007年5月30日
たいがい富山でお菓子やさんで「きんつば」買うと四角ではありません。丸いのです。そしてべっとりした物が多いです。
四角のきんつばも美味しいけど、まあるい富山のきんつばも美味しいです。
私がうんまいなぁと思っているきんつばは戸出にある森菓子舗のきんつばです。
あんこをべっとりしめった小麦粉でくるんであります。表面は焼いてあるのでべっとりはしてませんが。
特長としては剣鍔のような形をしています。ある人は「ケンツバ」ってきんつばのことを言っていたぐらいです。
一度食べるとやみつきです。全国共通語のきんつばだと思って食べるとがっかりくるかも知れません。いわゆる「今川焼」の親戚だと思って食べた方が美味しいかも知れません。
おまけショットです。昨日の四男坊
2007年5月29日
蓮の葉っぱが睡眠で気持ちよく浮かんでいるのだけでなく、オレは立ちあがりたいんだ!っていうやつが出だしました。
芍薬も満開、じゃなく、満開を過ぎています散り始めています。
苺もいろみ始めています。でも、やっぱり苗を植えた時期が遅く、実はちっちゃめです。優香はまだまだ実が小さくて色味もしていません。残念!
ラベンダーも少し色がついてきました
2007年5月24日
23日組門徒会研修会で、白川妙善寺さんにおじゃましてきました。
白川郷へは何度か行ったことがあったのですが、明善寺さんに訪れたのは初めて、だって、拝観料がもったいなかったから。
2007年5月23日
畑の野菜たちが花を持ち出し始めました
野菜立ちも元気に育っています。
が、同じようにわたしにとって不用な「草」と呼ばれる植物も元気に育っています。
草またい草またい がんばらなくっちゃ!
2007年5月22日
明後日小松でお話しをしなければいけないのですが、いつものようにまだまだスッキリしていません。
ふと思い立って、教行信証の総序と後序が重ならないかと表を作成してみました。
重なるような重ならないような
明後日は、話しがまだスッキリしなかったら、逃げの手として、宗祖の不安っていう感じで、承元の法難でも取り上げてみようかともチョット思っています。
今わたしにとって不安って何だろう?なんて思っています。
kろえだっていうの画人制を振り返っても出てこないんです。
そういえばそうだったなぁっていう感じのものは浮かんでくるのですが、
不安をごまかしたり、後回しにして生きてきた証拠なんだろうか、これ。
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竊かに以みれば、 |
竊かに以みれば、 |
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難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。 |
聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛なり。 |
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しかればすなわち、浄邦縁熟して、調達、闍世をして逆害を興ぜしむ。浄業機彰れて、釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまえり。これすなわち権化の仁、斉しく苦悩の群萠を救済し、世雄の悲、正しく逆謗闡提を恵まんと欲す。 |
しかるに諸寺の釈門、教に昏くして真仮の門戸を知らず、洛都の儒林、行に迷うて邪正の道路を弁うることなし。ここをもって興福寺の学徒、 太上天皇諱尊成、今上諱為仁聖暦・承元丁の卯の歳、仲春上旬の候に奏達す。 主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し怨を結ぶ。 これに因って、真宗興隆の大祖源空法師、ならびに門徒数輩、罪科を考えず、猥りがわしく死罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて、遠流に処す。予はその一なり。しかればすでに僧にあらず俗にあらず。このゆえに「禿」の字をもって姓とす。空師ならびに弟子等、諸方の辺州に坐して五年の居諸を経たりき。 皇帝諱守成聖代、建暦辛の未の歳、子月の中旬第七日に、勅免を蒙りて、入洛して已後、空(源空)、洛陽の東山の西の麓、鳥部野の北の辺、大谷に居たまいき。同じき二年壬申寅月の下旬第五日午の時、入滅したまう。奇瑞称計すべからず。『別伝』に見えたり。
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かるがゆえに知りぬ。円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳を成す正智、難信金剛の信楽は、疑いを除き証を獲しむる真理なりと。しかれば、凡小修し易き真教、愚鈍往き易き捷径なり。大聖一代の教、この徳海にしくなし。穢を捨て浄を欣い、行に迷い信に惑い、心昏く識寡なく、悪重く障多きもの、特に如来の発遣を仰ぎ、必ず最勝の直道に帰して、専らこの行に奉え、ただこの信を崇めよ。ああ、弘誓の強縁、多生にも値いがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽せられなば、かえってまた曠劫を径歴せん。誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。 |
しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。元久乙の丑の歳、恩恕を蒙りて『選択』を書しき。同じき年の初夏中旬第四日に、「選択本願念仏集」の内題の字、ならびに「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」と、「釈の綽空」の字と、空(源空)の真筆をもって、これを書かしめたまいき。同じき日、空の真影申し預かりて、図画し奉る。同じき二年閏七月下旬第九日、真影の銘に、真筆をもって「南無阿弥陀仏」と「若我成仏十方衆生 称我名号下至十声 若不生者不取正覚 彼仏今現在成仏 当知本誓重願不虚 衆生称念必得往生」の真文とを書かしめたまう。また夢の告に依って、綽空の字を改めて、同じき日、御筆をもって名の字を書かしめたまい畢りぬ。本師聖人、今年は七旬三の御歳なり。『選択本願念仏集』は、禅定博陸月輪殿兼実・法名円照の教命に依って撰集せしむるところなり。真宗の簡要、念仏の奥義、これに摂在せり。見る者諭り易し。誠にこれ、希有最勝の華文、無上甚深の宝典なり。年を渉り日を渉りて、その教誨を蒙るの人、千万といえども、親と云い疎と云い、この見写を獲るの徒、はなはだもって難し。しかるに既に製作を書写し、真影を図画せり。これ専念正業の徳なり、これ決定往生の徴なり。仍って悲喜の涙を抑えて由来を縁を註す。
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ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈、遇いがたくして今遇うことを得たり。聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬信して、特に如来の恩徳の深きことを知りぬ。ここをもって、聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。 |
慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。深く如来の矜哀を知りて、良に師教の恩厚を仰ぐ。慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。これに因って、真宗の詮を鈔し、浄土の要を う。ただ仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲を恥じず。もしこの書を見聞せん者、信順を因として疑謗を縁として、信楽を願力に彰し、妙果を安養に顕さんと。 『安楽集』に云わく、真言を採り集めて、往益を助修せしむ。何となれば、前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり、と。已上 しかれば末代の道俗、仰いで信敬すべきなり。知るべし。 『華厳経』(入法界品)の偈に云うがごとし。もし菩薩、種種の行を修行するを見て、善・不善の心を起こすことありとも、菩薩みな摂取せん、と。已上 |
西本願寺で「降誕会」祝賀能舞う(京都新聞電子版)
京都市下京区の浄土真宗本願寺派本山・西本願寺で21日、宗祖親鸞の生誕を祝う「降誕会(ごうたんえ)」の祝賀能が催された。重要文化財の南能舞台で門信徒3000人が鑑賞した。
本願寺派の降誕会は親鸞の誕生した1173(承安3)年4月1日を新暦に置き換え、毎年5月20?21日に法要が営まれている。祝賀能は歴代門主が能を好み、法要の行事としてきたことにちなんで開かれている。
西本願寺で宗祖親鸞聖人の降誕会が催されたそうです。
えっ
宗祖がうまれたのは今?
なんて大谷派に所属するわたしはつい思ってしまう。
これも暦が変換されているのだ、って感心する。
明治に、暦が太陰暦から太陽暦に変わったとき、こんなずれが東西両本願寺でおこっている。 西本願寺は季節を大切にしたというべきか、このころにあたると太陽暦に換算されている。
だから宗祖のご命日も、大谷派では11月28日、本願寺派では1月16日、同じ人のご命日が二日ある、なんていっても過言でないかも。
大谷派にずっぽり浸かっているわたしなんか
明治前の書面には(お文など:これも大谷派ではお文だけど、本願寺派では御文章という)ご命日は28日と書いてあるのに伝承されている日は16日なんてやりにくいのでhないかなんて言う心配をしてしまうんだけど、
多分余計な心配なんだろう。
2007年5月21日
東本願寺から新しい絵本が出たというので注文してみた。
A6版の本なので小ささにチョットびっくり。正直もうちょっと大きい本だと思っていた。
内容はいろんな虫の紹介。
接写レンズで虫のアップ写真がいっぱい。
自分が小さいときもしかしらこんな感じで虫を見ていたかもとチョット思った。
多分そんなことはないけど。
大人になるとなかなか虫をじっと見る機会がない。
手にとって観察しようとなかなか思わない。
そんなことを思わせてくれた。
でも、虫のアップ写真はなかなか面白い。
そして美しい。
いつのまにか童心に戻っていくような感じも。
今森光彦のOfficial Worksここにはイベントの案内も載っていた。
この行事すごく興味をもった。時間とお金が有れば家族で参加してみたい。
でも、このHPには東本願寺から発行されているこの本のしょうがいがなかった。 チョット気になった。
後、この絵本、90ページぐらい有るので、もしかしたら小さい子はチョット持久力がもたないかもとも思った。
2007年5月18日
怪しげなタイトルにしましたが、優香とはタレントの名前ではなく、苺の品種です。先月花屋さんで買ってきたんですが、売りが実の大きさがBカップだそうな。
今朝、畑を見に行くと、だいぶ草が生えてきていました。草むしり草むしりっていう声がどこからともなく聞こえてきます。
苺を植えた畝を見に行くと、一瞬、花の苗と苺の苗を間違えて植えてしまったと思った。白色ではなく、薄紫の花を咲かしていました。私の固定概念には苺は白い花を咲かすって言うのがあって、失敗失敗と思った。
でももう一度よくその苗を見てむると、小さい苺の実をつけています。間違いない苺だ。
はやくおおきくな?れ
と願い、美味しく食べることを夢見ています。
何せBカップですから?
2007年5月17日
一昨日同じ宗派で近所のお寺の自称住職さんが亡くなられた。自称、宗派から認められていないけど、見津から名告り、お寺にご縁のある方は就職と思っておつきあいしておられた人です。宗派としては認められていないって言うことを知っておられた方は結構その中でもおられたのかも。
宗派が認めていないって言うことは私にはあまり問題がない。お寺の住職であるって言うことを自らの名告りにしておられることもあまり問題だとはわたしは関いてない。ただ、有る宗派の寺院の住職と名告ることは問題なのかも知れない。 お寺にご縁のある方が住職と扱って取られることは大事なことだと思う。
ただ、その方にどれだけ宗祖親鸞の願いを担っていこうとされているのかって言うことは大事なことだ。でもその事は住職として認められているかどう勝手いうことは問題になってこないことだと思う。一人の僧侶としての問題、一人の真宗門徒としての問題だと思う。
さて、
その方の葬儀が明日あり、その準備に昨日から伺っている。
自分が所属するお寺にご縁のある方の葬儀似合う度最近は、ベルトコンベアーに乗らない葬儀はないものかなんて思ったり、故人らしい葬儀、遺族の人達らしい葬儀ができないだろうかなんて葬儀似合う度考え、絶望みたいものをする。
お寺の葬儀になると、式次第を考えていく立場にある私自身、そんなことを考える余裕がなく、前例通りなんてつい考えてしまう。
そうなるとやっぱりベルトコンベアーにのるしかないのか
弔う気持ちに葬儀にあたってなるって言うのはやっぱり遠く感じてしまう。
葬儀はいくつもある、でも同じ葬儀はないはずだ。弔う対象も違うし、そこに集ってくる人も違う。
それぞれの葬儀だ。葬儀の数だけのやり方があるはずだ。それが見えてこない。
執り行う方も、なかなか一度きりの葬儀とは思わずについやってしまう。
何とかその事から解放されたい。
以前ある同派お寺の住職さんが、最近葬儀は葬儀屋の思うままになっていると歎かれ、僧侶馬主同県を取らなければならないと言われていた方がいた。そんときはそうだなぁと思ったが、そうではなく、遺族の方々が主体的に関わるべきだと思う。僧侶と葬儀屋さんと遺族が一緒になって作り上げていくものなのだろう。誰かが主導権と取るとするならばやっぱりそれは葬儀屋さんでもなく、また僧侶でもない。やっぱり遺族だ。
今日あらためてそう感じた。
2007年5月15日
研修会から帰ってきてからアマゾンで買ってあったパッチギ!
を見た。
パッチギ!の新しいシリーズパッチギ!ラブ&ピースがロードショーになるというので、見ていない前作が無性に見てみたかった。
疲れもあったのか、涙した場面もあった。子どもや嫁はんのいることを無視しながら見入った。
最後まで見たくなって最後まで殻にこもってみていた。
差別問題研修会に行っていろんなことを考えていたと言うことも重なった。涙した。
差別はなくなるのかと問われれば
なくなるとは言い切れない現実がある。
コリアンと日本に住むものが仲良くなれるのかって言えば
何ともいえない。歴史を知れば知るほど 胸をはってそうだとは言えない。
ただ、
できるできないと言うことではなく、差別をなくしたいし、民族を超えて仲良くなりたい。
一人ひとりの出会いの中からでしか始まらないのだろう。
私はそう言う道を歩みたいのだ
2007年5月13日
明日の午後からのとのしが町で差別問題研修会があり、参加します。
こちらにて開催されます。
HPを見ればゆったり過ごせそうな感じ、
何ですが、研修会ですからそうはいかないでしょう。楽しみは正直日程終了後の交流会というか飲み会です。
講師は大学の時授業を受けた男のあるお方です。チョット会うのが楽しみです。
先ほどおやこのつどいを終えました。
今回は一応お釈迦さまの誕生会ということでやったんですが、お釈迦さんのこと一言も喋りませんでした。忘れてました。
お勤めをした後、
ロールケーキを使って簡単カップケーキ作り、
試食会、
勝手に子ども達かくれんぼ顔にごっと始まる。
最後に形だけ絵本を読みました。読んだのは「寿限無」
ロールケーキは安いのを買い、またホイップクリームも安いのを買ったので、スポンジはぱさぱさ、クリームはしつこい、って感じでした。フルーツ缶のシロップでロールケーキを少し浸して食べるともう少し美味しくいただけたかもと後で反省。
読みがたりもいつも読み慣れているものということで「寿限無」を選んだんですが、それが逆目、次男坊が知っているので寿限無寿限無 と言いだしチョット場を壊した。最初に約束するか、子どもたちのいないところで彼らの知らない本を練習しなくては反省。
とにかく終えました。
おつかれおつかれ
2007年5月11日
躍り食いをしようと持って買ってきたヒメダカではありません。
蓮の鉢に泳がしていたヒメダカがほとんど越冬できなかったんで化いたしました。
揺られに揺られ何とか家に着き
気持ちよく泳いでいます。
2007年5月10日
先日大学時代メチャクチャお世話になったO先生からメールが届いた。
久しぶりに人に伝えたい歌に出会いました。今もその歌を聴いてます。聴きたい人はネットで「さよなら戦争」で検索してください。以前好きだった「じゅん とねね」のねねがうたってます。自由にダウンロードできますよ。ぜひ聴いて。またよかったら友達に紹介してください。こんどの親鸞塾(5月12日)のテ ーマソングにします。ちなみに歌詞を書いておきます。“サヨナラ戦争”歌詞 (一部)「愛の時代が来るよ、人々の心に やさしさと喜びがあふれる そんな時代が来るよ。 感じて今すぐ、あなたの心に 平和な地球のVISIONを抱きしめよう。いつか 平和な地球が 当たり前になるまで 心の中に 平和の種をそだてよう。 地球上の子供達が 武力によってその未来を絶たれることなく、イノチをまっとうできますように。サヨナラ戦争!! サヨナラ殺し合い!!」
早速検索し、聞いてみました。優しい感じの歌声でした。皆さんも一度聴いてみてください。
後得体がつかめていないのですが、さよなら戦争でヒットしたHPもあります。
チョット気にしながら見ていくつもりです。
2007年5月 9日
さっきパチンコ台の必殺仕事人のコマーシャルが流れていた。
ふと、新屋英子さんのことを思い出した。
直接的なつながりはないんですが、
風が吹けば桶屋が儲かる的なもんです。でもわかる人はつながりが多分わかる。
新屋英子さんの一人芝居は、東本願寺で開催されている同朋ジュニア大会という仏教子ども会の大会のスタッフとして関わっているとき(今も関わっているのだが)その大会でよく一人芝居を見た。
そんで、
ふと検索エンジンで真也さんを検索してみると、
新屋さんのHPがありました。
私は関西芸術座に所属していたと思っていたんだけど、チョット思い違いだったかな。
よかったら訪れてみてください。
東本願寺から絵本百冊もらってということがあって、
次のおやこのつどいで絵本を読む予定にしている。
一般的に「読み聞かせ」っていわれているが、
何かその表現に違和感を感じる、私は。
「きかせ」っていう表現はすごく押しつけを感じる。
聞いてもらいたくて読むんだから聞かせるっていうのは正しい表現っていえばそうなんだけど。
強制的に聞きなさいっていうのがいや。
よかったら聞いてっていう感じが個人的には好きだ。
そこで今回本をみんなの前で読むことを
どういえばよいか悩んだ。
ネットを有漏ちょとしながら、そしていろんなことを思い出しながら出てきた言葉が、
「かたり」っていう表現だ。
こっちの方がチョット強制的なことが感じられないんではって思う。
語り部っていう言い方もあるし
今回はとりあえず使ってみる。
誰か良い感じの表現知りませんか?
今回読もうって思っている絵本は、
東本願寺からもらった本ではないのですが、
寿限無か
まんじゅうこわい
という落語絵本のどちらかと今んとこ思っています。
何故この本かといえば読み慣れているっていうのが一番。
そして特にマンコワは実はひと昔じゃなく二昔ぐらい大学の大学祭で披露したこと有るんです。
