2016年4月 2日

16年城端別院巡回法座が勤まりました

23月28日ご命日のつどいと併せて城端別院法宝物巡回法座をととめさせていただきました。
とてもよい天気だったのでやっぱりお参りは少なかったです。皆さん畑に行かれたのでしょうか?
布教使として城端町の大村忍さんが教使としておいでくさいました。

「当たり前と思っていたこと」という詩などを紹介くださいながら縁起と言うことをお話しいただきました。

 病気    藤本一宇(中学三年)

   この病気は
   僕に何を教えてくれたのか
   今ならわかる気がする
   病気になったばかりの頃は
   なぜ どうして
   それしか考えられなかった
   自分のしてきたことを
   ふりかえりもしないで
   けどこの病気がきづかせてくれた
   僕に夢もくれた
   絶対僕には
   病気が必要だった
   ありがとう

「星とたんぽぽ」  金子みすゞ

青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ、
  見えぬものでもあるんだよ。
 
ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ、
  見えぬものでもあるんだよ。

あたりまえと思っていたこと    平澤興

けさも無事に目が覚めた
手も動く 足も動く
目も見える 耳も聞こえる
ああけさも生かされている
三十数億の全細胞は
それぞれの分をまもって
完全な分業を行いながら
ひとつの大調和に統合されて
けさのこの私の命を保っている
これは人間が月の世界へ
ロケットでいたのより
まだまだ不思議で
尊く有り難いことである

2016年2月24日

ひとりからに寄稿させていただきました。

東本願寺青少幼年センター発行のひとりからという雑誌に法話を書かせてもらいました。
以下の通りです。よろしければお読みください。

ひとりから12.JPG

まいごの私

高岡教区 青井和成
 私には小字三年生になる子ともがいます。その子がまだ保胃所に通っている頃夜寝るときによく絵本を観んであげました.古典落語か絵本になったものもお気に入りでしたが、もっともっとお気に入りのものがありました。『あしたから一年生』(東本願寺出版)という絵本です。子どもも好きでしたが、読んでいる私も好きになっていった本でした。その本の中で、お爺ちゃんがお風呂の中で孫のこうすけ君に向かって言った言葉「こどもは、まいごになりながらおおきくなるのさ」が私は非常に印象に歿っています。迷子が大事なのだな、ひとりが大事なのだなって、読んであげながら感じました.
 私も子どものころ迷子になったことがあります。だから迷子になんて好んでなるものではないと思います.また小学生の頃、無視されたことも一時期あったので、ひとりぱっちっていうのもさみしくて大嫌いです。だけど自分が成長していくには、迷子と感じることも、ひとりぽっちと感じることも大切なのだとこの絵本を読む度に教えてもらいました。迷子やひとりぽっちの途中はさみしいですが、それが終わったとき、なんともうれしい気持ちになります.それは初めて一人で買い物に行くことができたときや、一人でパスや電車に乗ることができたときの、なんとも言えない達成感に似ているのかもしれません。
 仏教は、今から2500年ぐらい前にお釈迦さまによってひらかれました.そのお釈迦さまは、払たちが生きている世界は迷いの世界であり、その迷いの世界から離れるために仏になりなさいと教えてくださっています。本来、私たち人間はオギャーと産声をあげて生まれさせてもらったときからいのちをお返しするときまで、ずっと迷いっぱなしであるとお釈迦さまは考えておられまi。しかし、なかなかそのことに気づかずに生きてしまっているのです。
 迷っている子どもを迷子というわけですから、そういうことからすれば自分は迷子だなって感じること、そして迷子の中でひとりぼっちだなって感じることは大事な気づきなのだと言えます.誰かとケンカをしたとき、誰も声をかけてくれなかったとき、それはひとりぽっちだということに気づけただけなのかもしれません。ひとりぽっちと感じたときが、お釈泗さまの教えが本当だとやっと気づけた瞬間なのでしょう.でも、残念なことに友だちと仲直りしたりしてしまうと、このお釈迦さまの教えが大事だということを忘れてしまうのです.子どもだけがそうなのではなく、大人もそうなのです。本当に残念なことです。
 そしてもうひとつ、そういう私たちのために、お訳迦さまは阿弥陀仏という仏さまの存在を教えてくださっています。阿弥陀仏は私たちのために『ナムアミダプツ』という言葉を届けてくださっています.「あなたはひとりぽっちですよ」ということを伝えるために。そして「そういうあなたのことを本当に心配していますよ」ということを知らせるために。私に聞こえてくるナムアミダプツという声はある意味、遊園地やショッピングセンターで聞こえてくる迷子を知らせる案内放送のようなものだと思います.「あなたは今迷子になっていますよ」、「あなたのことを本当に心配している人がいますよ」ということを知らせてくださっているのです。
 さみしいなって感じたとき、ひとりぽっちだなって感じたとき、ナムアミダプツという戸を聞いて自分はひとりでないのだ、自分のことを心配してくださっている存在があるのだということを思い出してください。また、ナムアミダブツの声が聞こえなかったなら、自分でナムアミダプツと言ってその自分の声を聞いてください。少しほっとできるはずです。少し歩み出せるはずです。
 ナムアミダプツ、ナムアミダプツ、 ナムアミダブツ

