2013年11月 3日

HONKOHAN勤まりました。

本年も何とか、報恩講をお迎えすることができました。
報恩講前にいつも以上に予定を入れてしまい、なかなかお迎えの準備ができず、自分自身井腹が立ったりしてたんですが、
たぶんことなく終了させていただきました。
報恩講を勤め終わらせていただくと言うことは、始まりなのでしょう。昔の方はアッカリしたらあかん我やぞって言っておられましたから。一年のスタートの行事がホンコサマ、ホンコハンなのでしょう。
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2013年3月23日

修多羅

syutara.png真宗大谷派の僧侶としての一番の正装は、袍裳に七条袈裟をつけるものです。北陸ではよく葬儀の時導師が着用します。また寺院の代法要などにも着用されます。
七条袈裟には修多羅という組紐を掛けます。修多羅とは昔のインドの子土場シュードラを音訳したもので、経糸とか言う意味が元来だったと記憶しています。そういうことを踏まえて、仏教経典を修多羅という意味でも使用することがあります。
葬儀の導師として七条袈裟、修多羅を着用することが一つ大事な形だなって最近思ってます。
七条袈裟と言うよりは修多羅をつけることが、
この組紐を修多羅というようになったのは聞く話によると、昔中国よりインドに仏教要点を頂いてこようという大事業をなさった時、この組紐のようなものに巻経を挟んで、らくだや馬などにつけて運んでこられたそうです。経典を運ぶ道具としてこの組紐があったのです。そしてその組紐を少なくても真宗大谷派では修多羅と言っています。
七条袈裟という一番大谷派では重たいお袈裟に修多羅、経典を運ぶ道具を着用するのです。
中国に経典をインドからは混んでこられた僧侶、インドの言葉で書き表してあった仏教経典を自分たちの言葉に書き換えられた方を三蔵法師と言います。
ある意味修多羅の着いた七条袈裟をつけて導師を勤めるということは、三蔵法師を意味すると思うのです。経典を運び、仏縁を結んで頂く、これが導師の仕事なのではないでしょうか。
僧侶の大事な仕事として、仏教経典を理解するとか、教え通りに生きるとかあるのかもしれませんが、もっともっと大事な仕事として、有縁の方々に経典をお運びして仏縁を結んでいただくということがあるのではないかと最近思わしています。その象徴として七条袈裟に修多羅が着いているのだと私は最近理解しています。

2013年2月23日

生まれた意義と生きる喜びを見つけよう

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先日月18日常入寺にて井波別院法宝物巡回法座がありました。
住職の不手際で多くの人に案内できないままの開催でしたが、いつもお寺に来てくださっている方のご尽力によってまぁまぁ参加者でした。
お寺にお参りに一人でも多くお参りに来てくださる,そのことが本当に大事なことでお寺の大切な使命だと思わせていただいたわけです。

今大谷派高岡教区内にある二つの別院が同時に御修復事業に取りかかっています。そのことについての説明会が22日ありました。両別院とも御修復のための懇志金が思うように集まってこない。特に井波別院はもっと深刻で教区内寺院住職の方々にもご協力を御願いします。ということだった。
最初の計画では別院の御修復奉賛会が主体となって集めると言うことでしたが、思うように入ってない。巡回法座が壊滅的状況の中では頼るべきところがない。ということのようです。非常に人事のようなのですが。
説明を受けて思ったことは、別院って何なんだろうって言うことでした。
そのことが自分の中ではっきりしていないからなかなか懇志を集めるという動きが自分の中で始まらないのでは。
今まで別院の存在意義があったから別院が存続してきていた、それなら今は。
井波別院の正常化っていう言葉がありまして、この説明会の中でも井波別院は正常化したとありました。大谷派に帰属しただけで本当に正常化なのか。本当は今までもこれからもまだまだ正常化に向けた歩みをしなければいけないのでは、なかったのでは。と思ったわけです。
北斗の拳というアニメで主人公が「オマエはすでにしんでいる」という台詞がおきまりのようによく言われていたのですが、
まさにそのことが別院に向かっていわれていたような思いになりました。
別院はすでにしんでいる、だからそこに誰も投資はしないんだって。
やっぱり御懇志を頂くためには、
生まれた意義と生きる喜びをみつけよう
という宗祖親鸞聖人700回忌の時の教団テーマではないですが、
別院が維持されてきた意義、それをしっかり見つけていかないとならない。これからも存続していくことの大切さを実感していかないと堂喪ならないと。
お育ていただいたという思い、これからお育ていただくところ、そういう所として正常化していかないと別院の維持は大変だと思いました。
御崇教対して親鸞聖人の教えを伝えるこういうことをしていくんだという決意、出来なくても決意をあきらかにしていくことが私は御修復には、別院の護持には本当に必要だと思たわけです。