もうやれっていわれてもできませんが
安倍首相の靖国神社への供物奉納、私人としての事柄=官房長官(asahi.com)
[東京 8日 ロイター] 塩崎恭久官房長官は8日午前の会見で、安倍晋三首相が靖国神社の春季例大祭に合わせ、「内閣総理大臣」名で供え物を奉納していたとする各社の報道について、「総理の私人としての事柄であり、政府としてコメントすべきではない」と述べた。
ここ数日このニュースが賑やかだ。
私費だから許されることなのだろうか。信教の自由という観点から考えると、国の宗昭が肩書きを書いて供物を供えるというのは印象的によくないと思う。また、私は毎年供物を供えているのかどうかと言うことも私は気になる。首相になる前、国会議員になる前、靖国神社に毎年参拝し、供物を供えていたんだろうかということが気になる。何故国会議員になって参拝するのか、首相になって供物を供えるのだろうか。詩人であるときはあまり関わりを持たなかった人が幸甚になって関わるということは公人だからこそしなければいけないということなんだろう。首相がしなければいけないことそれが靖国神社を大切にすることだという意識があるのだろう。そういうことを考えると、この国と切り離せない宗教が靖国神社であるということであり、それに対して批判をしないということは批判しない人も国家宗教として靖国神社をみているということだろう。私はそう言う現象はあまり嬉しくは思わないし、憲法の精神にも反していると思う。
靖国神社を軍事施設として考えると、軍人として戦争に参加した人が安心して死んできてもらえる施設として考えるならば、 平和を宝と思い人、平和を望む人、そして戦争で知人を亡くしている人はこれ以上戦争に行って殺されない、殺さない、殺させないために靖国神社と関係を持つことはおかしなことだと思う。現職の首相がそんなところに供物を出すということは問題外のことだ。
平和を願うために靖国神社にお参りするという論理は成り立たない。
平和を願うのなら戦争にならない社会システムを作るという終わりなき歩みを一人ひとりがそれぞれ歩んでいくことだと思う。戦争犠牲者の無念さを感じ、その無念を心に刻み、それそれで表現することが大事なのではないだろうか。
蓮の葉っぱが水面に現れてきています。
今年は蓮の花の、蓮の根っこ、レンコンの間引きを初春にしなかったので、今年は花をいっぱい持ってくれるかチョット心配です。
またボウフラが増えないようにメダカを買ってこようと思っています。
四月の終わり頃水菜、人参、ほうれん草の種をまいたのですが、多分時期としてはまく食は尾所気味だと思います。
昨日見てみると水菜の芽を出していました。後は音沙汰なしです。
素人には水菜が一番育てやすいと個人的には思います。
2007年5月 8日
今日は珍しく働いています。自分を自分でほめる。最近の私のこだわりです。誰もほめてくれないから。
朝NHKの朝ドラを見てから先日買ってきた野菜の苗を植えました。キュウリ、トマト、ピーマン系それからゴーヤ。トマトキュウリの棚まで作りました。お昼ご飯を食べてから、耕耘機でチョット耕し、夕方から畝をヒトズン作り、大根の種を植えました。途中近所の人がやってきて、こんな荒いところで大根は育たないと忠告を受け、しかし強行突破、 菜っ葉系と大根の種に水をやって今日の仕事は修了としました。
昨日は摩日の苗を植えてます。
大きく育てって願うばかりです。
後カモリとオクラの苗を植えていません。冬瓜のことをここいらへんでカモリって言います。鴨瓜から来ているそうです。らしいです。この苗はもうチョット暖かくなってから植えるつもりです。っていいながら今日の最高気温は28度を超えたそうです。
2007年5月 7日
いつのまにか牡丹が満開、この牡丹は日陰で育っているので開花がいつも遅いです。連休中が毎年満開になります。
たまたま8も遊びにきているのですが、蜂が小さく見えます。
おまけのショットは四男坊の笑い顔です。これはレアものです、いつもカメラを向けるとカメラを見入って笑ってくれないので
ゴールデンウィークはパソコンの前に座ってただけではない。
まぁ次男坊のやきゅうの練習とわたしの日程が合わなくてどこもいっていないのは事実だけど、多分日程の都合がついても人がいっぱいいるところには行かなかっただろうが、といって何度か買いもんには家族で行っているし、そうそう映画も覩てきているんだよ!
ゴールデンウィークといわれる期間は、何度か畑に立った。実は今年桑をもったのは今回が初めて、菜っ葉も植えず、ジャガイモも植えずそのままになってた。夏野菜を植えるため畝作りに汗を流した。
夏野菜を育てたくって言うのが一番の理由ではなかった。
実は連休前農機具やさんに行って耕耘機を注文していたのがこのあいだ届いていたので、使いたくて使いたくてしょうがなかった。
でもいつのまにかお寺の総代さんが畑をトラクターで起こしていって下されていたので、あえて耕耘機を使う必用もなくそのまま桑で畝を作ればよかったんだけど、
そりゃ、ハルナちゃんが来たばっかりだから、
言うまでもなくハルナとは、大人であるわたしのおもちゃ耕耘機、クボタの陽菜を指す。
やっぱり面白い耕耘機をいじるの!農機具屋さんに使い方を教えてはもらっていたんだけど、やっぱり使わないとわからないことがいっぱいあるし、使ってわかることもある。これから私の言いおもちゃになりそうだ。また内の畑には必用だ。濡れると固まって硬くなるしまう土がいっぱいある内の畑では彼女は必用だ。
今日夏野菜の苗等を買ってきたので、今日ぐらいから植えていこうと思う。今から行ってきます。
わたしにとっての
大人のおもちゃ? 草刈機
大人のおもちゃ? ブロワー
大人のおもちゃ? 耕耘機
エンジンチェーンソーもおもしろそうなんだけど、あんまり切る木がないんだなぁ。
2007年5月 5日
2007年5月 2日
2007年5月 1日
2007年4月28日
昨日教務所で会議があり、ちょっと時間があったので寄り道というか遠回りしていった。
そのとき、後ろから片言の日本語で声をかけられました。
「チョットジカンアリマスカ?」って
ふりむくと
自転車に乗った二人組、
そう、モルモン教の方だった。
そして質問を受けた。
あなたは神なる存在を信じますか?
少し考えて、わたしは、神という言葉の概念がわからない
次に
人生の目的は何ですか?
考え込んだ。どんな答えを望んでいるんだろう。
つい、わからないって答えた。
そうすると私たちの目的は神の国に行くことだっていわれた。
祖運なことを答えればよかったのかと思い、そうしたらお浄土に行くことだって答えればよかったのかとも思ったのですが、でも本心でもないような気がした。
あともう一つ聞かれたんだけど、忘れちゃった。
私たちは罪深い存在であり、そのままでは神の国に行くことができない、彼は(多分、キリストさんのこと)は私たちの変わりに×を浮けれくれている、なんていうようなことを行ってたような気がする。キリストさんってそういう存在なんかって勉強させてもらった、自分が聞いたことが確かだったら。
でも、熱心だなって思った。私たち真宗僧侶の中で該当でキャッチして真宗の教えを伝えるっていうことをしている人は何人いるだろうか。彼らは教えを伝えたいっていう気持ちが伝わってくる。
自分の信仰心というようなものが問われている気がした。
2007年4月26日
今日フロアーを買いました。外の葉っぱなどをはくのに使います。はくというかかぜで追いやっていきます。
今朝前に庭の草を刈り、その後車に乗せてもらいブロアーを買いに行き、早速お昼から使ってみたんですが、まだまだブロアーに遊ばれている感じです。これから練習を重ね反対に遊んでやりたい!
ちなみにわたしの大人のおもちゃ?は草刈機です。
もう少しするともう一つおもちゃがやってきます。待ち遠しいです。
また来たらご紹介させていただきます。
2007年4月25日
その時、世尊、諸根悦予し姿色清浄にして光顔魏魏とまします。尊者阿難、仏の聖旨を承けてすなわち座より起ち、偏えに右の肩を袒ぎ、長跪合掌して仏に白して言さく、「今日、世尊、諸根悦予し姿色清浄にして、光顔魏魏とまします。明らかなる浄鏡の裏表に影暢するがごとし。威容顕曜にして超絶したまえること無量なり。未だ曾て瞻覩せず。殊妙なること今のごとくましますをば。唯然り。大聖、我が心に念言すらく、今日、世尊、奇特の法に住したまえり。今日、世雄、仏の所住に住したまえり。今日、世眼、導師の行に住したまえり。今日、世英、最勝の道に住したまえり。今日、天尊、如来の徳を行じたまえり。去・来・現の仏、仏と仏と相念じたまえり。今の仏も諸仏を念じたまうことなきことを得んや。何がゆえぞ威神光光たること乃し爾る」と。
ここに世尊、阿難に告げて曰わく、「云何ぞ阿難、諸天の汝を教えて仏に来し問わしむるや。自ら慧見をもって威顔を問いたてまつるや。」阿難、仏に白さく、「諸天の来りて我に教うる者、あることなし。自ら所見をもってこの義を問いたてまつるのみ」と。(仏説無量寿経巻上)
その時に世尊、韋提希に告げたまわく、「汝いま知れりやいなや、阿弥陀仏、此を去りたまうこと遠からず。汝当に繋念して、あきらかにかの国の浄業成じたまえる者を観ずべし(仏説観無量寿経)
その時に、仏、長老舎利弗に告げたまわく、「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて、世界あり、名づけて極楽と曰う。その土に仏まします、阿弥陀と号す。いま現にましまして法を説きたまう。(仏説阿弥陀経)
今日月参りにいってご本尊を眺めていたら、
絵像や木像の人の姿をしたものは本山の中に入らないんではないだろうかなんて思った。後光だけあらわしとけばいいじゃん。なんておもっった。
仏を如来ともいうが、仏は音から訳したもの、如来は意味から訳したものと考えてもいい。だから仏は真如より来生したるわたしへのはたらきという意味と理解してよい。わたしを明らかにしてくださる真実より放たれている光、それが如来であり仏である。
だから形としてあらわされるご本尊は真如より放たれている光だけを表現してもよいと思った。
でも、光となって私を明らかにしてくだされるはたらきは人をとおして私に働きかけてくれるのかもしれない。
でも、
ヒカリなる如来を感じるには、ある意味如来はどこだ!と探しても多分見つけることはできないだろう。
如来を感じるには、隣に座っている人の姿をじっと観察することによって、その日との後ろにあるものをみるかのようにじっと見ることによってもしかすると感じることができるんではないだろうか。しかし、このヒカリ、仏でないと後光を見ることはできないそうだ。仏の徳だそうだ。阿羅漢だったかな、もしかして?でも、阿難尊者は阿羅漢になっていないのにお釈迦さまの姿を見た時、光顔巍巍たる後光を見ておられるんだよね。
念仏の道を現に歩まれている人の姿を凝視することによって、観察することによっていつかその人の姿の後ろに 光顔巍巍たる如来なるはたらきを見ることができるかも知れない。これが一番の近道かな?
念仏者の姿に後光を感じることができたなら、いろんな人の姿にも少しずつ、うっすらと如来なるヒカリを感じることができていくと思う。
能登地震、25日で1カ月 農業被害は53億円に(asahi.com)
1700棟余りが全半壊した能登半島地震から25日で1カ月が経過する。最も被害が激しかった石川県輪島市など4市町では仮設住宅計334戸の建設が進み、月末から入居が始まる。全国から同県に寄せられた義援金は約13億円(22日現在)。全壊70万円、半壊35万円などが一律に支払われる。
特集能登地震
JR宝塚線脱線事故2年 遺族との補償交渉進まず(asahi.com)
兵庫県尼崎市のJR宝塚線(福知山線)で快速電車が転覆・脱線し、107人が死亡、562人が負傷した事故から、25日でちょうど2年となる。負傷者の約3分の2はJR西日本との示談が成立したが、遺族との交渉は進んでいない。事故原因を調べている国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は2カ月後をめどに最終報告をまとめる方針だ。
今日は能登地震から一ヶ月、そしてJR西日本の列車事故から二年という日に当たるそうだ。
今NHKでは列車事故の慰霊式を放送している。そしてその前には事故に遭われた方のそれからを移していた。
テレビを流れ出みていて思ったことは
霊というものが存在するなら、特にこういう事件では霊を慰めてはいけないんはないかと思った。もっともっと霊に怒ってもらわないといけないんじゃないかと思った。
そしてその事件を知る私たちもなくなった人の痛み、恨み、悲しみ、無念さ等々そういうものを忘れてはいけないと思った。それが事故防止のための最速の道だと思う、否 唯一の道だ。
慰霊、追悼、追弔にとような言葉がある。ふと、「弔」「悼」の字の意味をしりたくて大修館書店の「漢語林」を調べた。
「弔」とむらう・いたむ・なげく・あわれむ・つる
「悼」おそれる・いたむ・かなしむ・あわれむ
goo辞書に依れば弔うとは(1)人の死を悲しみいたむ。弔問する。「遺族を―・う」(2)死者のために葬儀・供養・法要を営む。
追悼には恐れるっていう意味があることに気づく。
恐れるために敬うのではなく、敬うために敬う行為をしないといけない。意志を受け継ぐことも敬う行為になると思う。いたむ・なげく・あわれむことを共に死者と共有することも死者を敬うことになる、わたしはそう考える。
2007年4月24日
2007年4月23日
「ブログ自由自在 Movable Type 上級カスタマイズ術」
という本を参考しさせてもらい日程表のブログを作成し、ごぼはんだよりのサイドバーに常入寺の予定が現れるようにしました。もうちょっと使いやすくする予定ですが、とりあえず一節目でレイアウトを変更しました。
結構頭を使い仕上げましたので自信作です。
最近末法ということを考えたり、語ったりすることがよくある。
それは宗祖親鸞聖人が流罪を受けて800年ということから学びがはじまり、末法という時代を考えるようになった。
末法という時代は、釈尊のような証を開く人もいなければ、教えに基づいて行じることもままならない時代である。
釈迦如来かくれましまして
二千余年になりたまう
正像の二時はおわりにき
如来の遺弟悲泣せよ
と宗祖が唄われているように仏果を得られないというのは仏教徒ととして悲しむべき時代である。
でも、
証もない、行もない時代なんだけど、
でも
経があるんだ!
釈尊の教えがこの世にはあるんだ。
約二千五百年前釈尊が語られた言葉が文字に表されそして教えとして今私たちのところに伝えられている。
二千五百年前の言葉が今を生きるもののより所としてわたしのところにやってきているのだ。
二千五百年という時、
インドから日本へという距離
いろんな民族のバトンリレーを経て
わたしのところにやってきている。
証も行もない時代だけど、
時を経ていろんな人の宝となって日本に住む私のところに経が伝わってきている。
これってすごいことじゃない?もしかして!
今日にあえたことって喜ぶべきじゃない?
時を経て民族を経て自分に伝わってきた事実はホンモノの、真実の証と違うん?
別に仏になって人を救済する必要ないじゃん!お釈迦さん一人でいいやん!
人を救うためにい修行する必要ないじゃん!
ただ末法の時代のために説かれた浄土の教えにあえたことを喜んでいこうや!
浄土の教えを聞いていこうやん!
南無阿弥陀仏となった仏の教えに基づいて南無阿弥陀仏の生き方をしていこうよ!
みんなを救おうとする阿弥陀の勧めをいただいて、末法を生きるものとしてわたしの足でわたしの決意で浄土への道を歩んでいきませんか?
証も行もなくなった時代だけど、
今はまだ経が残っています。その経を道しるべとして生きていきましょう!
経がなくなったとしても仏の願いはなくならないことでしょう 永遠に残るでしょう。かも知れません。
米乱射事件(asahi,.com)
長崎市長銃撃(asahi.com)
最近銃に関する事件が新聞紙上を賑わせている。
アメリカの銃の乱射事件ではアメリカも銃を規制すべきだっていう話しによくなっている。
銃器が自由に使えないことは大事だ。いつでもどこでも銃が自由に使えることはわたしはやっぱりおかしなことだと思う。
当然のことだが日本は銃が規制されている。正規のルートでは銃器を簡単に入手することは容易なことではない。
でも日本がなぜ銃規制がされているかって言うことを考えると、国民を守るためだけとは言えないのではないだろうか。
勉強不足だが、日本における銃器の規制は 秀吉の刀狩令ぐらいから始まるのではないだろうか。
阻止てこの刀狩の目的は、一揆防止という目的が強かったのではないだろうか。
クーデターの防止策として銃器の規制がはじまり、それがずっと日本では続いている。
極論だけど、日本の銃規制は民衆が、権力に立ち向かわないためのものだと言っても良いのではないだろうか。
何のための銃規制なのかって言うことをはっきりしていけば、憲法第九条がなぜ大事なのかって言うこともはっきりしてくるのではないだろうか。
2007年4月20日
先ほど天気がよかったので四男坊にひなたぼっこをさせようと思い外に出ました。
家を出ると子ども達の声が聞こえてきました。
なぜこんな時間に子ども達の声がするのだろうっと、 声をたどっていくと、
子ども達の声が家の隣の梨畑からしてきて、みてみると子どもたちがいました。
近づくのも何だし、連れ添いに聞いてみると、
あれは次男坊達だと言うことでした。
三年生が社会の学習で、地域の産業である梨栽培を学習に来ているみたいでした。
ただでさえ落ち着きにない三男坊が気づいてはと思い遠くから除いていたのですが、梨畑の人が呼ぶので近寄っていくと、次男坊が木津多様でした。近づいてきたので、授業中だからあっ地平けって追い払い、帰ってきました。
メチャクチャ興味津々なのですが、退散しました。
2007年4月18日
銃撃された伊藤長崎市長が死亡 出血多量で(asahi.com)
17日午後7時50分ごろ、長崎市のJR長崎駅前にある大黒町の選挙事務所前の歩道で、短銃を持って待ち伏せしていた男に背後から数発撃たれた同市の伊藤一長(いとう・いっちょう)市長(61)が18日午前2時28分、出血多量のため収容先の長崎大付属病院で死亡した。銃弾2発が胸に撃ち込まれていた。伊藤市長は22日投開票の市長選に4選を目指して立候補していた。
この事件は今朝になって知ったんだけど、昨日のアメリカの大学での事件、そして十数年前の長崎市長が銃撃されたこと、そういうことが重なって思い出された。
どんな理由があるか知らないが、自分の正義を通すため邪魔なる存在を抹消するというのはゆるされることじゃないと思う。
基本は寄合談合
2007年4月17日
2007年4月16日
今更の更新ですが、先週の11日?13日と山教区の教化事業に相乗りさせていただいて、一緒に東京にてヤスクニ研修に参加してきました。
午前中は富山教区の方と合流する前まず、皇居のまわりを堀沿いに一周して、千鳥ヶ淵の戦没者墓苑、そして靖国神社の魔羅里と中を探索しました。<BR>午後からは富山教区の方と合流し、東京教区の方に案内をしてもらいながら、靖国神社を歩き、その後遊就館を見学しました。日本の戦争史が何の罪の意識もなく展示してあり、正直ぞっとしてきました。
次の日は防衛庁の見学ツアーに参加して、二日間めちゃくちゃ歩き、めちゃくちゃ疲れました。
先週の9?10日と多磨全生園へおじゃましていました。
花まつりの後の懇親会に参加(時間の都合で花まつり自体には参加できませんでした)、 を国立ハンセン病資料館みてきました。
その中で一番印象に残ったのは和光堂にかかっていたカレンダに書いてあった言葉、「ぼんのうどんとこい」この言葉でした。
おまえは何しにいっとるンだ!
2007年4月14日
2007年4月13日