2016年2月11日

井波別院巡回法座が開かれました

本日井波別院法宝物御巡回がございました。
布教使として鎌田哲夫さんがおいでになりました。
お話の中では南無阿弥陀仏は言葉となった仏様なのですと言うことお話しくださいました。
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2015年11月 2日

2015年報恩講をお迎えしました

ヒサシ鰤の光真です。

いや、久しぶりの更新

報恩講が終わりました。雨に降られずに助かった報恩講でしたが、予報では2日は雨となっていて1日は何とも言えない晴天。これを喜んでよかったのでしょうか?もしかすると皆さん畑に行きたくなられたのかお参りに来られた方は少々少なめ。これも住職の責任と少し感じ来年の報恩講まで課題に向かって歩んでいきます。

お参りいただいた方にはホント感謝。気持ちはあったけどという方やすっかり忘れておられた方は是非来年お参りください。

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2015年7月 9日

祠堂経枝がつとまりました

ちょっとご報告が遅れましたが、先月28~29日まで当寺祠堂経会をととめさせていただきましたところたくさんのお参りをいただきました。
本当にありがたいことでした。
初日は私、当寺住職のつたないはなし、二日目は魚津市から栄明寺住職佐賀枝立さんにお越しいただきご法話をしていただきました。住職も参詣者と共に聴聞させてもらったわけです。
私の話し方とは全く違い、優しく、お茶を飲んでるときの話のように話しかけられ、本当に聞きやすいお話でした。そういう意味でも勉強になりました。
佐賀枝さんは祠堂経という言葉の意味を丁寧に説明してくださいました。本来の四同という言葉の意味を中国分から尋ねられ、その四同と言うことを今私たち真宗門徒がなぜつとめるのかと言うことをお話しいただきました。
先輩方のなかで「ひっぱられてる」と言うことをよくおっしゃっる方がおられた記憶があるのですが、私たちは私に先立って念仏を唱えてこられた方々によっておねんぶつを称えさせてもらえるようになったことだし、お寺に足を運び聞法させてもらうことが当たり前にさせてもらったことだと、お話を聞く中で再確認させていただきました。

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2015年3月30日

城端別院の法宝物巡回法座

一昨日、城端別院の法宝物巡回法をおつけしました。 布教使は高岡市の清水さんでした。清水さんとは何度かお会いしたことはあるのですがお話を聞かせていただくのは初めてでした。 清水さんは教員の現役の時バドミントンの高校生日本一を何度か育てられた結構名の通っておられた名監督でした。 そのお方が「阿弥陀さんは選ばず嫌わず見捨てずなのに私はその間反対やったということが教えを聞き出してわかった」こういうまくらからお話を始められたのが印象的でした。 思ったよりたくさんのお方にお参りしてくださり、一緒に聞法できた、良いひと時でした。670d10ece418b7cc7d567837a42912981b1ea2c9.jpg0139b8f182cc646be9bc2f83b2f6da46ae33d8f7.jpg