能く能く考えればこれは別院のことだけではなく、私が所属しているお寺も、そして住職としての私にも問われていることなのでしょう。
オマエはすでにしんでいる、
この言葉に生きている証しとして反応していくこと、そのことが何よりも大切だと思わせていただいたわけです。

この状態が仏法興隆の大事な縁としていかないとな、
本当にしんでしまいます。


教団、別院、末寺の生まれた意義と生きている喜びを感じていかなくては!
本当に、
これから大変なことに、もうすでにかもしれないけどなっていくことでしょう。

2013年1月 4日

初詣

初詣とは初めて詣でることを意味するのでしょう。新しい年を迎えて詣でることです。
詣でるとは、貴所に行く意の謙譲語と辞書にはあります。ですから自分が大事にしているところに行くことをいうのでしょう。
そういう意味からすれば初詣はお願い事をするために行くのではちょっと意味がずれてしまうような気がします。
また私が大事にしているということはどういうことなのかということも考えていかないといけないことなのでしょうけど、
私は決して自分の思いを叶えてくれるところが自分にとって大事なところとは思いません。こんな私が私の思い通りになることは本当に良いことなのでしょうか。私は疑問に思います。
私もこうなりたい、こうしたい、こうしてほしいといろいろ思うわけですが、だけども自分思い通りになる世界がよい世界なのかという問いを先輩方々より問いをいただき続けています。
初詣は自分にとって大切にしている宗教施設に行くものなのでしょう。少なくても平生より縁の深いところにいくことが本来なのではないでしょうか。
御利益の利くところへいくというのは間違いのような気がしてならないわけです。

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2013年1月 2日

お正月

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お正月になると人と会う度「明けましておめでとうございます」という挨拶をするのが通例ですね。
でも、そういう挨拶をしていて何でめでたいのか、なんて疑問を抱いてしまうのが私です。
そのことがでも少し解決をしています。
昔は新年を迎えるとみんな歳をとった、ある意味みんな元日が誕生日だったっていってもいい感じだったのではと思うようになったんです。
だから明けましておめでとうはある意味誕生日おめでとうといっしょなんだ、なんて思うように最近なってきました。
そういう中でお正月におめでとうというのは苦痛に感じないようになってきました。
一年生かさせていただき、お世話になりました。一年生きてくださりありがとうございます。
またお互い一年生かさせてもらったことめでたいことですね。
そういうことなんですよね。

2012年9月16日

投げやりな気持ち

ここ数日心の奥底にとてつもない投げやりなきもちが居座ってる、多分疲れているからだと思うんだけど。
そんな中でちょっとしたトラブルもぼちぼちと、ご迷惑をおかけいたしております。
ちょっと落ち着いてきたんだけど、
その中で思ったことをちょっと、

自分では、投げやりな気持ちがどこからともなく湧いてきたように理解しているけど、それは本当なんだろうか。
もしかしたらとうの昔からあって、たまたまそれが大きくなっただけだったり、
本当は、たまたまというかやっと気づいただけなのかも、なんてふと思ったのです。

だから投げやりな気持ちなんてなくそうと思ってもなくならない、じゃないかな。
反対になくそうとすればスルほど、その気持ちに気づいたり、自分にもどかしくなり増してしまうかも、なんて思い出しました。