トーキョウさに行っている間に本が届いていました。オークションなどで探していたのですが値段が合わす、アマゾンのリユーズドで購入しました。これから時間を掛けて読んで行きます、多分。
今日は小矢部の称名寺さんで一日お説教です。この間別院でお話させていただいたようなことをお話させていただこうと思っています、ぼやっと。枕というか話出しはまだ白紙 です。
あさってもここでお説教です。
2007年4月11日

今朝、皇居の周りを一周して、千鳥ヶ淵にちょっとたちより、いま靖国神社の前に着きました。
ちょっと歩き疲れたので喫茶店でお茶して、そのあと靖国神社にいきヤスクニを体験しようと思っています。
午後からは富山教区の方々と合流して、またヤスクニを体験する予定になっています。
2007年4月 9日

今、多磨全生園に向かうため列車に乗りました。
あまり東京方面に行く用事がないためハクタカに乗るのが初めてです。ほくほく線を通るのも初めてです。
ちょっとどきどきしています。
写真は家の近くにあるサイクリングロードのさくら並木です。午前中お参りの途中とおり掛かって撮影しました。満開かな?
2007年4月 6日
2007年4月 3日
能登島の友人に案内してもらい、昨日の午後また友人数人で大谷派寺院に行ってきました。(時間の関係で三ヶ寺だけ)
被災状況は想像を超えていました。
ネットワークがしっかり出来上がっていれば、行けばお手伝いできること沢山あると感じてきました。
2007年4月 2日
バーベキューに罰金、首相は役者に転向 英紙がうそ記事(asahi.com)
エープリルフール恒例となった英紙の「うそ記事」。今年も各紙は競うように1日の紙面に傑作を掲載した。
すっかり忘れていました。昨日はエイプリルフールだったんですね。
何かブログにめちゃくちゃ大きい書けばよかっった!
今日気づいてどうする!
失敗!
2007年4月 1日

薬勝寺池で気象予報官になったつもりで桜を観察してきました。
一輪も咲いている花を見つけることはできませんでした。
でも開化までもうちょっとっていう感じでした。
あともう一歩、開化までもうしばらくお待ちください。
2007年3月31日
沖縄戦集団自決「強制」記述に修正意見 教科書検定(asahi.com)
文部科学省が30日公表した06年度の教科書検定で、地理歴史・公民では、沖縄戦の集団自決をめぐって、「日本軍に強いられた」という内容に対し修正を求める意見が初めてついたことが分かった。強制性を否定する資料や証言を根拠に、従来の判断基準を変えたためだ。イラク戦争や靖国参拝など外交や政治にかかわる問題では、政府見解に沿う記述を求めるこの数年の傾向が今回も続いた。
沖縄戦の集団自決に関して日本軍に強いられたという記載が修正意見が出されたそうだ。
集団自決をされた方々はミスから自決を乱打人もいるだろうし、一緒にいた日本軍に進められた人達もいるのだろう。軍司令部としての指導があったかどうかということは定かでないことなのかも知れない。
でも今なぜこのことについて修正意見が出ているのだろうか。
どういう日本になろうとしてるのかということを示していることなのではないだろうか。
言えることは、鬼畜米英に殺され、侵されるより、自ら命を絶った方がよいという、教育が元にあることだけは間違いないと私は思う。そう思わしたのは、日本政府だろう。
2007年3月30日
道徳、「教科」に格上げ案 教育再生会議分科会が提言へ(asahi.com)
政府の教育再生会議は29日の学校再生分科会(第1分科会)で、「道徳の時間」を国語や算数などと同じ「教科」に格上げし、「徳育」(仮称)とするよう提言する方針を決めた。「教科」になれば、児童・生徒の「道徳心」が通信簿など成績評価の対象になる可能性があるうえ、教材も副読本でなく教科書としての扱いとなって文部科学省の検定の対象となりうる。ただ、反対論も予想され、再生会議での議論は過熱しそうだ。
朝、FMラジオのパーソナリティーも気にしていたが道徳の時間が教科になり採点しようと政府は考えているようだ。
日本人はこうあるべきっていうものを作り、意図する価値判断を子どもの頃から植えつけていこうとしている。私は道徳という事業自体あまり好きではないが、なおさら特定の人間層に作り上げていこうとすることに抵抗を感じる。
どこまでいっても政府の役に立つ人間を作っていこうとする。心も政府に順応した、批判しない人間を作っていこうとするのだろう。
考えただけで怖くなるし、吐き気がする。
先の太平洋戦争とかいわれた戦争の反省はどこに行ったのだろう。多分宗教までもが管理されていくのだろう。政府を維持するのに役に立つ宗教は保護し、そうでない宗教は取り壊していくのだろうか、帝国時代のように。
私たちの親鸞聖人の教えは今から八百年前朝廷を中心とする国家を維持するのにじゃまになるということで弾圧された。そして資材になった人もいる、親鸞聖人も越後の国に流罪にあった。
その流れをくむ私たちの教団真宗大谷派は今回はどうだろう。また保護されるのだろうか。
江戸幕府に保護され江戸幕府に都合の良いように布教してきた、また明治昭和と書けて、帝国政府に教団損続のために近づき、また帝国政府に都合の良いように布教してきた。
今回もそうなのだろうか。
人間の価値観は時代によって違うし、又一人ひとりによってもまた違う。
ひとつになるはずがない。
ひとつにしようと操作されれば、息苦しく感じる人が増えてくる。また取り締まられる人が増えてくる。
道徳という時間は、人間の価値観を教える時間ではなく、話し合う時間なんだろう。その時初めて意味を持つことだろう。異文化異種にであう、一人ひとりにであう。みんな違うんだということに気づく。そのための道徳なのだおるって思う。
道徳を教える大人は徳のある生き方をしているのだろうか。徳のないものが徳を教える。本当に教えることができるの? 結果誰かに都合の良いものを育てるだけになるんじゃないの。
この記事を読んで本当に危機感を感じている。
これだけは何とか阻止しないという気が湧いてきている。
珍しくすごく気になる。
道徳の時間が評価されるということを考えると、本当に恐ろしくなってくる。
人をなおさら差別するようになり、戦争を否定できない時代に入ろうとしている。
何とかしなくちゃ、
でも何とかなるの?
でもこのまま見過ごすのも嫌だ!
2007年3月29日
2007年3月28日
今心配なことがあります。
地震のこと、のとで地震にあった方々のこと心配です。
2日にもお手伝いに行ってこようと思います。
もう一つ心配なことは台湾楽生院で過ごされている本線病もとカンジャノかたがた、今強制退去させられようとしています。本当に心配です。何とか止まるで伊達はないでしょうか。
できれば皆さんも署名に御協力ください。
下をクリックしてプリントアウトして御協力御願いします。
2007年3月25日
2007年3月24日
三男坊瑞生の保育所の終了式に行ってきました。
思い起こせば私たちがしなければいけないことを保育所で変わりにやってもらっていた感じが強いです。
トイレトレーニングなどあんまり苦労した覚えがありません。
さて
さてなんですが、
終了式には日の丸がかかげられており、
君が代が歌われていました。
長男坊、次男坊の時はそうでなかったのに!
今回はそうでした。
ちょっと気分が損ねました。私が。
保育園の場にもやってきているんですね。
保育所の場でもう日の丸が国旗で、君が代が国家として押し突けられているんですね。
少なくとも、
君が代のきみとは誰を刺すのか、そして以前は誰を刺していたのか。
日の丸の元でどういうことがなされてきたのか
しっかり学校の場で伝えてほしいし。
私もしっかり伝えていかなければいけないと強く思いました。
この道どこへ行く道
2007年3月23日
これは近くのお菓子屋さんで販売しているものです。このあいだ次いでに下ってそしてついでに写真を撮ってました。つい忘れてて今日アップしておきます。
これはリンゴに加熱したもの(煮てあるのかな、焼いてあるのかな?よくわからない)の上にバームクーヘン状にしてあるお菓子です。
城石松華堂というお店に売っています。HPがないお店ですが、よかったら買ってみてください。
昨日は三男坊の誕生日です。
写真は誕生ケーキを前に記念撮影
でも真ん中にいるのがなん男坊ではありません。一番ケーキに近づいているのが三男坊です。
誕生プレゼントはDSソフトの何とかというやつ
DS本体は私の姉に入学祝いで買わせました。
2007年3月22日
2007年3月20日

今城端別院に着きました。
明日から朝、昼、朝とお話をするご縁をいただいています。
でも
お話をする内容はな〜んにも決まっていません。
布団をひいて目をつむりながら考えることにします。
考えないでどうなるか皆さんそうぞうがつきますよね。張本人である私でさえそんな気がするんです。
写真は別院からみえるIOXアローザスキー場です。
最近うちの三男坊自分でしたい病にかかっている
今も一緒にお風呂に入ったのだけど、
自分で頭が洗えることを主張したり、
体が洗えることを主張していた
ついこの間まで
洗うのいや、とか
洗ってっていってたんだけど、
今日は違った。
三男坊は、もうすぐ小学生、
その事が意識させられているのだろうか、
四男坊が生まれお兄ちゃんを意識させられているのか、
原因はわからないが、自分でやりたい病にかかっている。
どちらにせよ機が熟したということなんだろう
せっかく機が熟してきたのだから、芽を摘まないようにしたい。
いろんなことがめんどくさくなって自分でさせない自分がいる。
生長を障げている自分がいる。
子どもの成長を落ち着いて感じると嬉しいことなのだが、
いっぱいいっぱいの時は、生長を障げたくなる。
もっともっと余裕を持って生きていかなければ、子どもが自立していかない。子どもの成長を障げてしまう。
このことは教育界でも言えることなのだろう。
ゆとり教育、
子どもにゆとりある教育をすることも大事だけど、
教員がゆとりもって関われる環境を与えてあげることも大事なゆとり教育なのだろう。
今朝もうっすらとですが、積雪してます。
まだ雅朝晩寒いです。
三月に積雪する事、そして四月に雪が降ったりする事私の短い人生経験でもあります。
でも、四月にこれだけ積雪する事はあっただろうか
良できなことではなく、回数だ。
今年三月に入って積雪は何度目?
やっぱり私の経験の範疇でいうと
異常気象という部類に入る
浄土真宗では仏事と聞法ということがひとつになっている。
そして昔はよく聞法の場が設けられていたようだ。
お寺で開かれるばかりではなく、一般家庭でも。
私もたまにお説教を頼まれる。
さすが一般家庭で行われる、自主的なというか在野的な法座に呼ばれたことは全くないが
法座が終わるときの定番として、親鸞聖人がお造りになられた、続に恩徳讃というお歌に五線譜の節を付けたものを歌うことが多い。
最近私はその恩徳讃を皆さんで歌うとき、
恩徳讃をいただきましょう
なんていう
恩徳讃を歌うことも聞法なのだ
教えなのだ
なんて思い
そんなこと誰かに同感してほしくて
そんなふうにいっている
でも誰も、言い方がおかしくないかとか
同感しますなんていってくれる人は一人も今だに現れない
同感してほしくてここでつい書いちゃいました。
2007年3月19日
今日下駄が届きました。
今回はいつものお店とは違うところで買いました。
歯にはゴムをつけてもらいました。滑り止めと、早くすり減らないためにと思いました。
とにかく今日からはき始めます。
土曜日は、私の大学時代の同級生、友人の結婚披露宴に参加しました。
同級生の披露宴はホントひさしビリです。多分これが最後でしょう。
ちょっと飲み過ぎちゃって反省してます。
よねちゃんにまでご心配やご迷惑をおかけしたみたいで、申し訳なく思っています。
同じテーブルに座っているのはほとんど大学時代の同級生。 ほとんど同級会モード
ほとんど変わっている人もいたし、そうでない人も、
どこかでも違ってた、みんな
でもみんな共通しているのは
四十過ぎたっていうこと、これだけはみんな一緒
よねちゃんのお寺の総代さんのスピーチがあったんだけど、それはちょっとって言うないようだった。
早く早く子どもを産んでくれ!ッてさ
そりゃ四十過ぎて諸根だから気持ちわからない訳じゃないけど
よねちゃんの結婚相手はお寺の跡取りを生む機械じゃないよ
でもよねちゃん、というか後の住職になる人が結婚したっていうことが嬉しいあまりこんな発言に、本音が出ちゃったのかな。
あらためて 応えることを止めて応え(反応)していくことが大事だと感じた
決して答えてはいけないよ
そうそうマイミクの無核さんにあってびっくり、
なんであんたがここにいるの状態でした
よねちゃんの連れ添いさん、どうも彼女たちの後期修練で私はなしはしてないかも知れないけど顔見てるみたい。組sて、新婦さんの友人の中に、まだまだ私が知っている人結構いた
日曜日の朝めちゃくちゃ二日酔いだった。
だけどなんとかおきだしてせっかく四日市に来たんだし
っていうことで
これも十数年ぶりの再会
大学生のと棄欲顔を合わせた
さよさんのお宅におじゃました
さよさんとは今も楽天のブログではつながってます。
一時間ほどしかおじゃましなかったけど、
いっぱい昔話をしたり
今の話をしちゃった
これも楽しいひとときでした
土曜日日曜日と二十年前にタイムスリップして
心は元気にすっかりなっちゃいました
でも、体は飲み過ぎが響いています。
ウコンの力飲んじゃいました
その点は気持ち反省
そうそう、披露宴であった友人は、
紋付き姿で参加してた、これもびっくりだったけど、
紋付きの文が、
反核マークだったり
法輪紋だったり
これにはちょっとやられたって、感じだった
これまねしようかな1
2007年3月17日

