2012年1月 1日
2011年12月16日
新年は何があってもめでたいのであ~る
郵便局が年賀状の受付を始めたとか何とか、
Tweet
わたしはまだまだ年賀状に全く手が着いてない。
テレビを見ていると、来年の年賀状には、「おめでとう」という言葉を書かないという人が多いとか何とか、
わたしもここ数年年賀状にはおめでとうという言葉を書いていない。
わたしもここ数年年賀状にはおめでとうという言葉を書いていない。
それには、何で年が明けるとめでたいのかよく分からなかったし、正月どころではないという人もおられるからと思い、おめでとうの文字を書かないことが続いている。
多分今年も書かないだろうと思う。
でも、こういうときだからこそ今年は書こうかななんて言う気が少しわいている天邪鬼になっているわたしなのである。
でも新年はめでたいのだ、なんて言うことは何となく最近分かってきた。それが今私達はわかりにくくなっただけなんだろうと思う。
新年明けましておめでとうとは、言い換えればお誕生日おめでとうございます。とだいたいにた意味のだと言うことに最近気付いたんです。わたしは。
一つを年をとらしてもらいましたね。おめでとうございます。そういう意味なんですよね。
今歳の数え方は法律によって禁止されているというか、推奨されていない。
年齢に関する法律をまとめたことがあるので、これを見てみてください。
年齢に関する法律をまとめたことがあるので、これを見てみてください。
今年齢を満年齢で数えるので新年がめでたくなくなったって言っても良いのかもしれないですね。
新年明けましておめでとう、とは、また一つ歳をお互い年をとらせてもらいましたね。めでたいことです。ありがたいことです。
そういう意味なんです。
喪中だから新年の挨拶をしないというのはちょっと違うんだと思うんです。
喪中やろうが何だろうが、一つ歳をお他が年をとったことを喜ぶ。
一年生きさせていただき、また今年も生きさせて頂きます。
そういう事なんですよ。
だから、
新年明けましておめでとう
なんですよ。
わたしなりにもっと正確に言うなら、
新年明けましてありがとう
こういうこっちゃないですかね。
新年をお祝いする気になれないというのは大事な気持ちかも知れないですけどね。
いちゃならない言葉では決してない。
私はそう思います。
2011年12月 8日
親 ○ 会について
先日当寺において組の事業として、寺院運営講習会が開催された、手間は、カルトに学ぶ、講題は、親 ○ 会の現状と課題でした。
Tweet
これから書くことは、イツモのごとく講師の方が言われたことではなく、その講義の中で自分が考えたこと、思ったことであります。あしからず。
自分の中で親 ○ 会というのは、カルト教団としてみてなかったと思う、今でもかもしれない。
異安心の宗団、なんていう感じて見ていたと思う。
だから、彼らは、と言うか、彼らの教祖が、もし、大谷派と関係していたら立ち上げなかっただろうなぁと言う、ノンキさで思っている、いた。
異安心の宗団、なんていう感じて見ていたと思う。
だから、彼らは、と言うか、彼らの教祖が、もし、大谷派と関係していたら立ち上げなかっただろうなぁと言う、ノンキさで思っている、いた。
こういう評価は大谷派にとって、ほめ言葉なのか、どうなのか、そういう事も考えていかなければならないことだ。でも、そういう教団だからこそ、自分は、存在しているのだろうな。とは思う。
まぁ、ぁかれらは、反社会的な行為を目立っていしているわけでもない、また、社会を破壊しそうな教団だとも思えない。
ところでカルトって何なんだろう。
ところでカルトって何なんだろう。
反社会的な教団というのなら、私達真宗教団もその中に入ることだろうし、入らなければいけないと思う。浄土を求める私達だから、今、浄土に生まれなければならない、今生きている社会について何らか疑問を持っているからこそ、浄土に生まれよう、と言う歩みが生まれるからである。しかし、浄土というのが、死んでから行くあの四的なものであるとするならばそういう事はいえないのかもしれない。
カルトかどうかと言うことを抜きにして、名前だけの教団ではないかと思うのは、宗教の名を借りて、お金儲けをしているそういう宗団だろう。そう言うのは許せない。
彼らも、話によるとお金を集めなければならないそうな。講師と言われる人たちは、念仏とときながら、自分の話に共感してくださった方々に対して、懇志をお願いするそうな。その金額は大変なものだそうだ。私達の教団も、ある意味集金はするけど、今は、信心の問題としてお金を集めたりはしないはず、そう信じたい。昔、信心の問題として、助成などから髪の毛を集め柱を立てるために毛綱を造ったそうだ。こういうやり方は問題なような気がするけど、今はそういう事はしてないと思う。
彼らは三願転入の論理を使い、お金を集めるらしい。
何かそのことが悲しい。
彼らは三願転入の論理を使い、お金を集めるらしい。
何かそのことが悲しい。
講師と言われる人たちも、三願転入を利用してお金を集めているなんて言うことに疑問を持ちもしていないだろう、間違いなく罪悪感はないだろう。だす方も、仕方ないことだと思っていることだろう。
みんな信心獲得のために、がんばっているんだろう。一生懸命なんだろう。その心を利用して、集金システムを確立している。