やっぱ気長につきあっていくつもりで行くしかないな、
そういうふうに思う、そういうふうに気づかせてもらってる今日この頃であります

2012年9月14日

行ってきました 国立ハンセン病療養所栗生楽泉園

9月12~13日に群馬県草津にある国立ハンセン病療養所栗生楽泉園に行ってきました。
長野から白根山を通って、草津まで行きました。白根山を通る国道は日本一高いところを通る国道だそうです。iPhoneで見てみると1500はとうに超えてました。
午前九時過ぎにと山を出たのですけど一時過ぎには楽泉園にたどり着けました。ご飯もゆっくり食べれました。
初日はここの自治会長(もしかしたら元自治会長参加も)さんのお宅へお邪魔してお話を聞きました。園の歴史、三四郎さんの歴史を聞かせていただきました。
三四郎さんはここへ連れてこられる時は所謂お召し列車にのって近くまで来たそうです。郵便車両に乗って。郵便車領の半分は客車になっていたそうで、そこにはハンセン病患者護送中と張り紙がしてあったそうです。三四郎さんは宇都宮の駅から乗せられたそうですけど、宇都宮の駅では白い服を着た人が待っていて、自分の歩く跡を消毒をしながらあとをついてきたそうです。組の様子を見てスゴい病気になったんだと思わされたそうです。宇都宮の病院では病名を告げられず、あそこに行けというようなことを言われ他だけだったそうです、病名については何も言われなかったそうです。
蜂蜜と試をと水で混ぜたものをハダニ塗っておられるということはお話しなさっておられました。そう言われるだけあって、肌すべすべでした。
次の日は、県出身の方にお会いしてお話を聞いたり、園を紹介してもらいました。
この方は無ライ県運動が盛んになる前に発病されたからなのか、病院でハンセン病と診断されたけど、すぐに強制隔離というわけではなかったそうです。そこにある療養所のパンフレット見て速くなおしたい一心で療養所に行くことを自ら決めて警察に申し込んだそうです。選挙も通名というか園名で投票できたそうです。また園に入った時も園名を名告るようなあり方もあるよと優しく助言してもらい、自分はそれに頷きそうしたのだ。と言うことを仰っておられました。どちらにしても家族親類には迷惑をかけたくないということがあったのだろうし、そういうことも説明として優しくは仰っておられたのかもしれないけど、脅しといえば脅しだったのかとも、私は思いました。
その後園の方も一緒に歩いて説明してくださいました。
そう、
園に住んでおられる三分の一は病棟、また三分の一は不自由者棟、残りの三分の一が一般棟だって仰っておられました。
また、一般棟のながやには地名矢山の名前がつけられていたのですけど、不自由者棟は味気のない、A-1というような義号で書かれててました。

  

2012年9月 8日

ハンセン病訴訟勝訴11周年記念シンポジウムに参加しました

昨夕、参加してきました。一応、共同代表の一人ですから
高橋さんは犠牲のシステムという観点からハンセン病の問題をお話しさせてくださいました。
「貴い犠牲」のもとにいろんな私たちが抱えている問題があるのだと。そう言うような話しをなさいました。「貴い犠牲」という自覚の元で、やっぱりハンセン病回復者の方々は強制隔離を受け入れられていったことなんだろうと思わしてもらったわけです。わたし(一人)が世の中の犠牲になれば世の中は良くなっていくのだと、その思いの中で強制隔離を受け入れさせられたり、納得してしていかれたことなんでしょう。回復者の方々から、自分はいいけど家族や親類に迷惑をかけたくないと言うことを効いたことがある。繋がってくることなのだろう。
そして、「貴い犠牲」と言うこととと、天罰、天恵と言うことが非常に密接になっていると言うこともお話しなさってた。ここのところは頭の中では理解しているんだけど、でもなんか整理がついていない自分がいます。
また、貴い犠牲という話を聞きながら、いじめで自殺をされていく人ももしかしたらこう言う心境なのかなと勝手に想像したことであります。
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2012年8月15日

今年もお寺の掲示板に掲載しました

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ここ毎年のようにお寺の掲示板に掲載しています、広島市平和記念式典で発表される『平和への誓い』を本年も掲載しました。
月初め本山に行っていたこともあり、掲載が遅れましたが、敗戦記念日である今日ようやく掲載させてもらいました。




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67年前、一発の原子爆弾によって、広島の街は、爆風がかけめぐり、火の海となりました。
たくさんの人の尊い命が、一瞬のうちに奪われました。
建物の下敷きになった人、大やけどを負った人、家族を探し叫び続けた人。
身も心も深く傷つけられ、今もその被害に苦しむ人がたくさんいます。
 
あの日のことを、何十年もの間、誰にも、家族にも話さなかった祖父。
ずっとずっと苦しんでいた。
でも、一生懸命話してくれた。
戦争によって奪われた一つ一つの命の重み。
残された人たちの生きようとする強い気持ち。
伝えておきたいという思いが、心に強く響きました。
 
故郷を離れ、広島の小学校に通うことになったわたしたちの仲間。
はじめは、震災のことや福島から来たことを話せなかった。
家族が一緒に生活できないこと、突然、友だちと離ればなれになり、今も会えないこと。
でも、勇気を出して話してくれました。
「わかってくれて、ありがとう。広島に来てよかった。」
その言葉がうれしかった。
 
つらい出来事を、同じように体験することはできないけれど、
わたしたちは、想像することによって、共感することができます。
悲しい過去を変えることはできないけれど、
わたしたちは、未来をつくるための夢と希望をもつことができます。
 