私の定番、特急列車に乗ればやっぱりビール
でもさすが今日は考えました。だって寒いんです、今日は
でも買いました。
私は駅でビールを買う時、銘柄を指定しません。「ビールの大きいの」っていう。たまに何がいいですかと聞いてくれる店員さんもいるけど、そうでない人が殆ど。
何が出て来るか楽しみにしているところもある。正直銘柄なんて何でもいいやということなんだろう。
今日は夕方から三重県の四日市で大学の同級生の米ちゃんの結婚披露宴です。明日中には帰るつもりです。でもそんなに遅くなるつもりはないんです。白紙状態ということです。言い訳なんかしちゃたりして。
そろそろ列車内で一人でビールで米ちゃんの結婚の前祝いの
始まり始まり〜で〜す〜〜…
乾杯!
2007年3月16日
今回別院の定例では結局親鸞という名告りについてはお話ししませんでした。
でも何でだろうっていうこと、ずっと考えています。
法難を受けてなぜ親鸞と名告ったのか!
法難とつながるかどうかわからないけど、見えてきたことがひとつあります。
親鸞という名告りは天親曇鸞から来るもの
天親は『浄土論』を書き表し
曇鸞は『浄土論註』という天親の『浄土論』のちゅうしゃくしょっともいうべきものをかきあらわした。
浄土を論じたのが天親曇鸞
浄土をこの世で表現したのが彼らだ
末法の証として念仏宗が弾圧され、
その世を生きる親鸞は、
だから念仏といただき直されたことだろう
まことある事なき世だから 誰かの言葉が正しいこともない
だからみんな浄土を論じても良いんじゃない
だから浄土を表現すること誰でも許される
末法の世において末法に生きるものが天親曇鸞と同じように浄土を表現する
それが愚禿親鸞という名告りなのかな?
暫定的にそう考えています。

今日が最終日ということで、おにぎりを何にしようかコンビニで悩みました。コンビニに入る前は締めは梅干でしょっ、と思っていたんです。でもおにぎりの棚まえに立ち俺に取っておにぎりの定番は何かと商品を一つ一つ見ながら問い直しました。
私にとって定番おにぎりは
梅干
ではなく
とろろ昆布という答えが出てきました。
わが人生40年を振り返り、人生のアルバムを一枚一枚めくりながら、一コマ一コマを回顧しながら出た答えがとろろ昆布なのです。
あまりにもおにぎり選びに精根をつくし今から話す内容が全くつまっていません。
どうしよう
タイムリミットまであと20分。
こうしてブログに書き込むことで唯時間がすぐるのみである。
2007年3月15日

今日のおにぎりはちょっと亜流ぎみの唐揚げ黒酢仕立でした。大きい唐揚げが一個中に入っているのかと思ったのですが、そうではなく小さな唐揚げがいくつも固まって黒酢あんにまぶされて入っていました。黒酢だけではなかった、甘みがあったから。
難点が一点、黒酢あんがごはんに染み込み、フィルムを外そうとした時おにぎりがふたつに分離しそうになった。
今日は非僧非俗の話をする予定です。でもくるとき電車で東本願寺のHPにあった、玉光さんの今いのちがあなたを生きているというラジオ放送の文章を読んだのですごく影響しそう、されそうです。
流罪に遇われてなぜ宗祖は愚禿親鸞と名告られたのか? 私の疑問です。
愚禿という名告りは流罪を縁として自らを非僧非俗と名告られた。 そしたら親鸞という名告りは?
流罪とどう関係があるのか?
親鸞は天親曇鸞からくる名告り、
宗祖にとって曇鸞がいたからこそ、天親の心が見えてきた
二人なんだけど一人とみてもいいと思う
曇鸞と流罪はどう関係するのか?
これがわからない
そうそうでも曇鸞といえば、還相回向
浄土を誘う心
念仏弾圧に遇い、 末法という時がなおさら明らかになった
五濁の世 無仏の時 これが弾圧により明らかになった
末法の世に仏道と向き合うには
念仏しかない
その事が弾圧により明らかになった
本当に自分の中で明らかになったので
浄土に他なる存在も誘いたくなる
これが還相回向
仏果を得てないものが
大乗の修行をしてないものが
利他心がおこってくる
愚禿なるものの利他教化心
法難に遭い利他教化心が強くなった
そんな感じなのかな?
でも確信が持てない
2007年3月14日

今日のおにぎりはちょっと贅沢に焼穴子めしです。160円しました。
今日は善信という名乗りは大乗仏教を歩む名乗りだ、という話をさせていただくつもりです。この内容は何度かお話させてもらっているので、昨日までに比べると気が楽です。
先程電車の中で大乗についてインターネットで広いあげたものを見ていたんですが、上座部仏教の繁栄が三時観でいうと正法期。大乗仏教の繁栄が像法期。浄土教仏教の繁栄が末法となっているんですね。当たり前と言えば当たり前のことなんでしょうが、さっき気が付きました。
でも自分の中では大乗仏教と浄土教仏教を分けていんだろうかという思いも有ります。
2007年3月13日

今日おにぎりを買いました、てもこれが初体験ではありません。
今日買ったおにぎりはねぎとろわさびです、この種類を買うのは初めてです。でももう一つあります。
サンクスで買いました、家の近くにあるのでサンクスが初めてではありませんし、昨日も同じ店で買いました、でも近いです。
おにぎりをEdvというかお財布ケータイで買ったのです。これが初体験でした。
結構使う時緊張しました。携帯を変えて使ってみたかったんです。密かに。
今日はもう一度末法と念仏ということを話をするつもりです。
2007年3月12日
2007年3月11日
宗祖の名告り
綽空 末法を生きるものの名告り 道綽禅師
善信 大乗を歩むものの名告り 聖徳太子廟夢告「日域は大乗相応の地」
愚禿親鸞
愚禿 非僧非俗の名告り 承元の法難
親鸞 念仏者の名告り 国家と宗教 二十九種荘厳
愚禿善信 大乗仏教の神髄念仏者の名告り
明日12日より16日までかざ沢別院定例法座にて布教するご縁をいただきました。
感覚的にその日その日のテーマみたいものを決めてみました。
でもちょっと不確定です。綽空という名告りのところが私的には不勉強です。道綽さんのことよくわかってません。今から突貫的に 調べてみるつもりなんですが、よくわかりません。もしかしたらテーマ本来がちがってるかも知れません。
誰か道綽さんのこと教えてください。
親鸞聖人の道綽観みたいものを教えてください。
御願いしま??す
2007年3月10日
nhkの朝ドラ、芋たこなんきんがそろそろ終わるみたいだ。
私は今回けっこう神権に見た。結構好きな藤山直美さんをはじめとする豪華キャストもあり、面白くて見ている。
そしてもう一つ気に入っているというかそうだなぁって思わせていただいていることがひとつある。
それは健次郎の子ども達が、町子に対しておかあさんと呼ぶのではなく、おばさんと呼び続けていることだ。
私の思いの中には母親は母親だっていう思いがある。
親のどちらかが何かの理由でいなくなり、そしてその人が結婚しても、親の連れ添いを別におかあさんでなくてもいいんじゃないかと思っていた。 おかあさんお父さんは一人しかいないのだ、なんていう持論が私にはある。
だからこのどらまで健次郎の子ども対が町子のに対して「おばさん」って言っているのがすごくはまったというか、気に入っているのだ。無理しておかあさんお父さんって呼ばなくてもいいと思った。
暖冬終わって今度は猛暑?「ラニーニャの傾向」 気象庁が監視速報(中日新聞)
気象庁は9日、記録的暖冬の一因となったエルニーニョ現象は終息したとみられるが、今度は南米ペルー沖の太平洋赤道海域の海面水温が同現象と逆に低下する「ラニーニャ現象」に向かうと考えられるとの監視速報を発表した。ラニーニャもエルニーニョと同様、大気の対流活動に影響し、世界的な異常気象の原因になるとされる。
今年の暖冬の要因のひとつであるとされているエルニ?ニョ現象が終息したようだ。でもその反対のラニーニャ現象になる傾向があるそうだ。こうなると猛暑の傾向があるそうだ。
この暖冬で山にはそんなに雪が降ってない、そして今年猛暑になるとならば、水不足が心配されるのかな。
得るニー諸現象とラニーニャ現象に合間がない。これも地球顔多々角なってきていることが一員になっているのかな。オンオフがはっきりする天気というかデジタル現象とでもいうべきなのか、中間がなくなっている。
2007年3月 9日
先ほど、本堂に東本願寺からもらった絵本を飾った。
今日お昼過ぎにホームセンターに行って本棚を買ってきて、夕方それを組み立てた。
長い間庫裡玄関に東本願寺から送られてきた本が置きっぱなしになっていた。置きっぱなしとどころか、段ボールから出したまま、山積みになってた。
さすが気がとがめ、今日しかないとばかりに重いお尻を持ち上げた。
百冊飾ってみたけど、
百冊っていう数は多い因だけど、飾ってみるとそんな多く感じない。根だけかって感じだった。
自分の蔵書である。僕たちが見た戦争と、命の花というソノダヒサコさんが作った本なども一緒に置いた。
あとは使ってないソファーなんかも置いてサロンっぽくしてみようかと企てている。
床屋に行ってきました。久し振りです。でも久し振りなのが私の常識です。大体三ヶ月か四ヶ月に一回しか行きませんから。
床屋さんは昔嫌いでした。髪の毛をはさみで切られるのがこちょがしくて、こちょがしいは富山ことばかな?くすぐったいっていうこと、多分。
最近は、でも床屋さん好きです。顔を剃ってもらうこと、そして耳を掃除してもらうこと、これ好きです。
2007年3月 8日
今四暖房と留守番をしています。

カメラが気になって仕方がないのか
それともカメラで撮られると魂でも抜かれると思っているのだろうか
謎だ
今日の午前中仕事もせずにこんなことしてました。 いぜんから.htaccessを使い携帯とPCの自動仕分けをしてたんだけど、正直うまくいってませんでした。
でも今回やっとうまく作動したようです。ニッコリ(^○^)
Walkin' On The Spiral : htaccessで携帯電話からのアクセスを振り分けを参考にさせていただいたというか、ほとんど書き写させていただきました。
新聞を見たら、昨日スリップ事故がたくさんあったそうです。
今日はそんなことないと思うけと。でも、今日も雪が降り続いているし、寒いです。
今日こそは、確定申告をする作業に取り掛からないと!全く手付かずです。
間に合うか?締め切りまで!?
2007年3月 7日
いつもながらお参りのあとのお茶をいただくとき、天気の話しばかり、それしかできない。
これだけ暖かいから、もう雪は降るかも知れないけどつもらないだろうとか。
最近は
これだけ冬が暖かかったから、春寒いかも知れんねぇ、とか。
そんな話しをしている。
よくこんなんだったら春は?夏は?っていう感じで今は良いんだけど、今後どうなるだろうかっていう感じで人を惑わすように、脅している。
でもそれが脅しや惑わすでないのかも知れない。ホントに。
今朝しっかり雪が積もってます。冬の雪ではなく重たい春の雪なのですが、積もってます。
冬タイヤを止めて普通や嫌に変えている人もいるだろうに。今期ほとんど活用することなく履き替えてから必用になった人もいるだろう。
本当に異常。常識が間に合わない。少なくとも今年の天候は常識外れで予測不能。
実は我が人生もなんだけどね。
無理矢理自分の思う常識にしたってしょうがない。予期できないことを真向かいに受け止めなければ。
予期できないことを楽しまなきゃぁ!
生まれて百日以上経ち、成長著しいです。
ベットの上で寝ているだけでは気が済まなくなったみたいで、
宇宙語を喋り、
構ってくれないと泣き出したりします。
生長したんだなぁってことなんですが、
でも
ちょっと相手をするのがめんどくさく感じることもあります。
2007年3月 5日

ワインを飲みすぎた感じです。ワイン一本、飲むのは辛いです。ワインの蓋、コルクだと信じてソムリエナイフで一生懸命つかって開けていたのですが、よく見て見たらスクリュー式でした。カバーが厚くて取れない、と思っていたんですが、当然でした。でもよくそこまで開けたというぐらい開けました。
ちょっと無性に作ってみたくなり仕事もせずにこんなものつくりました。
まわりからは冷たい視線
(^^ゞ
「こう御期待」がすごく悩みながら作りました。誰かほめて?
今日私の誕生日
四十になる
今朝は大荒れです
強風吹きまくってます。
四十の路を予言するかのように
いや我が人生を言い当てるがように
しかし気づかぬ我
大荒れにも気づかずのほほんと歩む我ひとりあり
大荒れと覚知できればひとりで歩もうとも思わぬのに
一昨日携帯を新調した。人に言わせるとまだ二年しかたってないというけど、とにかく自分の使い方が荒いので、電池が一日もたなくなる日も出てきたので決意した。携帯でよくネットを見るので、画面の大きいものという判断で選んだ。
選んだのは良いんだけど、正直なかなか携帯になれない。以前こんなことなかったんだけどねぇ。以前のものとメーカーが変わったっていうこともあってか、こうしたいときどうすればいいの状態。 こうすればああできたのに。そんないらだちの今日この頃です。以前はこんなことなかったのにね。買ってみれば、ワンゼグ携帯が見られる。おサイフ携帯になっている。デジタルFM、アナログFMが聞ける。そうなっているみたい。だけど、そんなに興味が湧かない。アナログのFMが聞けるのはちょっと便利かなっては思うけど、あと必用と感じない。
やっぱり四十路に入ったからかな。
新機能がつくことが便利とは思えなくなってきた。それを使いこなすことがおっくうというかめんどくさくなっている。今の私にとって便利なのは新機能ではなくなってる。今まで使えることが私にとって便利なのだ。変化がないことこれが私にとって大事なことになってきているのだろう。
昔、年老いた方が、ダイヤル式の黒電話が使いやすいっていっていたことを思い出す。短縮電話とかそういうものは便利なことなのかも知れないが、その事を使うために操作を覚えなければならない、それを覚えることが大変だ。 なんていう話しをされていたことを思い出す。私もだいぶその境地に近づいてきた。
これは頭が老化したって考えればいいのか、年老いた人の立場が理解できるようになったって思えばいいのか。微妙だ。とにかく新しく覚えることが苦痛になってきているのが現状だ。
それともう一つ新調したmのがある。間衣だ。実はこれもイメージがよくない。今のものも前のものもあつらえものではない。体に合わせてサイズを選ぶものだ。まぁ洋服では当然のことなんだけどねぇ。それが問題ではない。前回のものもこんかいのものもポケットがついているものを選んで買い求めている。しかし今回と前回ではメーカーがちがう。メーカーが違うということもあってポケットの位置もちがうのだ。
前のは非常に便利だった。腰のあたりにポケットがあり使い勝手がよかった。今回は内側のお腹にある。本来ならここに入れることが和服としては本来なんだだろうけど、でも使い慣れない、まだ一日しか使ってないけど。 今度買うときはまた前のメーカーにしようと密かに決めている私なのだ。ちょっと高いんだけどね。
いうまでもありませんが、写真に写ってるのはどちらも私ではありません。
2007年3月 4日

今日は高岡市内のある在所の青年報恩講、通称若衆報恩講でお説教をするご縁をいただいています。話は自分の損得は限界があるという話を結果として話しています。というか、そういう話をしようと話をしている途中で決めました。決まるまで大変でした。どうでもいいことかな、お昼ご飯はおいしくないビールを飲まさせていただきました。
2007年3月 3日
ネットをうろうろしていて面白いものを見つけましたのでちょっとdownloadして試してます。
でも画像はここから直接アップできないのかぁ。残念!
このページはxfy Blog Editorを利用して作成されました。
最近どうしてもしたいっていうことがある。
それは
四男坊の笑っている写真を撮ってみたいのだ。
四男坊は最近笑顔も出てきた。

そして声というか音を発するようになってきた。
我が子ながら成長著しいと感心する。
嬉しい。
そこで成長のしるしである笑い顔を
一枚パチッと撮ってみたいのだ。
何度か試みているのだけど、
う~~~ん
これはって納得のいく写真が一枚も撮れてない。
気に入った一枚が早く来ないかと日々精進だ
先日生後百日を迎えたのでお祝いをしました。

2007年3月 2日
暫定的ですが、ブログをダイナミックパブリッシングにしました。見ている方は重たくなったような漢字ですが、更新する方は待ち時間が少なくなりました。
これから少しずつ元に戻していきます。
とりあえず完成!

