2016年11月27日

ゴマンサンを勤めました

親鸞聖人の祥月命日に勤める「ごまんさん」や「おしっちゃはん」と呼ばれている御正忌法要を勤めました。併せて尼講の追弔会も務めさせていただきお斎のふるまいもしていただきました。
当日は平生お参りしていただいてるお宅のお葬式が急きょ入り午前中お勤めとお話を婦中町安田法堂寺住職篠川弘一さんにおがいしました。

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2016年11月 2日

2016報恩講を勤めさせていただきました

報恩講を務めさせていただきました。今年はたくさんのお方にお参りくださいました。
また今年8月に得度した住職の四男坊も初めて衣をつけて王温厚にお参りしました。残念ながら同じ時に得度した長男坊は学校の休めない事業がありお参りできませんでした。

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2016年10月25日

報恩講に向けてお磨きしていただきました

報恩講に向けて東老田尼講の皆様によって仏具のお磨きをいただきました。すすぎ用に水をお湯にしてはといろいろ助言をいただきながら笑い語彙の響きながらお磨きをしていただきました。きれいになり、ぴかぴっかです。
終わった後もお茶を飲みながらまたゆっくりいろんなことを話ししておられました。

写真はお磨きされる前の仏具

2016年8月29日

今年もおやこのつどいinサマーを開催しました

去る8月19日例年のごとく常入寺おやこのつどいinサマーを開催しました。
20名ほどの参加でした。
いつものごとく流しそうめんや、花火をして楽しみました。それに加え今年はスイカ割りも楽しみました。

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2016年7月 2日

2016年祠堂経会が勤まりました

6月26~27日まで当寺本堂にて祠堂経会を勤めさせていただきました。

沢山の方々がお参りいただきそして御懇志をお運びいただいたこと本当に有り難いことだと感じています。ありがとうございました。
いただいた賽銭の中から一部を「第5回夏休み!高岡であそぼう!」という住職が実行委員長を務めている福島の子ども達を対象とした保養事業の寄付金とさせていただきます。

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2016年4月 2日

16年城端別院巡回法座が勤まりました

23月28日ご命日のつどいと併せて城端別院法宝物巡回法座をととめさせていただきました。
とてもよい天気だったのでやっぱりお参りは少なかったです。皆さん畑に行かれたのでしょうか?
布教使として城端町の大村忍さんが教使としておいでくさいました。

「当たり前と思っていたこと」という詩などを紹介くださいながら縁起と言うことをお話しいただきました。

 病気    藤本一宇(中学三年)

   この病気は
   僕に何を教えてくれたのか
   今ならわかる気がする
   病気になったばかりの頃は
   なぜ どうして
   それしか考えられなかった
   自分のしてきたことを
   ふりかえりもしないで
   けどこの病気がきづかせてくれた
   僕に夢もくれた
   絶対僕には
   病気が必要だった
   ありがとう

「星とたんぽぽ」  金子みすゞ

青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ、
  見えぬものでもあるんだよ。
 
ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ、
  見えぬものでもあるんだよ。

あたりまえと思っていたこと    平澤興

けさも無事に目が覚めた
手も動く 足も動く
目も見える 耳も聞こえる
ああけさも生かされている
三十数億の全細胞は
それぞれの分をまもって
完全な分業を行いながら
ひとつの大調和に統合されて
けさのこの私の命を保っている
これは人間が月の世界へ
ロケットでいたのより
まだまだ不思議で
尊く有り難いことである