そのことが腹立たしい。
講師と言われる人々、や下部の信者さんにではない。
利用してお金儲けをしている人たちにだ。
彼らがもし、自分たちのことに気付き脱会したとしても、念佛を嫌いになってほしくはない。仏法を嫌いになってほしくはない。念佛の輩になり続けていてほしいものだ。
またこういう団体に多くの人たちがひっかからないためにも、私達もネットをもっと利用しなくてはならない、ネットでいろんな事アナウンスしていかなければいけない。そうしないと彼らがネットでアナウンスしている事しか。ネットでは見ることが出来ないからだ。そして彼らは自分たちのことを明らかにせず、偽名やありもしない団体を名告って、いろんな活動をしている。
私達もだからこそ、私達もネットでいろんな事をアナウンスしていかなければならないと思う。そういう事が新しい入信者を増やさない大事な手だと思う。
イツモながらまとまらない文章だし、何を書きたかったか分からない文章になってしまった。
私達もだからこそ、私達もネットでいろんな事をアナウンスしていかなければならないと思う。そういう事が新しい入信者を増やさない大事な手だと思う。
イツモながらまとまらない文章だし、何を書きたかったか分からない文章になってしまった。
お許しを
久々の書き込みでした。
久々の書き込みでした。
2011年11月 4日
ほんこはんがつとまりました
先日、10月312日より11月1日まで当寺の報恩講を勤めさせていただきました。



Tweet
報恩講は勤めるものではなく、勤めさせてもらうもんだな、なんて言うことを勝手に思ってました。
宗祖750回忌御正当の当寺の報恩講
宗祖750回忌御正当の当寺の報恩講
なんて、ふと覆ったけど、急に思たこともあり、特別な報恩講というわけにはいきませんでした。
自分自身も最近一日一日をやりくりするのでいっぱい気味で考える余裕もなく、アイディアもわいてきませんでした。
報恩講に始まり報恩講に終わると言われている私達の生活です。
そういう意味で通過地点としての報恩講なんでしょうけど、
通過地点と言うことは、単に通過していくだけのところでなく、節目になるところなのでしょう。
通過地点と言うことは、単に通過していくだけのところでなく、節目になるところなのでしょう。
チェックポイントです。
そして御正当の今年は本来なら大きな節目、
何となく大震災、原発事故に振り回されて、おたおたするだけの俺。
何となく大震災、原発事故に振り回されて、おたおたするだけの俺。
大震災、原発事故から問われていることがあるはずなのにそのことに気付けづにいる
大切な問いかけなんだろう。
大切な問いかけなんだろう。
御正当だから起きた大震災、原発事故、という風には思わないけど、
不思議にも、奇しくも、御正当に起きた大震災、原発事故、その他の自然災害など。
竊かに以みれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。しかればすなわち、浄邦縁熟して、調達、闍世をして逆害を興ぜしむ。浄業機彰れて、釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまえり。これすなわち権化の仁、斉しく苦悩の群萠を救済し、世雄の悲、正しく逆謗闡提を恵まんと欲す。かるがゆえに知りぬ。円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳を成す正智、難信金剛の信楽は、疑いを除き証を獲しむる真理なりと。
この教行証文類の総序のもんを思い浮かべる。
悪を転じ徳と成す正智、これが念佛なんだろう
転悪成善でもなく、転悪成得 でもない。
私にとっての悪を見つめ直すことができるのだろう、念佛は。
そんなことを独り勝手にに思わせていただきながら勤めさせていただいた報恩講でした。
御正蕩の当寺の報恩講、何かせねばと思い、ご万田だけは、無理を言って、八淘で勤めていただきました。
そんなことしか思いつかん私です。
ホントそんなことなんですけど、
そんなどうでもよいことしか思いつかん私が見せつけられた報恩講でした。
2011年10月23日
ホンコハンをお迎え
月末につとめる報恩講の準備をぼちぼちと始めています。
人からすると遅いのかもしれないけど、ぼちぼちやり始めたところです。
報恩講は精一杯お勤めするもの
という持論を私が勝手に持ってしまったので、
結構一生懸命準備してます。最近は。
Tweet
人からすると遅いのかもしれないけど、ぼちぼちやり始めたところです。
報恩講は精一杯お勤めするもの
という持論を私が勝手に持ってしまったので、
結構一生懸命準備してます。最近は。
参詣戴く方々のおもてなしのため、お迎えするためにといろんな準備に心がけてます。
それはそれで大事なんですけど、絶対に。
でももう一つ大事な視点が必要だな、なんて思うようにここ2~3日思ってます。
おもてなしは参詣される方々や、法中さんだけではないと。
もうひとかた大事な方がおられたのだと、感じるようになってます。
それはほんこはんです
もうひとかた大事な方がおられたのだと、感じるようになってます。
それはほんこはんです
ホンコハンのおもてなしという視点が自分には抜けてたなと思うのです。
ところで、ホンコハンのおもてなし、お迎えはどうしたらいいんだろう?