さくらインターネットでMTダイナミックパブリッシングというページを参考にさせていただきました。
感謝感謝
これはうんちネタではありません。
ここ数日このブログをダイナミック・パブリッシングに構築し直そうとしていて、いつも躓いていた。.htaccessというファイルの設定がおかしいという原因までは突き止めてはいたのだけど、そのあとのことは全然わからなかった。
今回ふと、レンタルサーバーのphpという関連のところを見てみると、
さくらインターネットのサーバでは、.htaccessにPHP_FlagやPHP_Valueディレクティブを指定することはできません。
2007年3月 1日

今朝ようやく頭の回らない中ごぼはんだよりを仕上げ、今日のお参りから配ってます。
というか、完成しないとお参りに行かないのですけど。
よろしければご覧になってください。
こちらからどうぞ
何とか六時半に起き上がることができました。
でもまだ体と頭が動いていません。
今日発行の寺報まだ仕上がっていません。
昨日はひとつも手つかずでした。
ご飯を食べて頭と体に動いてもらいます。
2007年2月28日

今富山に帰るためにサンダーバードに乗っています。二日間夜更かしし過ぎ、今ご苦労さんと自分を労うためにヒールを飲んでいます。多分これを飲み終えたら、終点まで熟睡するでしょう。予言します。滋賀県風が強いみたくて運行が十分おくれているらしい。
2007年2月26日

むかし…高校生だったころ列車で通ってた今富山駅でサンダーバードを待っていると、その頃走っていた電車が止まっている。なつかしい。でも私がよく乗ったのは、これではない。客車って呼ばれたやつかな、電車オタクでないのでよくわからない。機関車で引っ張るやつ。さすがSLでなかったが、ヂィーゼルヤ電気機関車。郵便車がついていたのもあった。伊藤敏博?名前しっかり思い出せないけど、富山関係のシンガーソングライター、彼も車掌さんをやっていたのをみたことある。それとホームから列車に乗るときのドア、これが手動だった。戸を開けてステップにたったままよく乗った。風が気持ちよかった。たまに駅員さんに見つかり怒られたこともあった。
いろんなことが思い出されてくる。
2007年2月25日

avisの携帯電話自動振分・直接リンク禁止 設定方法を参考にしながら
.htaccessと言うファイルを作り携帯電話が自動振分できるようにしてみました。
要するに
gobohan.comに携帯電話でアクセスしていただいても、専用のアドレスに勝手に移動するということです。
一度おためしください。
多分SoftBankmobileもWillcomも移動するようには変更したつもりです。
金曜日組の靖国問題研修会がありました。
講師はエイコさんに御願いしてありました。
まず
私が主体的に企画したのではありませんけど、
屋ぱっりというか当然、と言うか参加者が少なかったです。
また当然と言えば当然、なんで靖国、同和をするんだ!っていう意見が出ました。
そう発言した方にもう少しお話を聞くと、
損得っていうところで考えられているみたい。
これから門徒が減っていくのが間違いない。
門徒を増やさなければいけないこれからうけが悪いんじゃないかっていう感じのことをおっしゃっておられた。
ご心配いただいているんだなって確認できたし。
損得じゃないんだよなぁって思った。
お寺の運営は教えに基づかなきゃぁならんのだっていうことを思ったけど、言えなかった。
また課題をもらった。
でも、お一方は、この方は参議会議員さんなのだけど、
エイコさんに対しておまんのいうことわかった!なんておっしゃってた。私は誤解が解けたな、そこが引っかかってたんかって感じた。
以上のこととは関係なく自分が心に残ったところをちょっと書いときます。
講題はこちらから「先祖を敬うとは」って御願いしました。
どこが靖国学習会なんだって外野からご意見をいただきましたが、戦死者の敬い方っていうことをお話ししていただきたかったからです。戦死者を粗末にしろっていっているのではなく、しっかり出遇うよっていうことを靖国の問題で自分の中で思いがあるので、こういうような講題を組で提案して、ある方がそうならエイコさんしかいないだろうっていわれこうなったんです。ちなみにエイコさんは男性です。加○○○香さんのことです。
顕彰することを止め追悼しようと言う提案をなさいました。
追悼の悼というのは哀と言う意味があって、哀しむ悼む(かなしむいたむ)事だって漢字の説明をなさいました。
悲しみを喜びに変える装置が靖国だ、こういう事もおっしゃっていました。
あと国家と宗教っていうこともおっしゃってた。
国民を安んじるための者ではなく国を安んじる者が靖国だ、そして同じ事を真宗をはじめとする仏教がやってきた。と言うこともおっしゃってました。
ある意味思い通りのお話しでした。
ちょっとテープ起こしをしてもう少しこのことを考えていってみようと思ってます。
昨日の同和特伝のことも書きたいのですが、時間があったらその事もいつか書こうと思ってます。
明日から二泊三日で京都にて解放運動要員研修に行ってきます。
今田こそいろんな人と話をするぞ?!
ちょっとブログをいじってて壊してしまい、復旧せずに同和特伝に出かけてました。
今朝やっと直しました。
もしかしてあれって思われていた方いたかも知れません。
ご迷惑をおかけしました。
2007年2月23日
本山のHPを見たら、久し振りに更新されてた。
男女平等参画社会の実現に向けた要望書を提出New2/22
とあった。
出したのは宗務総長ではなく、解放運動推進本部長名
そして声明ではなく要望書 この違いは何?
また9日の要望書が、22日にHPに公表
いろんなことを思ってしまう。不安をいだいてしまう。
昨日友人が、もう少しで御遠忌なのに、御遠忌のビジョンが見えてこないっていってた。それに応え私は法要だけすんじゃないの、なんて冗談を言った。
我が大谷派教団よ! どの方向に歩もうとしているのか!そう聞きたくなるのではなく、歎きたくなる。
自分ももう少し教団の未来、役割っていうことを形に表していく作業をして、表現していかなくてはって思う。
そしておまえはお寺で何をしたいんだっていうことを自分自身に問いかけたい。
それが、流罪800年であり、宗祖750年と言うご縁をいただいたの私の課題なのだろう。課題なのだ!
2007年2月22日
2007年2月21日
今日ある学習会の案内を作成していた。
印刷が終わってから何気なく見直してみると、
間違えがありました。
ショック
万障繰り合わせ衲衣ご出席いただきたくご案内申し曲げます。
こうなってなした。
万障繰り合わせ衲衣のうえご出席いただきたくご案内申し曲あげます。
だよねぇ。
急いでホワイトとボールペンで訂正しました。
出す前に気づいてよかったっていうこともあるが、
私の持論としては
印刷してから見直すな
っていうのもあるんです。
でも、ちょっとしたサービス心から見直してしまい、仕事が増えました。
見直すのは印刷する前なんです。絶対に!
これはいろんな色をきても良いということでなく、布袍、大谷派でいえば間衣の色を規制するっていうことなんですね、よく読んでみれば。 でも、「黒衣の僧侶を「お迎えがきた」と嫌がる人」がいるのは確かだけど、それは衣が黒色だからでないと思う。僧侶が詩に関する儀式を執り行っているっていうことからくるものだ。だから色を変えても仕方ないんじゃないかな。最初は効き目あるとは思うけど、多分時間がたてば一緒じゃないの。まぁ。それまでに僧侶に対するイメージが変わればいいんだけどね。 私も間衣をある意味カラー化してほしいという部類の人間だ。 私が着たいのは墨色っていうか薄墨の色に!黒色っていうのは今のような化学染料がなかったときはとても高価な色だったと聞いている。黒色が高価というよりも黒色に染めることが大変なことだったそうだ。黒色に染める前に赤やいろんな色に染めて、少しずつ色を濃くしていって、最後に黒色に染めるそうだ。手間がかかるということは値段もはるのだ。多分自分が思うに昔のそんな位の高くない僧侶は黒色じゃなくて墨色でなかったのかなって私は勝手に想像している。ねずみ色のような色、今韓国の僧侶が平生着ているような色が墨色って言ってたんじゃないだろうか。親鸞聖人桃しかして…って思うんだ。だからオレは薄墨色の衣を着たいって言う思いがけっこう強い。 それともう一つ理由がある。これはクールビズだ。黒色はやっぱり暑い。夏なんか衣に日が当たるとどんどん体温が上昇していく。少し薄い、光の熱を吸収しない色だったらもう少し涼しいんじゃないかな。 ということがあっておれは薄墨色の衣を着たい。 それと衣の色を規制するのではなく、いろんな色を着てもよいっていうことにしてほしい。その中でオレは自分の選びとして黒色を着たい。![]()
お西さん、法衣のカラー化を検討
浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺、京都市)は、約1万寺、約3万2000人の僧侶の普段着「布袍(ふほう)」に、伝統的な黒色のほか、赤、茶、緑系の3色を導入する方針を決め、23日に宗派の最高議決機関・宗会に服制規程の改正案を提案する。終末期医療の場で心のケアに携わる僧の黒衣が敬遠されがちなためだが、「宗祖・親鸞聖人は質素な薄墨色を好んだ」と反発の声もあり、〈カラー化論争〉が熱を帯びそうだ。(関西発)
2007年2月20日
今朝長男の宿題を見てやってた。
そうなんです今朝になってようやくやる気が起きたみたいです。そして実は昨日学校は休みだったんです。土曜日が学習三管だったんで。ですから土曜日の宿題、って事になるんです。
皆さん、「dm」って単位知ってましたか?多分decimeter:デシメートルっていうみたいんですが。センチメートルとメートルの間の単位らしい。すなわち10センチメートルが1デシメートルらしいのです。初耳初耳。
自分が小学生の頃こんなのならったかな。デシリットルという単位は聞いたkとおなるんですが。まぁ、デシリットルがあるからデシメートルがあってもおかしくはないんですよね。
でもこんな単位使うんだろうか。使わないような気がするなぁ?
よくよく考えてみると、ヨーロッパの数の動き方は千単位だから、デシメートルもなくてもよいし、センチメートルも入らないのかも知れない。メートルの下はミリメートルなんだろうなぁ、本来は。
子どもの宿題を見ていて本当に勉強させられました。ありがとう!
でも、デシメートルと言う単位の必要性を感じない私です。
私は発信先がどこか確認せずこのニュースを読んでしまった。日本もとうとう交通事故で亡くなっていく人より自ら命を絶っていく人の多くなったのかって思った。自殺者数は減ったってニュースにあったように思ってたのに。 よくよく見るとこれは韓国の話しらしい。ほっと安心をちょっとしてしまったが、隣の国の事ながらちょっと気になる。自殺者数が多いのは日本だけの問題かと思っていたらそうではなかった。 韓国と日本の共通点。高度成長期があった。儒教が浸透している。仏教も文化に根付いているかな。そういうところからも水かtらいの血を立っていく人を防ぐ者が見つけていけるのではないかな。 でも、交通事故死の1.5倍ってちょっと多すぎで無いかい。大問題だ!
自殺者は交通事故死の1.5倍、政府が対策着手
【ソウル19日聯合】自殺で死亡した人の数が交通事故で死亡した人の1.5倍に達しており、国内で生まれた子どもが自殺で死亡する確率は高血圧による死亡確率よりも高い。自殺が深刻な水準と判断した政府は、企画予算処と保健福祉部、教育人的資源部などを中心に、政府レベルの総合対策作りに着手した。
2007年2月19日

先日大谷派の青少年準備センターから一通の手紙が届いた。絵本百冊プレゼントについてであった。いつも狂ふ合格の通知と同じのようであったが、嫁はん云く、合格したみたい。
よく読むと、ぐたぐた書いてあったが合格したみたい。
このあと色々書類を作成して行かなくてはならないそうだが、特核もらえるみたいだ。
これから絵本を置くところやどう活用するか、本気で考えていかなければならない。
せっかくもらえたんだから...
近年私は応募はする者の無関心状態だった、どうせまたダメだろうって。
嫁はん毎年せっせと申請書を書いていた。本人云く今年はだいぶ手を抜いたとか。
私も申請書をもらってきたのが締め切りのつい二?三日前。多分採りに行かなくても真宗誌にはさんであったのだろうとは思うのだが、見つからない。それぐらい期待薄っていう思いがあった。
ダメもと出だしたのがよかったのだろうか。
申請書の理由欄に申請理由を書かずに近所のおかあさん連中の署名捺印をして送ろうかっていう案のあったのだけど、今回はそんな時間的余裕もなく断念した。血判の方がなおさらなのだけど。
とにかく百冊絵本頂けることになりました。
最初はあたるかどうかで心配したり期待したり、もらうことが決まったらこれからどう運用していくかっていうことでまた心配しなければならない。
然るに世人、薄俗にして共に不急の事を諍う。この劇悪極苦の中において身の営務を勤めて、もって自ら給済す。尊もなく卑もなし。貧もなく富もなし。少長男女共に銭財を憂う。有無同然なり。憂思適に等し。屏営愁苦して、念いを累ね慮りを積みて、心のために走せ使いて、安き時あることなし。田あれば田を憂う。宅あれば宅を憂う。牛馬六畜・奴婢・銭財・衣食・什物、また共にこれを憂う。思いを重ね息を累みて、憂念を愁怖す。横に非常の水火・盗賊・怨家・債主のために焚漂劫奪せられ消散し摩滅す。憂毒として解くる時あることなし。憤りを心中に結びて憂悩を離れず。心堅く意固く、適に縦捨することなし。あるいは摧砕に坐して、身亡び寿終われば、これを棄捐して去りぬ。誰も随う者なし。尊貴豪富もまたこの患えあり。憂懼万端にして勤苦かくのごとし。もろもろの寒熱を結びて痛みと共に居す。貧窮下劣にして困乏して常に無けたり。田なければまた憂えて田あらんと欲う。宅なければまた憂えて宅あらんと欲う。牛馬六畜・奴婢・銭財・衣食・什物なければ、また憂えてこれあらんと欲う。適一つあればまた一つ少けぬ。これあればこれ少けぬ。斉等にあらんことを思う。適具さにあらんと欲えば、すなわちまた糜散しぬ。かくのごとく憂苦して当にまた求索すれども、時に得ること能わず。思想して益なし。身心倶に労れて坐起安からず。憂念相随いて勤苦かくのごとし。またもろもろの寒熱を結びて痛みと共に居す。ある時はこれに坐して、身を終え命を夭ぼす。肯て善をなし道を行じ徳に進まず。寿終え身死して当に独り遠く去る。趣向するところあれども、善悪の道能く知る者なし。(仏説無量寿経巻下)
![]()
三月に五日間金沢別院の定例布教に行くことになったので、移動時間の暇つぶしにクレイジーケンバンドのアルバム クレイジーケンバンド - iTunes Originals - を購入。
クレイジーケンバンドは名前は以前から知っていたし、曲も二?三曲聞いたことあったんだけど、今回初めてアルバムを購入してみた。最近おじさんが一生懸命歌ってる曲が好きだ。自分がおじさんになたからかな。
仕事はゲットした者の、五日間話をする内容を作らなければなりません。このあいだの城端別院でお話ししたことを作り直したり、増やしたりするつもりです。でも、このあいだの城端別院の話しはそんなにMEMO取ってないんだよなぁ。思い出しながらつくらなきゃぁいけんのかな。
ここ数日ブログのファイルをPHP化しようと色々いじってたんだけど、うまくいかなかった。
そして色々ネットをうろうろと探していたらわかったことがあった。
私がレンタルしているサーバーではPHP化できないって言うこと。
安いサービスを契約しているので、MYSQLという者が使えない。これは何をするものかよくわからないんだけど、、データベース計のアプリケーションだと思うんだけど、それが使えないのだ。
だからどれだけ設定しても作動しないのが当然。
サービスの契約を変更しようと思ってもそれができずあらためて契約し直さないといけないので、当分無理、契約が終わる頃にしないとお金がモッタイナイ。と言いながら今レンタルしているサーバーはそんなに高くないんだけどね。するにしてももうちょっと後からにする。
できないっていうことで悔しい思いもあるんだけど、
反対に原因がわかり
すっきり
スッキリのほうが強いかな。今回は。
2007年2月18日