2015年2月21日

今年も井波別院の巡回法座をお受けいたしました

二月二十一日井波別院法宝物巡回法座の宿をお受けしました。

案内を配ったのが遅かったと言うこともあり、そして本当に当日いい天気で明日は雨の予報と言うことになってたからか、お参りいただいた方は少なかったです。と言うか、私の義理が通じないというか、こっちが切りをいただいていて返し切れていないと言うことの表れなのでしょう。少し反省をしています。調べてみると昨年も地域の親睦旅行とかなさりお参りが少なかったようです。

お話しくださったのは昨年に引き続き藤井乗さんでした。

お内仏があるじと成るような生活をしようと言うことを冗談を交えながらお話しくださいました。

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2015年2月 2日

法然上人の図画を書写することが許されるということ。

[Facebookからの逆エントリー]
]
画像木像には諡像と壽像があるそうです。諡像はその人が亡くなった後書いてもらうもの。壽像はその人が生きておられる間にその人の許しを得て書画するものを言うらしい。 そういう意味で親鸞聖人が法然上人に許可を得て法然上人の画像を書かせてもらったのは壽像なんだろうな。
この壽像は誰にでも書くことを許すことは少なく、心許した人、認めた人にだけ許されるそうですし、お願いするということも大きな思いがなければ願いでないのが普通であったのかな?


親鸞聖人は一大決心で壽像を描くことを請い、法然上人もお前なら壽像を許そうって感じだったんだろうな。親鸞聖人からしたら飛び上がるほと嬉しい出来事だったのでしょう。
絵像木像には諡像と壽像があるそうです。諡像はその人が亡くなった後書いてもらうもの。壽像はその人が生きておられる間にその人の許しを得て書画するものを言うらしい。
そういう意味で親鸞聖人が法然上人に許可を得て法然上人の画像を書かせてもらったのは壽像なんだろうな。
この壽像は誰にでも書くことを許すことは少なく、心許した人、認めた人にだけ許されるそうですし、お願いするということも大きな思いがなければ願いでないのが普通であったのかな?

親鸞聖人は一大決心で壽像を描くことを請い、法然上人もお前なら壽像を許そうって感じだったんだろうな。親鸞聖人からしたら飛び上がるほと嬉しい出来事だったのでしょう。

念仏の伝承

昔誰かから聞いた話
一世代二世代まえまで、親や祖父母からきびしいしつけがあったと聞く。 もしかしたら今の世では家庭内はわはらとも言われるかな。決して厳しいしつけを推奨するわけではないが、そこには大きな願いがあることが多かったのではと思う。
例えば、
お年寄りから昔は朝すぐにはご飯を食べさせてもらえなかったと何度か聞いたことがあります。仏様の前で手を合わせないと駄目だとか、あなかしこあなかしこ待て必ず座っていないといけなかったとか、そういうことがあったそうです。その中には念仏称えるものになってほしいという願いがあったことだろう。もしかしたらそんな厳しいしつけがなかったらなかなか念仏を唱える身にはなれないのだろうと。


もう一つ厳しいしつけが、、、
それは朝必ずごはんを食べるための箸の入った箸箱が仏壇の中にあったと、箱膳には置いてなかったと。
だから朝ごはんが食べたければ絶対に仏壇の前に行かないとたべれなかったという話を聞いたということでした。
意地悪といえば意地悪だけど、大きな願いの元でしつけがあったことだろうと感心したことでした。

城端別院でお世話になってます

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昨日の午後から5日の朝で城端別院の本堂でお話をさせていただく縁をいただいてます。いわゆるお説教をさせていただくのですが、私のはお説教になってるのかどか疑問に思うこともあります。
ここでお話をさせてもらう時、何かを教えてやろう。なんていう気持ちは少なく。聞いてもらおうそういう思いが強いです。
別院には毎日聴聞に来られる方がなんかおられます。そういう方がおられるからでしょう。その方々の視線がきになるからだと思うのです。長年聴聞されてこられた方に教えることのできる内容を私は持ち得てません。私はこのようにいただいてます、みたいなことを発表して聴聞に来ていただいている方々に聞いてもらってる感覚です。かっこよく言えばお育ていただいてるのかな?
とにかく精一杯お話しさせていただきます。はなしをくみたたせてもらいます。