これはしっかり考えんといけないな、
ホンコハンに失礼なこと結構やってるのかもしれない。
ホンコハンのお給仕、おもてなし、
これはしっかり考えんといけないな、
ホンコハンに失礼なこと結構やってるのかもしれない。
ホンコハンのお給仕、おもてなし、
2011年9月19日
最近の常識についていけなくなってきた、とうとう。
先月お亡くなりになられたお宅の御主人と、納骨の費をこの間打ち合わせをしていました。
Tweet
そうすると願主さんはちょうど35日の9月19日にしたいとおっしゃった。
私は何も考えず、月曜日ですか?
私は何も考えず、月曜日ですか?
と聞き直した。
私はまた念を押して、
私はまた念を押して、
皆さん集まりやすいですか、土曜日とか日曜日でなくても大丈夫ですか?と聞き直した。
願主さんは優しく、
大丈夫です、ウチは年寄しかいないので、平日でも大丈夫ですよ
とお答えくださった。
数日たってからやっとわかったことがある、
今年は9月19日は休日だったのだと。
月曜日だけど敬老の日で国民の休日であったことをやっと理解したんです。
願主さんは優しくお答えくださったけど、
こいつ敬老のひだということわかっとらん、
そう心の中で思っておられたことなのだろうか。
願主さんも自営業だし、子どもさんももう「中年」といわれる世代だからわかっておられなかったんだろうか。
今更なかなか聞くことができない
ホント、ハッピィーマンデーというのについて行けない。
私の中では敬老の日は9月15日。
なかなか抜けない、私の常識、
昔の常識を抱え込んだままの俺だ。
頭の切り替えがなかなかできん。
とうとうそういう歳になったのだろうか。
もうそろそろ自覚しないとね。
だって、もう人生の半分以上とうに過ぎてるんだからね。
其の自覚もなかなか切り替えられない、というか納得してない私だ。
新しいものに飛びつかなくなってしまった今日この頃です。
2011年8月19日
仏縁薄き者が仏縁を広める方法
今日お参りに行ってちっちゃい子ども達がいて楽しかった。そういうことだけなのですけど…
Tweet
子どもは無邪気で単純で思ったことを考えずに言葉にだす、ほんとうに楽しいです。
今年から夏休み期間中後ろにまゐってくれる子ども達にこんなカードを渡しています。そして、後から駄菓子の詰め合わせをあげることにしています。またここ数年お正月お寺にお参りに来てくれた子ども達に駄菓子の詰め合わせを渡しています。
今日お参りに行ったところに子ども達がいて後ろに座っていっしょにおつとめをしてくれたので、このカードを渡しました。そうするとこんなつまらないカードでもめっちゃ喜んでくれました。そういう姿を見ているだけで励みになります。
でも
思いつきでやったと言うこともあってあんまり子ども達に渡せていません。残念なことです。
子どもをお菓子で釣るなんてって言う声も聞こえてきそうなのですが、おてらの将来の運営のことも考えてやっていることなので、下心が全くないわけではないです。でも、仏様の前に座ってくれるきっかけになったら、そういうことも一つあります。心の中ではこっちの方が重いです。
でも、そういう思いがお参りに行っているお宅に伝わってないことが問題だと思いますし、そのことが大切だと言うことがわかってもらえてないことが私たちの課題なのだろうなぁ~って思うわけです。
お参りをしてくれた子ども達におかしを配ることが、そのことにとって仏縁となれば、仏教に興味を持つ架け橋になってくれれば何よりです。そしてそのことがオオヤ五三や家族の人に仏縁が大切なことと理解してもらうこと、仏教と私たちをつなげる架け橋が本当に大切だと言うことを気付いてもらわないとなりませんし、私も再確認しないといけないと思うわけです。
仏縁薄き者が仏縁を取りもつには、こういう方法しか私には思いつきません。
2011年8月14日
救急病院の子どもは静かだった!