今日ファボーレに行ったついでに、敷地内のコジマ電気で上記のマウスを購入。
マウスはシングルクリックしかしてないのにダブルクリックしたように認識して困ってた。多分マウスが壊れていただろうと予想をして購入、正解、今までのことが解消した。
やっぱ息子達のマウスの扱い方が問題だったんだろう。下に落としたり、そんなことしてたので、いつのまにか追われて行ってたんだろう。
これからは息子達に厳重注意。
光学式にすればそんな壊れないだろうって思って前のを購入したが、大きな間違いだった。子ども達はどんなものでも簡単に壊す、そういう能力を持っているんだろう。
もう一つ、敷地内のスポーツ用品店のデポである者を弐萬圓ぐらいで購入。
それはサテなんでしょう。その事はまた後日お知らせすることにします。簡単に言えば健康器具です。お楽しみに!
そうそうアクセスカウンタがやっと2000を超えました。
2007年2月17日
やっと出ました。うんちが。
昨日の夕方便意があったんですが、子ども達に先を越されたり、忙しくなったり、いろんなことあってうんちするの延び延びになっていました、っていうか便意がどっか行っちゃってました。
今朝やっと便意が戻りやっと気持ちよく排出することができました。ホッです。
マイクロソフトOfficeを導入してから派組ちゃんの機嫌が悪く、すったもんだしてます。ワードが今だに動かないのですが、弱っちゃってます。
応急的に、openOfficeとかいうのを入れてます。これでいっても良いんですが、唯、お寺の会計や、いろんな管理をアクセスでやっていますので、最低限アクセスも必用です。
そうそう、アクセスのお寺のデータも、移管するときに壊したみたいです。これも気長に復旧しないとね。
2007年2月15日
宗祖が流罪にあわれて800年という事で、自分なりに本を読んだりそして考えたりしている。
法難にあったこと、罪科に処せられること、
このことの不当性
そこからくる怒り、
並大抵なものではなかっただろう。
想像がつかない。
どんな思いで流罪にあわれたのだろう。
でも宗祖は
弾圧に対する怒りだけでは終わってないように感じる。
弾圧に真向かいに向かわれていると思う。
だから反朝廷ではない、反朝廷に留まってないと思う。
和田先生風にいうなれば
内なる法難
そんなようなこと
外にだけ問題を見つけになられたのではないと思う。
自分というものも法難ということを通して見つめ直されていったのだろう。
内なる問題性もあきらかにささって行かれたことだろう
自分の教学の点検もなさったのではないだろうか。
内と外の問題を見つめられたことだろう。
河田光夫さんから本を読んで教えてもらった感じがする。
神祇不拝という姿勢から、神祇を念仏を護る存在にしていってしまったこと
その代表だと思う。
妥協ではなく、見つめ直された
自分の差別性、偏見性にであわれたことだろう。
国家を維持するための核であるである神を
拝まない対象としていくのではなく、
念仏を護る存在として取り組んでいった。
国家を守るものではなく、念仏を護る存在として神を否定していったのではなく、ひるがえしていったのではないだろうか。
国家、権力に対する問題性をしっかり見抜かれつつ、その問題を自分の内にも発見されていったんだろう。
だから流罪八百年にあった私たちも
内と外をしっかり見つめなけりゃぁね。
自己とは何ぞやっていうふうにうちばっかり問い直していてもダメ。
社会の出来事を色々批判しているだけでもダメ。
でも、どっちかになっちゃんうんだよ?ね?
円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳を成す正智、難信金剛の信楽は、疑いを除き証を獲しむる真理なりと
2007年2月14日

今高山線の列車に乗りました。長い旅路です。今日お伺いさせていただいたお寺は旧飛騨街道沿いにあります。ということは昨日の小坂は街道沿いでないということ。昨日お邪魔させていただいたお寺の坊守さんによれば、昔林業で栄えた町だそうです。今日のところは鹿や猿が顔を出すそうです。どちらのお寺もお参りが多かったです。田舎ということもあるかも知れないけど、でも田舎さでいえばうちも負けていない…どちらのお寺も地道に活動なさっておられるのだろう。反省
2007年2月13日

この仕事は高山の駐在の紹介だったんだけど、唯一の知り合い駐在はいない(最初からわかっていたことだけど)、クニ言葉が違う、富山と景色が違う、等々があってアウェイって感じだった、孤立感があった。勝手な思いだが…だから結構話しをする時キンチョウした。だから疲れた。明日は山之口というところだ!明日は頑張ろう。でも明日は天気が荒れるみたい。明日家まで帰るんだけど、最寄り駅まで自転車できたので、自転車で帰らなきゃいけない、どうしよう。あす帰り高山駅で長いトランジェットがあるので何か高山土産でもかってみようかな。なんかいいものありますか?

今朝6時半過ぎに家を出て高山線の列車とバスを乗り継いで11時半過ぎに現地にたどり着きました。今日のお世話になるお寺には樹齢200年をこえるしだれ桜が立っています。みごとなものです。春は本当に美しいでしょうね。でも、木の中が空洞になっているらしくちょっと元気がないそうです。ここは温泉地のようです。また街並みからすると宿場町であったようです、多分。一時からお話しの時間です。
2007年2月12日
このあいだマイクロフトWordをバージョンアップして、2007にしたんだけど、
今日使う用があって立ち上げたんだけど、ちゃ?んと動いてくれない。
改行するとフリーズしてしまうんだ。
修復してみたり、アンインストールして再度インストールしてみても
結果は同じだ。
フリーズする。
何が原因なのか全くわからない。
パソコン本体そのものと相性が悪いのか、
ATOKが悪いのか
その他のアプリケーションとの相性が悪いのか、
全然わからない。
とりあえず前のバーションに戻すしかないのかな。
ちなみに前のバージョンは、2002です。
2007年2月10日
本山出版部のサイトを見たら、「念仏者と平和?改憲・教育基本法「改正」 問題と私たち」というタイトルの本を出版したみたいだ。
タイトルが気になるっていうより、このタイトルで小川一乗、児玉暁洋、が著者の中に入っている、どんな本なのか想像がつかない。彼ら達どんなこと書いているんだろうか。

2007年2月 9日
ナムナム大集会に参加できないので飲み過ぎの今日この頃である。
今月の13日?から14日高山教区の定例教化の講師になっているので、どんな話をしようか考えてる今日この頃である。だけどよく考えてみると、
明後日、福野町のとある場所の総報恩講のお話しをすることになってたんだ。すっかり抜けてた。高山教区の法は対象がよくわからないので対策も打ちようがないが、総報恩講はここ5年ぐらいおじゃましているのでどんな人がお参りに来るかわかるので、話を決めやすいけど、反対にネタ切れ、ネタバレっぽいところがある。
高山教区への定例は私は車を運転できないので、電車で行く、だけど、途中数年前の水害で泊まったまま、だから代行バスを乗りついで行かなければならない。当然特急列車もない。そっちもなぜか楽しみだ。話しに行くことよりも…
列車を「救出」 台風で不通、放置2年余 岐阜・高山線(ahi.com)
岐阜県飛騨市宮川町打保のJR高山線打保駅で9日、台風23号の影響で04年10月20日に不通になり、同駅に取り残されたままになって
原発の廃炉費用、想定より3千億円増 電事連が試算(asahi.com)
自称安全でクリーンな原発ですが、 廃棄するのにこんなにお金がかかるんだって、 埋め立てるんじゃなくて、できるものはリサイクルするんだって。廃炉は10?20年ごろから本格化するが、巨額の費用が一時期に集中するため、利益の一部を事前に積み立てる「廃止措置引当金」が設けられている。現在の想定額約2兆6000億円に対し、原発を持つ電力会社は約1兆1000億円分をすでに計上済みだが、追加分は引当額を上積みすることになる。なんだって。 廃棄するのにたくさんのお金と危険がまとわりつくのかな。クリーンで安全って嘘っぱちかな、
2007年2月 8日
今朝FMラジオを聞いているとフードファディズムという言葉が取り上げられていた。
健康番組などでこれが体に良いと放送されるとそれを狂気的にそればっかり食べ、反対にこれが体に悪いとなると潔癖的に取り除いていくようなことを言うそうだ。
私の説明が悪いので、と言うかよくわかっていないので、
ウィキペディアには
フードファディズム(英語、food faddism)とは、特定の食品を食べるだけですっかり健康になる、などという宣伝をそのまま信じ、バランスを欠いた偏執的な食生活をすること。あるいは、特定の食品を口に入れて病気になったなどの情報に接し、その具体的な量に関するデータも確認しないまま、それを感情的に漠然と記憶し、その食品を全く口にせず、バランスを欠いた偏執的な食生活をすること。
簡単に言うと、あるあるで納豆が良いといったらねつ造発覚まで店頭に納豆が無くなる現象を言うのだろう。
やっぱりバランスよく食べるのが良いのだろう。結局偏食になるとその食品がどれだけからだに良いからといっても、結果としてからだによくないのだろう。
よく考えれば当たり前のことだ。
現代日本は健康教の信者が多いのだろうか。そしてそれが企業の利益を上げるために利用されているのだろう。
企業が商品を売るためにこれは体に良いですよって宣伝するのが悪いという思いはあまりない。当然のような思いがある。
でもそんなものに引っかかるのがある猪田って言うのもなんかおかしいような気がする。
メディアを信じるな、宣伝を信じるな、信じた者がバカなんだ!なんていうのはやっぱりおかしい。
この問題どう受け止めればいいのだろうか。
フードファディズムという概念は、群馬大学の高橋久仁子教授が紹介したらしい。
納豆騒動にみるフードファディズムとは(東京新聞、2007年1月30日)
2007年2月 7日
浄土真宗本願寺派は柳沢発言に対して声明を出しています。
大谷派は出していません。多分だ左内と私は予想します。だって内局の体質柳沢大臣と同じかそれ以上だと思うもん。何が問われているかワカランと思う!
柳沢厚労相発言に抗議文西本願寺、首相宛に送付(京都新聞web版)
柳沢伯夫厚生労働相の「女性は産む機械」発言に対して、浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺)が5日、安倍晋三首相あてに抗議文を送った。
2007年2月 6日
柳沢厚労相「結婚・子供2人、健全」発言に疑問の声(asahi.com)この人の視点というか、根底にあるものがやっぱりおかしいよね。 やっぱり子どもを産んでナンボの文っていう思いがあるのか、少子化対策っていうことが頭から離れないのか、… なぜ男女共同参画なのか、なぜ少子化が問題なのか、そんなこと考えてほしいし、こっちも考えなきゃね。
柳沢厚生労働相の発言が、また波紋を広げそうだ。野党側が国会運営の正常化に向けて動き始めた矢先。「女は産む機械、装置」発言の波紋が残る中、6日の会見では若者が「結婚し、子どもは2人以上持ちたいという健全な状況にある」などと語った。識者からは改めて疑問の声が上がった。
先日、OSであるWindowsXPがvistaにバージョンアップした。
でも、OSとしてどういう面がよくなったのか今ひとつわからなかった。
そして、メモリー1G以上と言うこともあって、今んところ私はバージョンアップを控えている。我が家にはパソコンが二台あるので安くないOSはなかなか変えようっていう気がおこってこない。
数年前の私だったら、多分発売日に到着するよう注文していただろうなぁ?
四人も子どもがいるっていうこともあって経済的になかなかほしいものが変えません。
ついこの間まで今振り返ってみるとパソコン地獄に堕ちてたんだろうなぁ。
新しいものが出た、って聞くとほしくなり買っていた。ソフトもどうだけど、周辺機器も。パソコン関係で使ったお金はすごいものになるだろう。PC98からDOS-VへOSもDOSの5ぐらいあたりから、Windows3.1へ、そして順々にバージョンアップした。マザーボードも何枚変えたことだろう。
こんかいのOSのバージョンアップは、めもりー1G以上という関門があって私にはなかなかクリアーできない。おかげでバージョンアップしなければっていう使命感は今回はない。非常に嬉しいことたし、たすかった。
でも、
このOSのバージョンアップにともなっていろんなアプリケーションソフトが同時にバージョンアップした。
私はATOKを今回は早速バージョンアップするために注文してある。実は、いつもはATOKだけ変えてるのに、なぜか久し振りに一太郎がほしくなって一太郎のバージョンアップにしたのだ。
あと、MicrosoftOfficeもバージョンアップしたいんだけど、何せ、2002から全然アップしてなかったから。
どうしようかな?っていう気持ちに襲われている。
でも今月はひとつだけかな、買うとしても。もう一台の分は、来月か再来月。
でも考えると、
ほしいよ?病が
だいぶ再発してるかな。だいぶ虫ばれてるかも知れない。
自覚症状はそんなになかったけど。
2007年2月 3日
2007年2月 1日