平和はわたしたちでつくるものです。
身近なところに、できることがあります。
違いを認め合い、相手の立場になって考えることも平和です。
思いを伝え合い、力を合わせ支え合うことも平和です。
わたしたちは、平和をつくり続けます。
仲間とともに、行動していくことを誓います。
 
平成24年(2012年)8月6日
         こども代表 広島市立比治山小学校 6年 三保 竜己
               広島市立安北小学校  6年 遠藤 真優


平成24年度「平和への誓い」

2012年8月10日

流しそうめん、終わりました

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結構ばたばたしてる中今年も流しそうめんが出来ました。今年はオサムちゃんのアイディアをもらい揺らぎつきです。
どうも、子ども達にはあんまり関係がなかったようですが、作った本人としては大満足です。
今回は案内に参加費をかくの忘れて、めんどくさくなって集めるのを止めて赤字兄になったんですけど、だけど、やっぱ、子ども達が喜んでいる姿を見れば安いもんです。良いひとときでした。
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2012年7月14日

ただいまフラッシュの練習中


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2012年7月 5日

聞法道場に参加してきました。

一昨日、昨日と虫食い状態ですが、聞法道場に参加してきました。本日の文は欠席です。
いつものようにどんな話だったのかということは聞かないでください。
参加はしましたけど、あまり話は聞いてなかったというか、頭の中に残っていません。こう言う話だったろ、っていわれれば、総相と応えるかもしれませんが、自分から口火を切って話すことは出来ません。思い出せん。
これは今に始まったことでなく、いつものことだといわれれば、否定できません。
聞法道場は私が大学を卒業してから書かさず参加している学習会です。
聞法したいからずっと参加してたっていう感じでは私はありません。
正直、講義中は結構居眠りしてました、そして全然違うこと考えていることも結構ありました。
最近は大人になったせいか、さすが居眠りはあまりしませんが、話を集中して聞いてるかといえば未だにそうではありません。
でも、参加することに異議あり的に参加してます。
今回は槽ではなかったですが、夜の懇親会が楽しみで参加していると言っていいのかもしれません。
いていいのだな、なんていう感じが受け止められるからずっと参加しているのかもしれません。誤解かもしれませんが。
自分の居場所みたい感じがするから、参加し続けているのでしょう。
そういう場だからなのでしょう,私がずっと参加しているのは。

同朋会運動についての講義だったんですけど、
昔はすごい運動だったんだろうなぁっていう感じはしますけど、今は運動というよりは、単なる施策でしかないのかもしれません。
ほんとそれは何でなんだろう。いつからなんだろう。
今は今一度願いだけを共有して新たに動き出した方がいいのかもしれないし、止めてもいいのかもしれない。
そう思います。

真宗を立脚地としていない人に真宗を語ってもらうということと、真宗を立脚地としていない人と対話するということは、何か全然違うことなのかもしれない。
自分の想定内の真宗の話しを期待してしまう自分がいると思う。
何が言いたいかよく分かってもらえないかもしれないけど、そんなこと思うんですよね。自分の中でも整理がついてないけど。
念仏を崇高なものにするために有識者や、哲学者のような人たちに、真宗のようなことを、自分たちが期待することをどれだけ語ってもらっても、あまり意味がないのかもしれない。
念佛を称えるものが独りとしていろんな人と出会っていったり対話していくことは大切だけどね。

よう分からんようになってきたけど。整理が全然つかんけど、何か考えています。何か思ってるんですよね。

2012年6月 2日

組同朋大会が開催されました

写真はここにアップしてあります
今日(6月2日)はその同朋大会が開催されました。
今回は鈴木君代さんに唄ってもらいました。

私自身ほんと久しぶりに彼女の歌声を聞きました。
いつも来てといわれるのですが、なかなか京都に行く機会がなかったり、他の用事でいけないかったり、気づけば10年以上聞いてなかったです。

ずっと歌を歌い続けられるのかと思ってたんですが、結構は梨も多めで、どっちかというと話の方が多かったようななかったような。
でもそのバランスが私的にはよかった感じがありました。
絶妙なバランストでもいっておきましょうか。

唄っていいなぁと感じたひとときでした。
ホットする場でした。

うちの在所の方からも後から電話があって、よかったとお誉めの言葉をいただきました。

<当日配布栞>
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<ちらし>
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<ポスター>
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2012年5月23日