お参りでの茶飲み話、
Tweet
あるお宅にお参りに行ったときそのお宅のお母さんが、
「救急病院に行ってきた」といきなりおっしゃった。
訳を聞くと、
「エアコンでのどを痛めて」とのこと。
そしてそのあと、思いをもめて、
「救急病院にいる子ども達は静かだねぇ~」
と、しみじみおっしゃった。
保育所に行っている孫二人と生活なさっている方の実感の言葉でした。
孫の元気なことに手おやいて於らっしゃる様子がすぐに理解できた言葉でした。
私もつい、
「子どもというのは病気の時ぐらいしか静かなときはないよねぇ」
と答えてうなずいてしまったわけです。
子どもって言うのは…
だけどいないと寂しいんですよね。
2011年8月12日
親子の集い=流しそうめん=は無事終了
111日の夕方、無事おやこのつどいを終了しました。
Tweet
おやこのつどいというか子ども達は流しそうめんと言って集まってくれるのですけど…
でも例年子ども達の数が減っています。
一つには子供達のKAZUじた値が減っていること、
もう一つは、こっちが把握できてないこと、三男坊が5年生、四男坊が年中と言うことでその間のこともがなかなか把握できてません。
そしてもう一つは、バタバタしていてはがきを出すだけで声をかけられてないってコトです。
初参加のの子どもは5人ほどかな
かなって言うぐらいこれも把握できてません。
子ども達がうれしそうにしてたり楽しそうにしている顔、楽しそうにしゃべっている響き、何ともいえませんね。たくさんいるとなおたまりません。
本当は準備がめんどくさくてたまらないのですけど、そして年々尊感情が増してるのですけど、子ども達の楽しそうな顔が見たくてやってるのでしょうね。
実は一昨日教務所で会合があり、そのあと久しぶりにのみに出て、ヒサ渋井にお酒を飲んだって感じまで飲んで、昨日は二日酔いがお昼過ぎまで続いてまして、
なかなか作業がズズ覩ませんで、時間通りに開始できませんでした。へろへろの中開催して写真を撮る元気もなかったわけです。
子ども達は流しそうめんとはなびは本当に好きですね。
我が子のためだけならやる気は於コロませんが、なぜか、みんなのためと思うとできちゃうわけです、
2011年8月 5日
本当に風評なの?って思う今日この頃
ここ最近ブログに書き込むこと怠ってましたので、一寸書き込みを、目指せ、140文字以上!
Tweet
ここ数年?それ以上かな、「風評被害」と言うことをよく耳にするようになった。そして今回の原発の事故でも、この言葉がよく聞こえてくる。
でも今回、これ本当に風評被害なの?なんて思うことしばしば、私の場合は。
これは本当に誤った評価なの?誤っているって言うことが誤ってるのでは?なんて疑心暗鬼になる。
野菜にしても食肉にしても。
本当に安全なの?
すべてに疑問符がつく。
国など行政が安全と言っても、なかなか信じがたい。
本当はどれぐらいの数値はで大丈夫なのだろうか。
国などは何を基準にして安全値を作り出しているのか。
本当に安全に生きていける摂取量として?
それとも、仕方がないけど、これぐらいで安全にしとかなければ食べるものがなくなるだろう。っていうことで?
いろいろ疑いたくなる。
今回国のやっていること、発表がどうも信じられない。まるで昔の大本営発表のようだ。
なんて言ってもその時代に私は生きていたわけではないけどね。祖像としてそう思うだけだけど。
でも、
今回の原発事故の関してもコトだけに限ることなのだろうか。
今回だけではなく、今までもだったのではないだろうか。
そのことがたまたま原発事故を通して明らかになっただけなのでは。
何を、誰を信じたらいいと言うことではなく、やっぱりこれからは自分でいろんなコトを判断していかなければならないことなんだろうね。
行政はこれから安全という評価をすることも大慈だけど、その評価するためのデータ^も、公表していくことが大事なのだろう。
そのデーターや、いろんなキカンの評価をモトに、最後私たち一人一人が判断していかなければいけないことなんだろう。
ヒトのせいにしない人生、ってそういうことなのかな?