弾圧される者の誇り、これは今読んでいる最中の『親鸞からの手紙を読み解く』という河田光夫の本の第四講の講題になっています。流罪800年ということもあって、この講題響いています。「獅子身中の虫」という喩えがありますが、ご消息にでてくるこの喩えは河田さんは身内を気をつけろという意味ではなく、仏法は仏法者が妨げる、念仏集団を南都北嶺が弾圧しているという事実は、念仏が本物だっていう証として受け止めていると、私は読みました。弾圧、法難は真宗なることの証ってすごい発想。エタであることを誇りうる時がきたのだという言葉と重なっています。
連れ添いの検閲も終え、じゃなかった。校正もしてもらい、ごぼはんだよりは今印刷中です。これをもってお参りに午前中は行ってきます。お昼には城端別院まで送ってもらいます。
よかったら読んでみてください。
昨日はいとこの連れ添いのお通夜に行ってきました。お葬式にお参りしたいっていう思いは少しあったんですが、断念。
亡くなった人は多分60手前。お酒の好きな人でした。
私の母親の実家に遊びに行くとたいがいおられ一緒に酒を飲ませていただいていました。何かあるときにしか行かないからでしょうが…
愉快な方でした。
最近体をこわしておられるって言うことは聞いていたんですが、…
そんなにひどくなっているとは知りませんでした。
お通夜にお会いし、一緒に酒を飲んでいたことのことを思い出していました。
お手次ぎさんはびっくり、
知り合いでした。
今日もちょっと早起きしようと思ったのですが、でも五時ちょっと前にしか起きることができませんでした。
今日は読書のためではなく、寺報を仕上げるためでした。
今なんとか仕上がりました。
私の作るものは誤字脱字がめちゃくちゃあるので、
連れ添いの読んでもらって直して仕上がりになります。
OKが出たらネットにアップします。
今日の午後から城端別院の本堂布教です。五日の朝まで担当になってます。途中法事があり一座変わってもらうんですが。
話してみたいことがまとまりつかなく、これもこれもって視点が色々見えてきてます。自分の思っている事とちがっていたりしてなんていう気もしてます。
と言うか、
お先真っ暗って感じです。
だからもしかしたらいわゆる持ちネタで時間つぶしするかも知れませんし、
見切り発車するかも知れません。
流罪というか念仏停止、いわゆる法難っていうことを善鸞事件から探っていきたいんですが…
時間になったので
息子達をたたき起こしに行ってきます。
今日も月参りしなけりゃいけないのかな。
あと本当は昨日別院の巡回法座の案内を在所に配ろうと思っていたんですが、
お通夜があってできなくて…
今日配らないとどうしようもないのですが…
どうしよう?
2007年1月31日
柳沢厚労相、与党内にも辞任論 「産む機械」発言(asahi.com)柳沢さんの発言を聞いて なんてひどいやつ なんては 正直思わなかった、私。 (=^_^;=)あららって感じだった。 それは私が女性でないって言うことが大なのかな。 私は、女性を蔑視したくないという思いはあるが でも 現実は女性を蔑視する発想や思いがよく湧いてくる。 これが現実だ。 柳沢さんのような発言は私はしないと思うが、 同じような質をもっている。 だから失言としか思えない。 だからあの発言は仕方ない なんていう思いがある。 でもあの発言を何の問題もないかの発想は許してはいけないと思う。 自分から大臣の厄を辞しようと思わないこと まわりがそれは辞めるべきだよ 助言していない、そういう環境がおかしいと思う。 女性に対して本当に失礼な発言をしました、 だから辞職します。 そう発言してほしい。 失言でした 撤回します それだけで事を終えようとしている本人 組織が やっぱりおかしい。
民主党の小沢代表と社民党の福島党首、国民新党の綿貫代表は30日、国会内で会談し、「女性は子どもを産む機械」と発言した柳沢厚生労働相の辞任を安倍首相に要求することを決めた。応じなければ、31日から衆院予算委員会で審議入りする予定の06年度補正予算案の審議を拒否する方針も確認した。政府・与党内では今後の国会運営について危機感が強まっており、「辞めるならば早い方がいい」(参院自民党幹部)との声が出始め、首相の判断が問われる局面になってきた。
2007年1月29日
本論とはちょっとちがうけど、ネットをうろうろしていたら、ちょっと気になる本とであった。
書評はこちらに書かれています。私が書いたのではありませんが、ここでこの本の存在を知りました。ちょっと買ってみようかなっていう気がおこってます。
昨日から河田光夫さんの「親鸞からの手紙を読み解く」という本を読んでいるのですが、まだまだはじめの数ページだけなのですが、承元の法難と、善鸞事件は似ているようなものがあるような感じがしています。
まず、これは河田さんが言っていることじゃないですが、(多分)
承元の法難があって約50年後に善鸞事件が起こっている。そしてそのすぐあとに正像末和讃が書き始められている。何かつながっているような気がします。
承元の法難は法難というぐらいですから朝廷の宗教弾圧なのですが、あの念仏宗を何とかしなければいけないと感じていたのは、延暦寺や興福寺です。彼らが煙たい存在である念仏宗を何とかしたいって言うことで朝廷に働きかけている。仏教者、僧侶が念仏を称えている輩を取り締まろうとしたものが承元の法難というものだったのではないだろうか。「正当性」を、私たちが進めている仏教こそがホンモノの仏教なんです。法然が進めているのは偽物なのです。そういうことを明らかにするために、朝廷を使った。そういう構造が承元の法難にあると私は思う。法然の念仏宗団に危機感を感じたのは権力者というよりは既存仏教の延暦寺や興福寺、南都北嶺の輩。
善鸞事件も、善鸞の正当性・正統性を主張して始まったものなのかな。あいつらのは偽物だって善鸞は異端じゃないかな。そしてそれをまた正当化するために親鸞を使った、利用した。また「かまくら」を利用した。
いずれも仏教者が仏教をそしり弾圧している。誹謗正法している。本願門の抑止文が重なってくる。
親鸞が所属した法然の念仏宗団が南都北嶺より弾圧された、権力を利用して弾圧してきて、親鸞は流罪にあった。それから五十年後、親鸞の子、善鸞は、関東の親鸞の直弟子達が煙たかった(多分)。その煙たい存在を何とかしようとして、自分の正統性を明らかにする手段として親鸞の念仏集団として「公」であるる親鸞を利用した。また鎌倉幕府を利用して弾圧しようとした。善鸞が誹謗正法していた。
親鸞が受けたことを親鸞の息子である善鸞が同じ事やろうとしていた。
悲しかっただろうな親鸞。
立ち直れないぐらいショックだったろうな親鸞。
本当に末法であることを自覚したんだろうなぁ。
自分がされたことを関東の同行達に自分が結果としてしてしまった。
そう思うだけでも…
その中で正像末和讃が編纂されていったんかな。
正像末浄土和讃は親鸞作ではなく、愚禿善信集、なんだよね。これも多分意味深いんだろう?なぁ
「あるある」番組本、大手書店から撤去の動き(asahi.com)これ何か違和感を感じる ここまでしなければいけないのだろうか。 明くとき待ったものを排除し、そして排除することによって自分の潔白さを主張している。 やがて「あるある」あは世の中から抹消されてなかったものにされるのだろう。 「あるある」の何が問題だったのか、その事を明らかにならないまま「あるある」というテレビ番組があった事実を記憶の中から抹消しようとしている。ある意味「あるある」が浮かばれない。
関西テレビ製作の番組「発掘!あるある大事典II」のデータが捏造(ねつぞう)された問題で、前身番組の内容を収めた本を大手書店が自主的に撤去していることが28日分かった。
2007年1月28日
竊かに以みれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。しかればすなわち、浄邦縁熟して、調達、闍世をして逆害を興ぜしむ。浄業機彰れて、釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまえり。これすなわち権化の仁、斉しく苦悩の群萠を救済し、世雄の悲、正しく逆謗闡提を恵まんと欲す。
日域は大乗相応の地なり
竊かに以みれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛なり。しかるに諸寺の釈門、教に昏くして真仮の門戸を知らず、洛都の儒林、行に迷うて邪正の道路を弁うることなし。ここをもって興福寺の学徒、 太上天皇諱尊成、今上諱為仁聖暦・承元丁の卯の歳、仲春上旬の候に奏達す。 主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し怨を結ぶ。 これに因って、真宗興隆の大祖源空法師、ならびに門徒数輩、罪科を考えず、猥りがわしく死罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて、遠流に処す。予はその一なり。しかればすでに僧にあらず俗にあらず。
後鳥羽院御宇、法然聖人他力本願念仏宗を興行す。于時、興福寺僧侶敵奏之上、御弟子中狼藉子細あるよし、無実風聞によりて罪科に処せらるる人数事。 一 法然聖人並御弟子七人流罪、また御弟子四人死罪におこなわるるなり。聖人は土佐国番田という所へ流罪、罪名藤井元彦男云々、生年七十六歳なり。 親鸞は越後国、罪名藤井善信云々、生年三十五歳なり。 浄円房備後国、澄西禅光房伯耆国、好覚房伊豆国、行空法本房佐渡国、幸西成覚房・善恵房二人、同遠流にさだまる。しかるに無動寺之善題大僧正、これを申しあずかると云々 遠流之人々已上八人なりと云々 被行死罪人々。 一番 西意善綽房 二番 性願房 三番 住蓮房 四番 安楽房 二位法印尊長之沙汰也。 親鸞改僧儀賜俗名、仍非僧非俗。然間以禿字為姓被経奏問畢。彼御申状、于今外記庁納云々 流罪以後愚禿親鸞令書給也
なむなむ大集会が近い、
承元の法難800年という日がもうすぐだし、
来月の1日から5日まで城端別院の本堂布教があったっているので、
上の引用文がつながらないかと思い、一生懸命読み込んでいます。
と言いながら今PCの前に座り、ブログをかいているのですから…
そんな一生懸命じゃないんでしょうが、
でも何とかお話しできたらなぁって色々いじってます。
なぜか御消息の9?10も読んでいます。否読もうと思ってます。
勉強嫌いを実感してます。
2007年1月27日
今日出版部から「真宗」と「同朋新聞」が届きました。
「真宗」誌を見てびっくり
「死刑執行の停止、死刑廃止を求める声明」
そういうのがありました。
それがびっくりなのです。
そんなの聞いてないよ?
初耳でした。
へぇ?そんなの出してたんだ!
でも
でも、12月26日の声明なのに
いっしょに送られてきた同朋新聞にはこのことが一切記事になってない。
そしてもしもやっておもい
TOMOネット、宗派の公式ホームページを見たら
やっぱり
この声明のことが一切かかれていない。
なんじゃぁこれ!
これで声明かよ!
真宗誌に発表するだけで声明なのかよ!
こんなこそこそしている声明は
声明じゃな??い
こういう声明を出していることを隠したいのか!
真宗誌を読む人だけに公表したくて
他の人々、
御門徒の方々、大谷派に関心がある人々
そんな方々には内緒にしておきたいことなのか!
教団が死刑制度を廃止を願ってることを。
そういうふうに疑ってしまいます。
本当は疑ってはなく、そうだと思っているのです、私。
後ほど声明文をここに載せます。
とりあえずぼやきだけ
怒りだけをお伝えしたくて
○△□※●▲◆○△□※●▲◆○△□※●▲◆
死刑執行の停止、死刑廃止を求める声明
昨日、東京拘置所で二名、大阪拘置所で一名、広島拘置所で一名の死刑が執行されました。
なかんずく、この一年三ヵ月間、死刑の執行が停止され、死刑制度に関する論議の必要性が広く社会に喚起されつつあったことに鑑みれば、まさに今回の執行が、死刑制度の論議さえも否定し、その温存のみを意図したものであると思わざるを得ません。
私たちは、たとえどのような罪を犯した人間、また未だ反省や悔悟の気持ちを表現することにいたらない人間であっても、それを排除することなく、かけがえのないいのちとして尊重することをとおして共に生き合える世界を、阿弥陀如来の本願として教えられています。私たちはその根源の願いに立って、一人ひとりの人間が、いのちの尊厳において見出される社会の実現を願うものであります。
現在、私たちの国では、人間の持つ限りない欲望によって、いとも筒単に人が殺されるという事件があとを絶ちません。被害者遺族の悲しみ、怒り、憎しみは、どのような言葉をもってしても表すことができないほど深く、激しいものがあります。殺人という罪を犯した者は、そのいのちを絶つことをもって償うべきであるとの心情は、遺族とすれば当然と言えるかもしれません。また、遺族を思いやる心にあいまって、連日、報道される事件の残忍さも死刑執行、死刑制度の存続を願う世論の高まりにつながっているのでありましょう。
しかしながら、私たちは、どうして犯罪を起こしたのか、どうして罪を犯す人間になってしまったのか、ということについてはあまり考えることはありません。そして、自分自身は決して罪を犯すことがないと無意識のうちに思い、犯罪者を憎み、極刑を望みます。こうした応報思想は新たな悲しみを生み出すことはあっても、決してそれによって救われることはありません。はたして遺族の心の傷が真に癒え、罪を犯した者もが救われるとはどういうことでありましょうか。
私たちは、死刑制度の存続を支持する世論がいよいよ高まっている今日、死刑に関する意見や立場の違いを認め合いながら、遺族の救済のあり方を含め、この制度について論議していく場を開いていかなければならないと考えます。
ここに、あらためて今回の死刑執行に遺憾の意を表明すると共に、今後の死刑執行を停止し、死刑制度についての論議が開かれ、死刑廃止に向けての取り組みが進められますよう願うものであります。
二〇〇六年十二月二十六日
真宗大谷派宗務総長 熊谷 宗恵
2007年1月25日
私はたばこの煙の臭いはそんなに気にならない、
でも自分の服についたたばこの臭いは嫌いだ
っていうか
横でたばこを吸われるのはそんなに気にならない
でも、翌日
たばこのない環境の中で
服についたたばこの臭いがいやだ
昨日も
その教化委員会があって
横の人がたばこを吸ってた
当然
けさパジャマから昨日の服に着替えたら
たばこの臭いが気になり
服にファブリーズを書けた
自分は
たばこの臭いが薄らいだので
OK
だって感じた
でも
三男坊が
ファブリーズ臭い
っていわれちゃった
ちゃんちゃん
教育再生会議第1次報告があったようです。
斜め読みのまた斜め読みをしました。
簡単に言うと、大人の価値観を子どもに押しつけようとしているような感じを受けました。
このあいだも書いたことですが、
「教育再生」ということがあるとするならば、
それは
こどもをどうにかする
って事じゃないと思う。
大人がどう生きるか
大人がどんな未来を描いているのか
そしてその未来に向かってどう歩んでいくのか
そういうことが大事だと思います。
ゆとり教育の見直し
と言うことが揚げられていますが
子どもにゆとりがあるかどうかと言うことより
教員にゆとりが必用
そういうゆとり教育
それが大事
立派な教員の育成より
いろんな教員の育成
「論議を否定するのは民主主義を否定することだ」とか言う人がいますが、核武装を否定しないのが民主主義ならそんな民主主義なくていいよ。
てか、民主主義ってそんな時に使うなんておかしいし!
戦争で得したい人の言葉だね。
この言葉は、だいぶ前流星さんから紹介いただいたインリンさんのブログにあった言葉。
ドッキッとしちゃいました。
みんなで話し合う、みんなが主役、これが民主主義だと私は勝手に思っている。
今の自分には自分の意見を声高に言うのが民主主義ではなく、
他なる存在の意見や心を聞くことが私の民主主義だと思った。
いいとか悪いとかということを抜きにして、
「民主主義」とか「自由」っていう言葉が表に出てくるときは
俺の話しを聞け!俺の話しも聞け!
オレが主役だよね。
そんなこと考えていくとなんか土つぼにはまっていき、整理が着かなくなり、めちゃくちゃになってなるけど、
核武装を否定しないのが民主主義ならそんな民主主義なくていいよ
何かはっきりしてて、迷いが無くていいね。
頷いちゃってます。
この人すごい人だな。
このあいだ「差別する自由っていうのはあるのか」っていう話しが同和特伝のスタッフ事前学習会でいっていた人がいたけど、
差別する自由があるのならそんな自由はいらない
そういうことなんだろうなぁ
民主主義とか自由という言葉にとらわれるのではなく、そう言う言葉を生み出した奥にあるものを私たちは大事にしていかなければいけないんだよね。
言葉や思想は人間のものだから限界がある。
民主主義とか自由っていう言葉や思想の奥にある、私たちが表現しきれないものを大事にしていきたい。
でも、自分の中ではっきりしてないから守りきれないことが多々ある。自分で侵していることがよくある。
思想より感覚って事かな。思想に頷く感覚これが宝なのかな。
2007年1月24日
昨日は同和特伝のスタッフ事前研修会。
第二回講師の吉田さんと三回講師の藤野さんが次回お話しいただける概要をお話しいただいた。
お二方に「部落問題になぜ関わるようになったのか」少しでよいからお話しいただきたいという自分の思いをお伝えしたら、藤野さんのことは、「忘れられた地域史を歩く―近現代日本における差別の諸相」を読めばわかるよって教えてくださったので、早速購入しました。でもちょっと値段が高い!
2007年1月23日
ネットをうろうろしていると
『約束の旅路』をブログに書いて募金!日本初「ブログ募金キャンペーン」スタート
と言うタイトルが現れてきた。
面白そうだとおもい色々読んでいき下記のサイトにたどり着いた
「ブログ募金キャンペーン<MOVIES FOR PEACE>」
映画『約束の旅路』に関するコメント・ご感想をご自分のブログに書き込んでいただき、トラックバックをお願いいたします。
。
エントリ1つに対して、シネマカフェ運営会社「株式会社カフェグルーヴ」よりUNHCR(国連難民高等弁務官)駐日事務所アフリカキャンペーンに50円の寄付を行います。
バナー・予告編を掲載いただいた方も募金の対象となります
最後の行を読まずに映画を覩て感想を書かなけりゃぁあかんのかと勝手に理解し、上映場所を調べても、富山ではやって無く、そしてよくよく目をこらしてみると、東京でもどうも上映するのは三月から。
なんじゃ個れぇと思いながらよくよく読み返していくと、バナーなどを張るだけでも良いのだって言うことに気づき、今やれることとしてあることにやっと気づいた。
映画の予告編もご覧になれます。(これを貼り付けるだけでも募金ができるらしい)