おねしょされてもうれしいって言えることあるんです

最近にしては珍しく二日連続の投稿です。

実はうちの息子、4男坊なんですけど、この間、二日間おねしょ二日連続でしてたらしいのです。
それがちょっと、うれしいというか、どやって感じなんです。

最近保育所で、態度が悪い、協調性がないという報告がまいにちのように連絡帳に書いてあるそうです。わたしは読んでないので、リアルでは分からないんですけど。そして、しばらく厳しく行きますって言うことなのらしい。
わたしはそのことに対して、イヤダというわけでもないし、どんどんてくれって言うつもりもない。
されるならどうぞ、っていうスタンスだ。

でもそういう中で4男坊にストレスがたまっているのは間違いない。そう言われればそうだろうなって思い当たることがたくさんある。最近すごく甘えてきてるから。

そしておねしょをした二日間て言うのはわたしが研修会で家にいなかった日にちょうど当たるのです。それがどやって言うことなんですよ。
自分が4男坊のそばにいないと言うことでストレスを増やしたんだろうと思うんです。わたしがいないことが一つのおねしょの縁になってるんですよね。
証拠にわたしが帰ってきてから二日間おねしょはしてません。

4男坊はわたしを必要にしてくれてる書庫がおねしょをしたと考えると、めっちゃうれしいんです。そうだろ、どや。って感じなんですね。
それが事実であろうがなかろうが。そう思えてしまったら、るんるんなんです。

必要とされている、そういうことが感じられるってうれしいことですよね。

みんながそう感じて生きていけたなら、ほんとすばらしいこと。

こんな事感じられたら、長生きしないとね、と思っちゃうよね。生きる気力になります。

ほんと、俺今45,4男坊は五つ。 やつがせいじんするときはおれ60、いつまでいっしょに生きていけるか分からんけど、出来るだけ長くつきあっていきたいと思っちゃいます。

2012年5月22日

久しぶりに参加、

先日21日まで、本山同朋会館にて、真宗本廟子ども奉仕団慈善研修会があり参加してました。
と言うことはスタッフとして関わるということです。
十数年ぶりの参加です。

今年からスタッフも公募制になってました。開店の日時、講師が公開されて、の募集です。そんなことして、俺んとこ誰も来なかったらどうすん年。なんて弱気でしたけど。

言い忘れてましたけど、攻防制なのですが、わたしは公募という枠外のの採用です。
講師という役割をさせてもらいます。

長年関わったということで、あえて、講師という役割といいたいのです。わたしもスタッフです。なんて主張したいのです。
そういうおつきあいをわたしは講師としてたということにもなるのかな。

どんな感じに子ども奉仕団はなってるのかな、と言う思いが強かったです。
だから昔のことを、こんな事した、こういうことにこだわってたっていうことを伝えるメッセンジャーとしていってやろうじゃないか、なんて思ってたんです。
昔のことしか言わない、嫌なジジィになってやろうと思ってました。

だけど、だけどです。

昔と変わってるところはたくさんあった

でもそれは進化してると評価してもいい代わり方でした。
自分が課題にしてて、何とかと思ってたことが、しっかり形になってたというか、そういう場になってた。
すごくうれしかった。
自分が出来てなかったことが出来てるし、当たり前にやってた。
うらやましかったというか、そんな感じでした。

自分が育ててもらった大事な場、だから恩返しと持って参加したのですけど、
何も間に合いそうにありませんでした。

そういう意味で
純粋似すたふとしていろんな事をいっしょに考えたり、企画させてもらいました。
講師という役割でこの研修会も参加させてもらってるのに。何処まで行ってもスタッフでした、参加者でした。
帰り、交通費をもらって、帰ってからその封筒を見て、お礼と書いてあって、中身を見て、なおさら反省しました。
でも、自分には言葉として伝えるものは何もなかった。
それが実感です。

そう言やぁ、修練の時も班担として参加させてもらいながら、修練生のように講師の話を聞き考えて、修練生から、あなたの修練ではないですよと、そんなことを言われたことを思い出します。だから善機後期一回ずつしか関わらしてもらわなかったのだろう。

自戒は出来れば自分の思っていること、感じていることを言葉にして表現できればと誓う今日この頃でした。

ただ、用語として「サブ
スタッフ」なんていう言葉があってびっくり。何分断してんだよ~ともったんですけど、
もしかするとそう思っているのはわたしだけ、わたしの経験がそういうことを心配させているんだろう。

とにかくとにかく、懐かしくて、ホットできる場でした。何にもかわってない。

一番悪のりしてたのがわたしだったかもしれません。
反省

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