2016年2月24日

ひとりからに寄稿させていただきました。

東本願寺青少幼年センター発行のひとりからという雑誌に法話を書かせてもらいました。
以下の通りです。よろしければお読みください。

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まいごの私

高岡教区 青井和成
 私には小字三年生になる子ともがいます。その子がまだ保胃所に通っている頃夜寝るときによく絵本を観んであげました.古典落語か絵本になったものもお気に入りでしたが、もっともっとお気に入りのものがありました。『あしたから一年生』(東本願寺出版)という絵本です。子どもも好きでしたが、読んでいる私も好きになっていった本でした。その本の中で、お爺ちゃんがお風呂の中で孫のこうすけ君に向かって言った言葉「こどもは、まいごになりながらおおきくなるのさ」が私は非常に印象に歿っています。迷子が大事なのだな、ひとりが大事なのだなって、読んであげながら感じました.
 私も子どものころ迷子になったことがあります。だから迷子になんて好んでなるものではないと思います.また小学生の頃、無視されたことも一時期あったので、ひとりぱっちっていうのもさみしくて大嫌いです。だけど自分が成長していくには、迷子と感じることも、ひとりぽっちと感じることも大切なのだとこの絵本を読む度に教えてもらいました。迷子やひとりぽっちの途中はさみしいですが、それが終わったとき、なんともうれしい気持ちになります.それは初めて一人で買い物に行くことができたときや、一人でパスや電車に乗ることができたときの、なんとも言えない達成感に似ているのかもしれません。
 仏教は、今から2500年ぐらい前にお釈迦さまによってひらかれました.そのお釈迦さまは、払たちが生きている世界は迷いの世界であり、その迷いの世界から離れるために仏になりなさいと教えてくださっています。本来、私たち人間はオギャーと産声をあげて生まれさせてもらったときからいのちをお返しするときまで、ずっと迷いっぱなしであるとお釈迦さまは考えておられまi。しかし、なかなかそのことに気づかずに生きてしまっているのです。
 迷っている子どもを迷子というわけですから、そういうことからすれば自分は迷子だなって感じること、そして迷子の中でひとりぼっちだなって感じることは大事な気づきなのだと言えます.誰かとケンカをしたとき、誰も声をかけてくれなかったとき、それはひとりぽっちだということに気づけただけなのかもしれません。ひとりぽっちと感じたときが、お釈泗さまの教えが本当だとやっと気づけた瞬間なのでしょう.でも、残念なことに友だちと仲直りしたりしてしまうと、このお釈迦さまの教えが大事だということを忘れてしまうのです.子どもだけがそうなのではなく、大人もそうなのです。本当に残念なことです。
 そしてもうひとつ、そういう私たちのために、お訳迦さまは阿弥陀仏という仏さまの存在を教えてくださっています。阿弥陀仏は私たちのために『ナムアミダプツ』という言葉を届けてくださっています.「あなたはひとりぽっちですよ」ということを伝えるために。そして「そういうあなたのことを本当に心配していますよ」ということを知らせるために。私に聞こえてくるナムアミダプツという声はある意味、遊園地やショッピングセンターで聞こえてくる迷子を知らせる案内放送のようなものだと思います.「あなたは今迷子になっていますよ」、「あなたのことを本当に心配している人がいますよ」ということを知らせてくださっているのです。
 さみしいなって感じたとき、ひとりぽっちだなって感じたとき、ナムアミダプツという戸を聞いて自分はひとりでないのだ、自分のことを心配してくださっている存在があるのだということを思い出してください。また、ナムアミダブツの声が聞こえなかったなら、自分でナムアミダプツと言ってその自分の声を聞いてください。少しほっとできるはずです。少し歩み出せるはずです。
 ナムアミダプツ、ナムアミダプツ、 ナムアミダブツ

2016年2月11日

井波別院巡回法座が開かれました

本日井波別院法宝物御巡回がございました。
布教使として鎌田哲夫さんがおいでになりました。
お話の中では南無阿弥陀仏は言葉となった仏様なのですと言うことお話しくださいました。
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2015年11月 2日

2015年報恩講をお迎えしました

ヒサシ鰤の光真です。

いや、久しぶりの更新

報恩講が終わりました。雨に降られずに助かった報恩講でしたが、予報では2日は雨となっていて1日は何とも言えない晴天。これを喜んでよかったのでしょうか?もしかすると皆さん畑に行きたくなられたのかお参りに来られた方は少々少なめ。これも住職の責任と少し感じ来年の報恩講まで課題に向かって歩んでいきます。

お参りいただいた方にはホント感謝。気持ちはあったけどという方やすっかり忘れておられた方は是非来年お参りください。

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2015年7月 9日

祠堂経枝がつとまりました

ちょっとご報告が遅れましたが、先月28~29日まで当寺祠堂経会をととめさせていただきましたところたくさんのお参りをいただきました。
本当にありがたいことでした。
初日は私、当寺住職のつたないはなし、二日目は魚津市から栄明寺住職佐賀枝立さんにお越しいただきご法話をしていただきました。住職も参詣者と共に聴聞させてもらったわけです。
私の話し方とは全く違い、優しく、お茶を飲んでるときの話のように話しかけられ、本当に聞きやすいお話でした。そういう意味でも勉強になりました。
佐賀枝さんは祠堂経という言葉の意味を丁寧に説明してくださいました。本来の四同という言葉の意味を中国分から尋ねられ、その四同と言うことを今私たち真宗門徒がなぜつとめるのかと言うことをお話しいただきました。
先輩方のなかで「ひっぱられてる」と言うことをよくおっしゃっる方がおられた記憶があるのですが、私たちは私に先立って念仏を唱えてこられた方々によっておねんぶつを称えさせてもらえるようになったことだし、お寺に足を運び聞法させてもらうことが当たり前にさせてもらったことだと、お話を聞く中で再確認させていただきました。

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