2011年8月 4日
過去を思い出す
今日四日ですね。
Tweet
なぜか改めてそう思ってます。
夏、ほとんど家にいなかったことを思い出す。
同朋ジュニア,子ども奉仕団、聞法道場、そして片州濁世のサマーセミナー
いろんな行事があって、いろいろ参加してたな~
なくなってしまったもの参加しなくなったものばっかり、
聞法上場は今年復活2回目、これは参加します。
子ども奉仕団、同朋ジュニア大会、暑い夏京都に行って、子供達とふれあった、
そんなこと今懐かしく振り返る。
子どもとふれあい、そしてスタッフと出会い、講師の話を聞き、夜遅くまで、っていうか朝方までダラダラと飲みながらいろいろ語り合った。
そこで自分は育ったと
そういえるような場。
ほかにもたくさんあるはずだし、気付いてないものもたくさん張るはずだけど、
自分にとって大事な場だったり、大事な夏だった。
2011年7月28日
雨
ここに3日通り雨が通り雨の域を超えて降ってます。
Tweet
先日も、教務所に行くため教務所近くの電停に降りた途端、豪雨、雷ごろごろ、雨によって前が見えませんでした。家を出たときは雨が降ってなかったので傘も持ってませんでした。
ですから、パンツまでびちょびちょ。びしょ濡れの中会議に参加しました。Tシャツは乾いたからと言ってそのあと食事に出てしまった私でした。
今日も畑に出ると、茄子だけで籠いっぱいに、それも大きくなったモノばっかり、焼くしかベル法宝がありませんよ!っていうモノばっかり。
近所に配ろうかと思っても近所は農家ばっかり、同志摩署って言う感じです。
今の降り出しました、どうも大雨警報が出ているみたいです。
2011年6月28日
祠堂経会勤まりました
26日より27日まで当寺の祠堂経絵が勤まってました。
Tweet
今回不況をしていただく方をお頼みするのを忘れてて、というか、お願いせなならんと思ってて祠堂経をつとめる日がいつの間にか迫ってまして、自分でするしかないか、なんていう結論になりました。
暑い日でしたが、何とか勤めることができました。
初日は尼講も併修しましたので、当寺としては沢山の方がお参りくださいました。
用意してある椅子が足りなくなるぐらい、元々用意してある椅子の数は少ないのですけど、人数とではないと言い聞かせながらもやっぱり嬉しいものです。
これが念仏の教えに出会っていただけるご縁になれば本当に嬉しいことです。
すでに念仏に遇われているのかも知れませんが、私が勝手にあってないと思い込んでいるだけかも知れませんけどね。
賑やかに食事をする場面、
賑やかに立つ段をされる声
法話をしていても話をやめようとしない方々。
とにかく賑やか敷くて楽しい日々でした。
2011年6月24日
四男坊に内緒で試食
ここ数年、メチャクチャトマト好きの四男坊のために今の直ぐそこでプランターにミニトマトを育ててます。畑には他にも育ててあります。一応四男坊専用のみにトマトなんです。
Tweet
今朝トマトを覗いていると黄色くなったミニトマトがあったので、どうしようか悩んでました。実は、赤いトマトのつもりで買ってきてたんで、黄色?っていうことで悩んでたんです。
悩んでいるより食べて見ろということで四男坊が保育所に行ったのを良いことにこっそり黄色くなったトマトを食べてみました。
めっちゃトマトらしいという味ではなかったですが、ちゃんと熟してました。
ぱっや好みにトマトは黄色くなるヤツだったようです。
今度黄色くなったときには,四男坊にはじめて熟したような言い方で食べさせてやることにします。
畑ではようなくニガウリが花を持ちました。
そしてガクアジサイも花をつけてます。
ちなみにこの間テレビで言ってたんですけど、あじさいは日本が原種だそうですね。そして本来日本のあじさいというのはガクアジサイだったそうです。私たちが普通のあじさいと思っているのはヨーロッパにわたり品種改良されて日本に戻ってきたものだそうですね。出戻りみたいものかな?表現が微妙かな?