富山で上映したら見に行こうっと。金沢でも行こうかな?
2007年1月22日
「あるある」打ち切りも 番組捏造、苦情が900件(asahi.com)またまたあるアルのネタなのですが、 苦情900件 この言葉に引っかかった 苦情をした人はどんな損害を受けたのだろう。 嘘をついたっていうだけで苦情の電話をテレビ局にしてしまうの? そしてその嘘っていうのはそんな重大なこと、生命を侵されることなの? 納豆が貯められないっていう苦情をやらせ発覚前に電話する気持ちは何となくわかる スーパーや下ろしメーカーが苦情の電話をするのはわかるが、 この程度のあるあるのネタで私は苦情の電話をする気がおこらない。 騙された?ってほどじゃないじゃないですか。 人間に必要以上に純粋を求めてはいけない。 他に純粋を求めているあなたはどれだけ純粋なの 私はみんなが純粋、まじめな国は生きにくいと思う。
フジテレビ系の生活情報番組「発掘!あるある大事典2」が紹介した納豆のダイエット効果にデータ捏造(ねつぞう)などがあった問題で、制作した関西テレビ(大阪市北区)は21日、予定していた同番組の放送を取りやめ、視聴者へのおわびを放送した。同局は同番組の打ち切りを含めて検討しており、22日以降の系列局会議で正式に決める。
やっぱこの国にストレスをかかえている人が多いって言うことなのかな。
年間自殺者が三万人を超えるのも何となく頷けることだ。
2007年1月21日
私は毎日納豆を食べなければ気が済まない、
っていうことはないが週に一回は食べたい方だ。
しかし最近スーパーマッけと合羅納豆が消えていた。その原因は「あるある」だということは聞いていた。
「あるある」恐るべし、って思っていた。
納豆が店頭に並んでいないなということを知るとむちゃくちゃ食べたくなるのが私である。
しかし今朝夢の中でラジオのニュースを聞いていると嬉しくなるニュースが流れていた。
あるあるやらせ!って.
思わす嬉しくなって飛び起きた。
「あるある大事典」の納豆ダイエットで捏造 関西テレビ(asahi.com)
フジテレビ系の生活情報番組「発掘!あるある大事典2」で、納豆のダイエット効果を紹介した7日放送分にデータ捏造(ねつぞう)などの問題が判明し、制作した関西テレビ(大阪市)が20日、発表した。番組では、納豆を食べた被験者の中性脂肪値が正常値になったとコメントし、字幕で数字をつけて紹介。だが実際には測定しておらず、他の実験でも測定や検査をしないまま、架空の数字を番組で流していた。会見した千草宗一郎社長は「放送局としての信頼を著しく損ない、視聴者の信頼を裏切ることになり、誠に申し訳ない」と謝罪した。
多分今日から店頭に納豆が並ぶんだろう。
店頭に沢山納豆が並んでいるのを見てしまうと、もしかかしたら私は納豆が食べたくなくなるのかも知れない。
しばらくでも納豆を買ってあげなければ、多分業者さんが増産しているのだから。余っちゃったら訳す鳴るかも知れないけど、それが度を超すと倒産する業者が出てくるかも知れないしね。
でもこの納豆をあるあるに持ちかけたのが納豆業界だとすると自業自得っていうことになるけどね。
そうでなかったらかわいそうだよね。
2007年1月20日
このあいだの交流集会のパンフレットに書いてあってブログでちょっと紹介した「はじめの一歩」という詩。
ネットで検索してみると曲があるみたいです。元々歌詞だったようです。
曲はこちらから聴けます。
(http://www.momo-mid.com/)の中に曲があります。
そして作詞された新沢としひこさんのプロフィールはアスクミュージックのホームページ(http://www.ask7.jp/)に掲載されています。
強姦などで服役の男性無実 別の男が容疑認め逮捕 富山(asahi.com)地元紙北日本新聞の記事はこちらから
富山県警は19日、02年に起きた強姦(ごうかん)事件などで懲役3年の実刑判決を受けて服役した富山県の男性(39)が無実だったと明らかにした。勾留(こうりゅう)、服役期間は2年9カ月にわたる。県警は同日、この事件の容疑を認めた松江市西川津町、無職大津英一容疑者(51)=別の強姦罪などで公判中=を強姦容疑などで再逮捕。富山地検高岡支部は男性の裁判のやり直しのため、富山地裁高岡支部に再審請求する。
2007年1月18日
教育見直し、7提言 再生会議(asahi.com)《七つの提言》 【1】ゆとり教育を見直し、学力を向上する 「基礎学力強化プログラム」▽習熟度別指導の拡充▽地域の実情に留意のうえ学校選択制の導入 【2】学校を再生し、安心して学べる規律ある教室にする 出席停止制度を活用、警察と連携▽反社会的行動を繰り返す子供に毅然(きぜん)たる指導 【3】すべての子供に規範意識を教え、社会人としての基本を徹底する 「道徳の時間」の確保と充実▽高校での奉仕活動の必修化▽大学の9月入学の普及促進 【4】あらゆる手だてを総動員し、魅力的で尊敬できる先生を育てる 社会の多様な分野から積極的、大量に教員に採用▽メリハリある給与体系で差をつける▽不適格教員は教壇に立たせない 【5】保護者や地域の信頼に真に応える学校にする 「教育水準保障機関」による外部評価・監査システムの導入▽副校長・主幹等の新設▽民間人校長など管理職に外部の人材を登用 【6】教育委員会の在り方そのものを抜本的に問い直す 危機管理チームを設ける▽教職員の人事権は市町村にできるだけ移譲▽教委の基準や指針を国で定めて公表し、第三者機関の外部評価制度を導入 【7】社会総がかりで子供の教育にあたる 「家庭の日」を利用しての多世代交流▽地域リーダー(教育コーディネーター)の育成
政府の教育再生会議が来週まとめる第1次報告の最終案の骨格が18日、明らかになった。「ゆとり教育を見直し、学力を向上する」など「七つの提言」と、その中で実現を急ぐものを特記した「五つの緊急対応」で構成している。提言では、「基礎学力強化プログラム」の作成、各学校の評価・監査をする「教育水準保障機関」(仮称)の創設、いじめや校内暴力に対応する教育委員会の「危機管理チーム」の設置などを打ち出した。
以上が七つの提案なんだそうだけど。こんなかちかちなのいやになっちゃうな。
本当に社会に役立つ立派な子ども生産会社って感じですね。
社会っていうのは、大人というか権力者が勝手に画く「社会像」ですよね。みんなが過ごしやすい社会でなくね。権力者のための社会。そういうのに間に合う社会づくりが目的だね。

今日このあいた注文した三男坊の学習机が届いた。
三男坊もあと何日寝たら机がくるんだって、注文した日からめちゃくちゃ楽しみのようだった。
だから今日も保育所から帰ってくるなり机のある部屋へ直行してました。
今度一年生になるんだっていう認識はあるようです。
それと自分だけのものを新品で買ってもらったのも嬉しいのかな。
ホント嬉しそうです。

今日は熟睡したせいか午前四時前に目が覚めました。仕方なくFMラジオを聞いていました。
この曜日この宗派以前はよくラジオをよく聞いていた。番組名は変わってしないが、喋っている人がちがっている。喋っている人が変わったから聞くのをやめたんだけど。
WANTED!水曜日はコンドルズが担当
ゲストは声優の島本須美さんだった。自分の好きなアニメによく出演されている方なのでついつい聞き入った。彼女は声優になりたかったら日々感動するのが大事だよ。なんていっていた。声優は声で心を表現する仕事なのかなって思った。そのあとにテクニックとして発音の良さなどが必用であるなんていうようなことを言っていたような気がする。
自分はFMラジオをお気に入りになるか鳴らないかっていう基準に喋り手の声がある。綺麗な声が好きだ。色っぽい声も大好き。そういえば高校の時毎週聞いていた新屋のラジオ番組、オールナイトニッポン木曜日。一部はビートたけし、この放送は後に伝説の番組となったそうだが。私が聞いていたのは第二分である。谷山浩子さんが喋っていた。最初聞いたときは谷山宏子っていう人を知らなかった、聞いていくうちに歌手であるっていうことがわかっていたんだけど。声が好きで、そしてその声から、しゃべり方から伝わってくる性格みたいものが気に入っていた。
ラジオは声だ。だけど綺麗な声、かわいい声、そんな人たくさんいる、そこで気になっていくのはその声から想像できるその人の性格、人間性だ。その中でその人ではなく声に恋していくこともたまにはある。
自分は少ない情報で人間像を想像するのが好きなのかな。
2007年1月17日
先日楽天で注文したんですが、欠品ということでキャンセルされていました。
二階の書斎と称している部屋にはPCがありますが、テレビがありません。
テレビのチャンネル権がなぜか子ども達の方が優勢です。好きな番組を一人で見たいと思うことも屡々ということで今度は

で注文してみました。
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マーヒーさんからご紹介いただいていたボブマリーのお薦めアルバムBabylon By Bus - Live
をアイチェーンで購入。でもこのアルバムをiTunes探すのに一苦労した。なかなか見つからなかった。だから購入できてうれしさ倍増

昨日はカンジャノ婆ちゃんの祥月命日でした。
私は彼女の思い出がいっぱいあります。好きな人ではありませんでしたが、という家いっしょには生活したくないタイプの人でしたが、ある意味面白い人でした。
その婆ちゃんのうちは簡易式の水洗便所、当然下水道につながっているわけもなく、そして浄化槽にもつながっていない便所でした。ボットン便所をちょっとよくしたタイプ。
だから数ヶ月に一度汚物を業者がくみ取りにきます。そして彼女はそのくみ取りの人が来たらよく喧嘩をしていたそうです。なんて喧嘩していたかっていうと、「持って行くな」って。
彼女は家から百メートルも離れていないところに畑をもっています。私の家の隣なんですが…。
彼女は水を野菜にやる変わりに、便層にある汚物の液体をやっていました。だから彼女にすると便層のものは大切なものなのです。だから半分冗談で、くみ取り屋さんと喧嘩をする。いや本気だったかも知れない。
そんなことを何度か話してくれた。
本当に昔人間。農薬も嫌い。無農薬の野菜を作りたくてではない。農薬を買うお金がもったいなくてだ。キャベツも割り箸で一生懸命青虫を捕っていたのを見たことがある。
その野菜を一輪車に入れて行商して売っていた。
今その野菜を売れば、付加価値が着いてた各売れただろうなぁ。無農薬野菜っていう言葉も知らない人だった。数字を読むことはできたが、多分字を読むことを知らない人だった、また一万円札とかにはあまり興味が無く硬貨を大切にした人。行商では一万円札は必要ないから、多分。
彼女の話、彼女の生活スタイルを思い浮かべるとなぜか笑えてくる。
そのお婆ちゃんは今年13回期を迎える。12年前の昨日無くなった。
阪神大震災の前の日、こたつの中でうたた寝しているように死んでいた婆ちゃんだった。
阪神大震災のこととを考えると私は近所の婆ちゃんのことが同時に思い出される。
2007年1月15日

またまたさんんなんぼうの話題です。
買い物から帰ってきてランドセルの箱に入っていた絵の描いてある厚紙を頭にかぶってパソコンに向かっている三男坊です。めちゃくちゃご機嫌というかハイです。

今日午後から三男坊を連れて買い物に行ってきました。学習机とランドセルを買いに行ってきました。
そうそうそれと大切なパトロンにいっしょに行っていただきました。出資者の方にもどんなものを買ったのかちゃんと見ていただかなければっていうことでいっしょに行ってきました。
学習机はささっと決まったのですが、ランドセルはなかなか決まりませんでした。といって私がごねたわけでは決してありません。
三男坊は紺色って心に決めていたらしく、最初の店に行ったのですが、もはや紺色のランドセルは存在してませんでした。やっぱり懇里ということで今度はデパートへ、値段を見るとびっくりでどうしようか私は悩んでいましたが、三男坊はすかさず、紺色のやつを選びました。他のショップでも見せたのですが、最初に選んだのがよかったということでやっとそれに決定になりました。

こんかいのパトロンの三男坊にとってお婆ちゃんを迎えに行ったのですが、途中立山連峰が綺麗でした。なかなか見た感覚が写真では表現できていませんが、ホント綺麗でした。

おまけで四男坊の写真です。
2007年1月14日

詳しくは画像をクリックください
たくさんの方より誘いをいただいていて私も参加しようと思っている集会です。
みなさん参加されませんか。法難800年の在野の記念集会です。私も賛同人になってます。
ちょっと御案内が遅れてしまいました
2007年1月12日

うちのネコ、空気清浄機の上に乗り、恨めしそうに外を覗いています。
今日も小雨です。冬型の気圧配置なのでしょうが、雪ではなく雨です。
このとき富山では当然のことなのですが、すっきりしない天気です。去年のような雪がないだけ良しとしなければいけないことなのでしょう。
2007年1月10日
2007年1月 9日

末本 弘然 著 仏事のイロハ(本願寺出版)
(ここをクリックするとAmazon.JPに飛びます)
本願寺出版で直接購入される方はこちらから
本願寺派のお宅にもよくお参りに行かせてもらっています。お内仏のお給仕が大谷派と本願寺派ではどこがどのようにちがうのかよくわかっていなかったので、アマゾンで購入しました。自分がためになるものしか購入しません、私。私が開かれる、やぶられるためになかなか本を読むっていうこと、無いですね、私。
ちなみに大谷派のお内仏のお給仕についてお知りになりたい方は
お内仏のお給仕と心得 菊地 祐恭著(東本願寺出版部)
この本をはじめとする東本願寺出版部の版は一般書店では取り扱っていません
TOMOぶっくで購入できますhttps://books.higashihonganji.jp/
防衛省が発足 海外活動、本来任務に不愉快だその一言だ こういう事がここで書けなくなったとき、戦争が始まるんだろうな。 戦争っていうんだろうな。
防衛庁が9日、「防衛省」に昇格した。1954年の発足以来、戦力不保持を定めた憲法9条との関係などから庁にとどまってきたが、半世紀余りを経て独立した省になった。自衛隊のイラク派遣などの海外活動も付随的任務から本来任務に格上げされた。安倍首相は同日午前の記念式典で、省昇格を「戦後レジーム(体制)から脱却し、新たな国造りを行うための第一歩」と位置付け、政府の憲法解釈が禁じてきた集団的自衛権行使の研究を進める考えを改めて表明した。

先ほど、釋香立さんより荷物が届いた。
中には、濡れ煎餅、味噌南京、ピーナッツが入ってました。
早速、濡れ煎餅と味噌南京(味噌ピーナッツ)を味見、味噌南京もやめられない止まらないってかんじ、濡れ煎餅も、銚子鉄道のよりは塩加減が薄く感じ、甘みもあり味見では終わりませんでした。
息子達も今帰ってきて、昼食前の味見ではなく、試食会が始まってます。
釋香立さん、美味しいものをありがとう。
何か富山らしいものをお返しします。
団塊という漢字をついこの間まで「ダンコン」って読んでいた私です。
先ほど「特ダネ!」というテレビ番組を見ていた。堺屋太一さんのインタビューが流れていた。
さかい屋さんのことは私は余りよく知らなかった。組閣に入った事のある人だというぐらいの認識しかなかった。
番組を見て知った人だが、彼が団塊という言葉を作った人らしい。
インタビューの中で彼は、団塊の世代の人達のメッセージとして「有利より好きを選べ!」「好老文化を創れ!」ということを行っていた。これは団塊の世代へのメッセージより私たち日本に住むものへのメッセージだと感じた。ちょっと興味をもった。
ちょっと彼の本でも読むかどうかはわからないけど、何か一冊買ってみようかと思っている。
2007年1月 8日
昨日は天気予報によると大雪になるかもとのこと、だった。
でもその天気予報も外れ、朝方ちょっとあられが降ったぐらいで雪は大したことはなかった。
でも風がひどかった。
自転車でお参りに行く私にとってはこれが結構大変。お参りを午後からにして午前中は今日の総会の資料作り。そのため、御案内いただいていた死刑制度に関する集会には参加しなかった。
雪はなくても風ひどし。
今日は風もなく雪も無く。今回のは富山では期待はずれかな。ホッとしてます。
2007年1月 7日
きのうお参りに行って昔のことをお話しいただいた。
昔は裸電球がひとつしかなく、その裸電球を用のある部屋に持って行ったとのこと、だから裸電球のコードはめちゃくちゃ長かったそうだ。町からお嫁に来られたその日とは、その事が不思議で不思議でならなかったそうな。
こんなことも以前聞いたことがある。昔ニートみたい人が沢山私の住んでいるところにはいたそうな。まぁ、仕事がしたくても人足の仕事もあまりなく、やることがなかったっていうことなんだけど。
多分昔私の住んでいるところはそんなに裕福じゃなかったんだろうな。というか農村はそんなに裕福でなかったんだろうな。町と村では生活格差がはっきりあったんだろうな。自分の土地を所有して田んぼや畑をを耕作していた人ってそんなにいなかっただろうし。
2007年1月 6日

先ほど宅急便のお兄ちゃんが玄関のチャイムを鳴らした。はんこを押して中身を見てみると、銚子電鉄の濡れ煎餅だった。これはいつ注文したんだっけ?っていうかんじのもの。本当にいつ注文したかわすれた。一ヶ月以上は立ってるはずだ。それがやっと今日届いた。
弔電の存続が危ないって言うニュースを見て、HPを訪れ、つい濡れ煎餅も食べたいし、チョうっと協力しようかっていう気になって注文した。そんな人がいっぱいいてか、発送が追いつかなくなったそうだ。
早速味見をしたのだが、これが濡れ煎餅か?ってかんじ。
私にしたらちょっと塩っ辛いかな。
待ちに待った商品、というか忘れかけていた商品なので、届いて早速味見したときには嬉しかった。
2007年1月 4日
今日から月参りが始まるので今日までにごぼはんだよりを印刷を終えていなくてはならないはずなのに、きのうまで全く手つかず状態でした。そして今日朝朝寝坊!午前8時にやっとベットから移動。
そこから目をこすりながら何とかかんとか午前中には仕上がりました。
私の今日の予定では、午前中に今日のお参り、午後からは機能できなかったぶんの年頭まわりをするって言うことになってたんですが、ごぼはんだよりがなかなか出来上がらなかったので、予定がずいぶんすれ混みました。
でも何とかかんとか、健在はほとんど今日の仕事終わってます。
ホッとして焼酎でも一杯引っかけようかと思ったら、そうだった、今日夜一軒お参りに行かなくてはならないことお思いだし、お預け。でも思い出してよかった。でも自分が思い出したのではなく、連れ合いに指摘されてやっと気づいたのでありました。
とにかくごぼはんだよりが仕上がってますので、気のある方はご覧になってください。
こちらからどうぞ
2007年1月 1日

お正月お参りに来られるためにちょっと楽しんでもらおうと思い、本堂の整備もせず、子ども達と雪灯籠を作りました。バケツに雪を詰めて、それをひっくり返し、何段も作る。そして最後のところはくりぬく。そういうこと子ども達としました。最初は雪だるまを作ってくりぬいてやろうと思ったのですが、雪がもうなかなか多磨にならない状態だったので、変更しました。ちょっとだけ好評だったようです。
写真は今晩玄関に飾ってある雪灯籠です。これもお日さんが出ているとき子ども達と作りました。

お正月のお参りはお天気もよく、月が綺麗に見えてたぐらい。おかげでめちゃくちゃ寒かったです。だからお参りになられた方の数はよくわかりませんが、出だしがけっこう遅かったです。